「Black Lives Matter」デモ、日本での報道も少なくなりましたね。

そういえばデモ隊によるシアトル占拠は、結局どうなったかというと。

 

 

引用は→こちら

 

日本でこの結末が、きちんと報道されましたかね?

占拠者らの正体はアナーキストであり犯罪者であり、そして殺人者であったという事を。

 

日本であった「Black Lives Matter」デモもバカな国会議員が参加していましたが、デモをするほどの黒人差別は歴史的に日本にはありません。

世界の中で相対的に見ると、日本は人種差別の極めて少ない国です。

日本自身が差別と闘ってきた国でもあるのですから。

 

戦前、日本と黒人国家・エチオピアにはこんなエピソードがありました。

1931(昭和6)年、エチオピア使節団が日本に来日。

 

国立国会図書館HP より

 

この時に随行したエチオピア皇帝の従弟アラヤ・アベバが日本人との結婚を望み、華族令嬢・黒田雅子との縁談が持ち上がります。日本政府も世論も好意的に受け止め、縁談話は盛り上がりを見せました。

当時の様子を伝える新聞記事(1934(昭和9)年2月25日 時事新報)です(縁談そのものの記事ではないが、縁談には触れており当時の日本の雰囲気が分かります)。

 

 

神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫」より

 

折角ですから、記事本文を以下に転記します。

 

アフリカ大陸の奥地に悠久3千年の歴史を誇る黒人帝国エチオピアも近く日本の麗人黒田雅子姫を皇子アベバ殿下に迎える日が近づき春と共に訪れた目出たい吉報に時ならぬ喜びにわき返っていることだろう。昭和六年同国外相ヘラテンケタ ヘイル ウォルド セラッシェ氏が日本を訪問して以来エチオピアとわが国の関係が著しく親密の度を加え、特に晒木綿類を中心に同国行きのわが商品が目覚しい進出ぶりを示した結果、従来エチオピアに対して経済的に多大の利害関係をもつイタリーをはじめフランスイギリスなどはこの新事態に対して非常に神経をたかぶらしていたのである、そこへもって来て今回わが貴族出の黒田雅子嬢が大和なでしこの香りも高く、日エ両国親善の永久に変わらぬくさびとしてアベバ殿下の御許に単身、とつがれることになったのであるから、今や欧洲列強の文字通りの嫉視、猜疑の目がここに注がれつつあるとみて差支えない

 

エチオピアは歴史上、国民の気性風習などから云うて日本とすこぶる似かよっている、そのためばかりでもあるまいが、同国はわが国をもって有色人種の先進国として遠くこれを渇仰し日本の文物、制度を輸入しアフリカにおいて名実共に備わった立派な帝国を完成せんとしているのであるがエチオピアの将来は今回黒田雅子嬢のかしずかれることになった若いプリンス、アベバ殿下をはじめ同国の若い青年子女の手に握られていると見ることを得べく、従ってわが国を身をもって代表せられる黒田雅子嬢その人の同国の文化的発達に寄与すること多大であると期待されるのである
 

ここには欧米諸国に見られる「黒人国家」への差別的感情は全くありません。

結局この縁談は、エチオピア植民地化を目論むイタリアによる干渉などで破談になってしまいました。

その後、1935~36年にかけてイタリアはエチオピアに侵攻(第二次エチオピア戦争)し、これを領有。一方、高知県ではこの戦争期間中に「エチオピア饅頭」が発売されるなど、日本世論はエチオピア支持の声が高まりました(日本国政府は中立表明)。

 

さて、弊記事「大正日本、人種差別と斯く戦えり」(下欄【関連記事】参照)でも触れましたが、1919(大正8)年の「人種差別撤廃条項」の戦いに敗れた日本は、その理念を1943(昭和18)年に大東亜会議にて採択された「大東亜共同宣言」で実現しようとします。

 

大東亜会議 (Wikipedia より)

 

その中の条文です。

 

大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

(現代語訳)

大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献します。

 

大東亜戦争に敗れた為、欧米諸国からはもちろん、現代の国内歴史教育でも「戦争中に日本がなんか言ってたなぁ~」程度に黙殺される大東亜共同宣言。

しかし。

 

戦後の1955(昭和30)年にアジア・アフリカ会議(A・A会議またはバンドン会議)が開催される事になり、日本政府も招待されました。当時の政府は「先の戦争について各国から非難されるのではないか」という強い不安もあったそうです。

