フランシス・レイ 自作自演
曲目/
A1 流れ者のテーマ Le Voyou 2:40
A2 雨の訪問者 Le Passager De La Pluie 2:35
A3 太陽の中に Dans La Poussiere Du Soleil 2:25
A4 あの愛をふたたび Concerto Pour La Fin D’un Amour 3:30
A5 白い恋人たち 13 Jours En France 2:35
A6 パリのめぐり逢い Live For A Life 3:22
B1 男と女 A Man And A Woman 2:28
B2 ある愛の詩 Love Story 3:13
B3 マッドレー Madoly 2:27
B4 さらば夏の日 Du Soleil Plein Les Yeux 2:15
B5 ハロー・グッドバイ Hello Goodbye 2:47
演奏/フランシス・レイ・オーケストラ
指揮/クリスチャン・ゴーベール
録音/1971/02/03,04 ユナイト・レコード・スタジオ、パリ
P:エディ・アダムス
SV:ロバート・コナン
キング GP41

このレコードについては先にも少し書きましたが、フランシス・レイの来日記念盤です。そこではこう書いています。
「1971年の録音で、日本のキングレコードのリクエストで録音されています。フランシス・レイがコメントを寄せていて、1971年の2月3、4日に録音されていてその2月の26日から3月5日まで日本公演をしています。まあ、その来日記念盤だったのでしょう。当時、このレコードはGPシリーズというちょいとお高いシリーズで発売されていたので買えなかった記憶があります。この時は婦人と供に、クリスチャン・ゴーベール氏(指揮・編曲)、ダニエル・リカーリ(スキャット)レミー・ルモアル(プロデューサー)がツァーに参加していました。のちにこの日本公演のライブも発売されています。そこでは何とフランシス・レイはアコーディオンを弾いていたんですなぁ。」
ところで、最近の若い人はフランシス・レイなんて知らない人が多いのではないでしょうかね。小生の世代ではドンピシャなんですが、映画音楽の偉大な作曲家です。特に1960年代後半から1970年代に掛けては絶大な人気を誇っていました。「男と女」、「パリのめぐり逢い」、「白い恋人たち」、「雨の訪問者」、「ある愛の詩」etc.まさにこのアルバムの音楽です。
フランシス・レイ、wikiを見ても全く内容の無い記事で、情けないものです。そのフランシス・レイは、1932年4月26日、南仏のアルプス・マリティーム県の風光明媚な観光地ニースに生まれています。フルネームをフランシス・アルベール・レイ FRANCIS ALBERT LAI といい、両親はともにイタリア出身で、父はガヴィーノ GAVINO、母はアンジェル ANGELE(旧姓デ・カルロ DE CARLO)といい、ニース近郊のコルニシュ・オ・オリヴィエという町で園芸農家を営んでいました。
ふたりとも無類の音楽好きで、フランシスは沢山の花と音楽に囲まれた幸福な子供時代を過ごしています。彼が音楽家への道を選択する上で決定的な役割を果たしたのは15歳年上の従兄パスカル・デルーカ PASCAL DE LUCA の存在です。パスカルは才能豊かなアコーディオニストで、トラディッショナルなレパートリーはもちろんのこと、ジャズにも造詣が深く、アコーディオンひとつでオーケストラやジャズ・バンドに飛び入り参加していました。フランシスにとってパスカルは早くから憧れの存在であり目標で、フランシスが10歳を迎えるころになると、パスカルは少しずつアコーディオンの手ほどきをしてくれるようになり、ソルフェージュやハーモニーといった音楽の基礎もすべてパスカルが教えてくれています。
15歳でニースのリセ・サン・フィリップを卒業する頃には、小さなダンスホールでパスカルの代役を務めるまでになっていました。そして間もなくニース海岸にあるキャバレーやカジノの専属楽団員としてフランシスはプロのミュージシャンとしてスタートを切ります。17、18歳の頃には編曲を手がけるようになり、この頃女性シャンソン歌手のクロード・ゴアティと知合い、その3年後例は彼女の招きでパリに出ます。そこで、彼は多くの人と知りあい、ムルージ、パタシューなどからシャンソンの作法を学びゴアティに曲を捧げたりしていました。同時に、ミシェル・マーニュ・オーケストラの一員として本格的に音楽家の道に入ります。1962年にはムルージの紹介で、エディット・ピアフと知合いそのピアフに認められてアコーディオン奏者として晩年のピアフの伴奏を務めました。彼女の最後の録音となった「ベルリンの男」はレイの作品です。
ピアフの死後、彼はゴアティ繋がりで作詞・作曲家であり歌手のピエール・バルーとコンビを組むようになり、バルーが出演中の映画「娘と鉄砲」の撮影現場でクロード・ルルーシュと運命的な出会いをします。そして、この後1966年の「男と女」の音楽を担当することになります。この作品、1966年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得したこともあり、レイは一躍注目され、この後映画音楽の作曲家としての道を歩むことになります。
ただ、フランシス・レイは大の飛行機嫌いで滅多に旅行はしません。そのため、日本にも1971年の来日が最初で最後なのが残念です。さて、このアルバム日本盤ではフランシス・レイ・オーケストラと大きく謳われていますが、実際にはクリスチャン・ゴーベールが編曲指揮を担当しています。来日でも指揮はこのゴーベールが担当し、レイはアコーディオンを演奏していました。日本仕様とアメリカ仕様は異なり、A面の一曲目は当時の最新作の「流れ者」が収録されていますが、アメリカ盤では大ヒットした「ある愛の詩」がトップに収録されています。まあ、その代わりといっては何ですが、日本盤のジャケットはその「ある愛の詩」の写真が使われています。
スター・ウォーズのヒットで映画音楽の世界はフル・オーケストラの作品が主流になり、フランシス・レイの名前は忘れ去られていきますが、そんな中1979年レイの音楽がCMで使われました。それがホンダのアコードでした。こんなナレーションでした。
「ブローニュの森は、いま、やわらかい光の中。 人々は、新しい季節の中で、新しい顔に出会う。 アコードの中で私は静かに過ごす。 ホンダアコード・サルーン。 」
この曲ワーナーから発売されたその名も「ブローニュの森」というアルバムの中に収録されていた「エモーション」という曲です。
ホンダもセンスがあります。