山本博文教授の江戸学講座
著者 山本博文、逢坂剛、宮部みゆき
発行 PHP研究所 PHP文庫

江戸時代の魅力を読者に分りやすく語って人気の山本博文東大教授。本書は、その山本教授を作家二人が質問攻め。「大奥女中は女子アナのような憧れの職業」「武士たちはポストを得るため、有力者に夜討ち朝駆けの涙ぐましい働きかけをした」など意外な事実が明らかに。「誰にも知られたくない小説のネタが満載」と作家を唸らせた内容で、江戸好き、時代小説ファン垂涎の好著。---データベース---
この本文庫オリジナルですが、元はPHP研究所から月刊誌の「歴史街道」に連載されていたものをベースに編纂された江戸時代に関する入門書です。ただ、入門書と言っても専門誌に掲載されたものですから、そこはちょっとマニアックな所があります。特にパート1の「武士と奥女中のサバイバル・ゲーム」はいきなり読み始めると頭の中がこんがらがって来るかもしれません。どちらかというと、150年間続いた江戸時代の特徴的な現象に就いて言及したパート2、3辺りから読み始めた方が取っ付き易いかもしれません。ここで、山本教授に相対する2人の時代小説を得意とする作家の切り込み方に、注目した方が面白いです。
ここで取り上げているのはPHP文庫として2007年に出版されたものですが、現在は2014年に新潮社から新潮文庫で、「江戸学講座」と改題されて出版されています。以下、目次です。
目次
[1]武士と奥女中のサバイバル・ゲーム
●第一章 奥女中は憧れの職業(宮部みゆき)
●第二章 現代顔負けの就職戦争(逢坂 剛)
●第三章 大名・旗本の出世競争(逢坂 剛)
●第四章 勤番武士の日常生活(宮部みゆき)
[2]治安維持と災害対策
●第五章 八百八町の犯罪白書(宮部みゆき)
●第六章 明暦の大火 ――そのとき江戸は(逢坂 剛&宮部みゆき)
●第七章 安政の大地震 ――そのとき江戸は(逢坂 剛&宮部みゆき)
[3]旅と海外貿易
●第八章 武士の転勤・公務出張(逢坂 剛&宮部みゆき)
●第九章
■山本博文 ヤマモト・ヒロフミ
1957(昭和32)年、岡山県生まれ。東京大学史料編纂所教授。近世政治史を中心に、参勤交代や切腹などの制度に隠れた、新たな江戸時代像を提示。また、日本史全体の学び方にもさまざまな提言をしている。著書に『歴史をつかむ技法』『「忠臣蔵」の決算書』などがある。
■逢坂剛 オウサカ・ゴウ
1943(昭和18)年、東京生れ。中央大学法学部卒。1966年博報堂に入社。1980年「暗殺者グラナダに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。1987年『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。1997(平成9)年6月に博報堂を退職、作家業に専念する。他に『百舌の叫ぶ夜』『重蔵始末』『相棒に気をつけろ』『相棒に手を出すな』等多数の作品がある。
■宮部みゆき ミヤベ・ミユキ
1960年、東京生れ。1987年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。1989年『魔術はささやく』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1992年『龍は眠る』で日本推理作家協会賞、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞を受賞。1993年『火車』で山本周五郎賞を受賞。1997年『蒲生邸事件』で日本SF大賞を受賞。1999年には『理由』で直木賞を受賞。2001年『模倣犯』で毎日出版文化賞特別賞、2002年には司馬遼太郎賞、芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)を受賞。2007年『名もなき毒』で吉川英治文学賞を受賞した。他の作品に『ぼんくら』『楽園』『英雄の書』『小暮写眞館』『あんじゅう』『ばんば憑き』『おまえさん』『ここはボツコニアン』『ソロモンの偽証』『桜ほうさら』『泣き童子』『ペテロの葬列』『荒神』『悲嘆の門』『希望荘』『ヨーレのクマー』『三鬼』などがある。
この作品は、東京大学史料編纂所教授の山本博文さんが講師、作家の逢坂剛さんと宮部みゆきさんが聞き手となって行った対談をまとめたものです。先にも書きましたが、冒頭は江戸時代の武士の仕事や生活についての話となっていて、時代物を楽しむのに必要な知識を得ることができますが少々難解です。大名、御家人、旗本などの用語はきっちり理解しないとチンプンカンプンになります。しかし、聞き手がさすがに作家さんだけあって鋭い質問も多々あり、じっくり読めば、いままで気になっていたけどしっかり理解できていなかったことが、氷解するのではないでしょうか。図録や言葉の解説などの注も充実しています。
第一部のタイトルは「武士と奥女中のサバイバル・ゲーム」。このタイトルだけで既に面白そうです。ここでは武士と奥女中の仕事や出世争いについて語られています。旗本の出世ルートが図解にされていたり、奥女中の役職が解説されています。個人的にはあまりよくわかっていなかった奥女中の役割について、しっかり解説されていたのがうれしいです。その奥女中の「中」は老中の「中」と同じく敬称。奥に勤める女性を敬していうのが奥女中ということのようです。また、大奥の場合、御目見得以上の女中は旗本の娘ですが、御目見得以下の女中には商家や農家の娘も採用されていました。大名家の奥でも同様だったようです。