会議に外務大臣代理として出席した加瀬俊一は、1994年7月京都外国語大学の講演で以下のように述べています。

 

「(各国代表からは)『日本が、大東亜宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。我々が今日こうやって独立しました、といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがA・A会議の本来の目的だった。こんな会議が開けるのも、日本のお陰ですと、『やぁー、こっちへ来て下さい』、『いやぁ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。『やっぱり来てよかったなぁ』とそう思いました。その翌年、日本は晴れて国連に加盟して、私は初代国連大使になりました。アジア・アフリカ(A・A)グループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい。A・A諸国から大きな信頼と期待を寄せられて、戦後我が国は今日の繁栄を築いて来たのです」

 

大東亜共栄圏が「後付け」である事を梅之助は否定しませんが、その結果がもたらした世界史的な意義を我々はもっと評価してもいいのではないのでしょうか?

 

そして。

人種差別とは、こういう事を言うんですよ。

 

 

米ライフ誌1943年5月号に掲載された写真。

米兵が婚約者に「お土産」として送った日本兵の頭蓋骨です。

そういえば映画「大日本帝国」でも、日本兵の頭骨をおもちゃにして遊ぶ米兵らの描写があったなぁ。

 

 

(上)都市無差別爆撃(写真は神戸大空襲) (下)広島原爆投下

 

原爆投下理由の一つに、ヤルタ密約を知ったトルーマンがソ連の対日参戦の前に何とか日本を降伏させたかった、戦後体制をにらんでソ連に原爆の威力を見せつけたかった、という政治的意図がありますが、だからといって日本人として「ああ、そうでしたか」と引き下がる訳にはいきません。

例えば人のいない富士山辺りに落として、その強烈な破壊力と山容の変化を日本側に見せつけるだけで降伏を促すには十分だったろうし、少なくとも2発目の長崎の原爆投下は全く不必要でした。今度は東京に落とすぞ、と警告すればいいのですから。

結局は広島型(ウラン)と長崎型(プルトニウム)という、異なった2つの原爆の人体実験を含めた性能実験をしたかったのです。

根底に深い人種差別意識がなければ、こんな事は出来ません。

 

まあ、日本も戦争末期に海軍を中心に米国に対する細菌戦を企図したという闇の部分があったものの、最終的には当時の陸軍参謀総長・梅津美治郎の「アメリカに対する細菌戦は全人類に対する戦争に発展する」という反対で中止されたのとは、まるで正反対の姿勢です。

また日本は日独伊三国同盟締結中にあっても、ドイツのユダヤ人排斥には全く同調せず、「我が国には八紘一宇の国是がある」とユダヤ人を保護し、度々ドイツの要求を無視してきたのです。日本人であっても、この事を今の殆どの人は知らないでしょう。

 

1945年8月15日、先の戦争によって膨大な人的損害と、全ての国富を失った敗戦国日本。

一時は世界の五大国となり、国際連盟・常任理事国になるも、欧米の世界秩序に抵抗して敗れ、ジャップ、イエローモンキーと蔑まれた日本人。

 

 

 

しかし日本人は戦前の技術力、例えば満鉄・あじあ号を新幹線へ、軍艦などの軍事技術を平和産業へと、地道な努力の末に花開かせました。

 

 

 

 

 

ホンダ・バイク、ソニー・ウォークマン、ニンテンドーetc・・・昭和の時代に世界を制した日本製品は数えきれません。

世界(特に欧米)が持つ日本人への評価は、我々が生み出す製品性能の高さによって証明されていきます。それはそのまま、戦後の日本人への人種差別的感情をなくしていく事にもなりました。

日本人は自らの力で人種差別を乗り越えたのです。

経済市場という、彼ら欧米と全く同じ土俵の上に上がって。

振り返ってみれば、明治日本も幕末に結ばされた不平等条約を時間をかけながらも自力で解消しました。他の国ならばそのまま欧米列強の植民地となっていたところを。

日本人だから出来たのです。

さらに・・・

 

 

自然災害の多い我が国。

毎年のように不幸な被害がもたらされていますが、その度に暴動もなく人としてのマナーを守る日本人の姿に、常に世界中から称賛の声が寄せられるようになりましたね。

 

かつての差別から、尊敬と称賛へと。

 

最後に。

今日は8月15日。

戦争に斃れた父祖たちを含め、これまでの日本国と日本人の精神性を築き上げてくれた全ての先人たちに、限りない感謝を込めて。

祈り。

 

 

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