大奥の主な役職…上から役が高い
御目見得以上
上臈御年寄(公家の娘)…御台所の側近くに仕える
御年寄(旗本の娘)…大奥の最高責任者
中年寄(旗本の娘)
御客会釈(旗本の娘)
御中臈(旗本の娘)…将軍や御台所の身辺の世話役
御錠口(旗本の娘)
御表使(旗本の娘)
御右筆(旗本の娘)
御次(旗本の娘)
御切手書(旗本の娘)
呉服の間(旗本の娘)
御広座敷(旗本の娘)
御目見得以下
御三の間(商家・農家の娘)
御仲居(商家・農家の娘)
御火の番(商家・農家の娘)
御使番(商家・農家の娘)
御末(御半下)(商家・農家の娘)
上の役職で将軍のお手が付いていいのは将軍付の御中臈だけだったそうで、大奥では全ての仕事を女性が行っていたので、例えば駕籠を担ぐのも女性だったとかでびっくりです。
さて、武家の方ですが、出世争いでは結構醜い足の引っ張り合いがあったようで、鬼平で知られる長谷川平蔵は優秀すぎてあまり出世できなかったようです。親潘や譜代大名と外様大名とでは成れる役職に違いがあったようですが、努力次第では大目付も望めたと言うことです。有名な大岡忠相(大岡越前守)は、1700石の旗本の家柄で、江戸幕府書院番→目付→山田奉行→普請奉行→江戸南町奉行→寺社奉行兼奏者番と上り詰めています。そして、最後には加増を経て三河国西大平藩(現岡崎市)1万石を領することとなり正式に大名となっています。町奉行から大名となったのは、江戸時代を通じてこの大岡忠相のみなんです。
旗本(一万石以下)の出世コース(一部省略しています)
大目付
↑
【奉行】町奉行、勘定奉行
↑
【下三奉行】普請奉行、作事奉行、小普請奉行
↑
【遠国奉行】長崎奉行、京都町奉行、大坂町奉行、奈良奉行、堺奉行、駿府町奉行、伊勢山田奉行、日光町奉行、佐渡奉行
↑
目付
↑
使番、小十人組頭、徒頭
↑
【両番】小姓組、書院番
↑
家督相続
第二部は「治安維持と災害対策」です。江戸の治安を守る江戸町奉行のシステムがかなり詳しく書かれているのがうれしいです。ここでは与力と同心の違い、各与力、同心の役割などが語られていて、捕物帳の物語を読むときにはかなり助けになります。しかし、時代小説に多く描かれる与力、同心の活躍は数も少なかったために、それほど事件探索には熱心ではなかったようで、岡っ引きや町名主たちの方が民事では活躍したようです。そのため自治的な組織が発達しており、町ごとに町名主がいて、さらに町の一区画ごとに家守(差配人)がいました。また、武家地を守っていたのが辻番、町人地を守っていたのが自身番、町の入り口にあって夜回りをしていたのが木戸番という構造になっていました。取り調べをするのは、江戸に六、七ヶ所あった大番屋です。ちなみに、この本では「岡っ引き」と同義語の「目明かし」は吉原での呼称であるように書かれていますが、関八州あたりでも「目明かし」と呼ばれていたようです。
また、災害対策については、明暦の大火と安政の大地震について語られています。どちらもとんでもない規模の被害が出ていて、明暦の大火では10万人以上の死者が出ています。しかし、火事の原因は未だに定説が無いようです。安政の大地震については、死者の数や倒壊した家屋の数が具体的に示されています。それに拠ると安政の大地震では町人地では火災による死者以外で4293人が亡くなっています。さらに御府内の武家屋敷では2066人が亡くなっていますから、焼け死んだ人も入れれば1万人以上が亡くなっているのではないでしょうか。
ラストの第三部は「旅と海外貿易」がテーマです。旅に関しては、武士の出張の話やお伊勢参りが語られています。面白いのは映画「超高速参勤交代」でも描かれていた大名行列の水増しは、六組飛脚問屋という株仲間が請負っていたそうだす。庶民にとっては一生に一度の旅となる人もいるお伊勢参り。江戸時代のツアーガイドの仕事や関所を抜ける手形の仕組みなど興味深く読めます。
海外貿易については、なぜ鎖国になったのか、貿易を継続した国はどこの国で、どのようにして貿易をしたのかなどが語られています。密貿易である抜け荷の手口の話など面白かったです。「鎖国令」は、家光の時代にキリスト教の布教を怖れて出した一連の法令を指したもので、鎖国という言葉自体が使われたのは享和元年(1801)で、日本沿岸に外国船が出没するようになってから、日本は鎖国していたのに気が付いたのだということです。つまり、それまでは鎖国をしているという意識がなかったのですねぇ。つまりは貿易の制限はしていたけれど、交易ルートは長崎が中国・オランダの窓口、薩摩藩を介した琉球貿易、松前藩を介した北方との交易、対馬藩を介した朝鮮との交易の四つがあったんですなぁ。
こんなことで、小生の学生時代に習った江戸時代とは今はかなり様子が違ってきています。そういえば、最近明智光秀の書状の原本が見つかり、本能寺の変は信長憎しではなく室町幕府の再興だったということで話題になっていますが、歴史の価値感は時代と供に変遷しているんですな。この本を読んでから時代小説に接すると、また小説の見方も変わるのではないでしょうか。

こちらが現在のデザインとタイトルです。