今日から北海道護国神社慰霊大祭が本日4日宵宮祭、5日慰霊大祭、6日後日祭のスケジュールで行われます。そこで今日の午前中、早い時間帯ではありましたが参拝に行ってまいりました。

 

 

 

(左)が国道40号線と金星橋通りの大きな交差点に面した神社入口。参道に露店が出ていますが、早い時間帯ともあって、まだまだ準備モード。ただし露店のメインは市内中心部の常盤公園で、そこでは昔ながらのオートバイサーカスやお化け屋敷などが昨日から準備をしていました。

(右)が参道を進んで最初に出会う第一鳥居。

 

 

 

第一鳥居を抜けて歩いていくと、左側に2つの石碑がありました。

(左)1945(昭和20)年まで樺太に存在した帝政ロシア及び旧ソ連と大日本帝国との国境標石。天第1号のレプリカだそうです。

日露国境標石については弊ブログ記事→ 2016 稚内・礼文の旅⑤~開基百年記念塔(2016/08/20)を参照ください。

(右)は樺太・北海道池の記念碑。南樺太は旧第7師団の範囲だったので、昭和初期に神社の境内に南樺太と北海道を形取った池が造られた事などが書かれています。

 

 

 

(左)第二鳥居。

(右)本殿へと至る門。正式名称は知りませんが、この門から社殿内という事なのでしょう。お辞儀をして通過します。

 

 

北海道護国神社本殿。早い時間帯ではありますが、梅之助と同様に人混みを避けたのでしょうか、すでに数人参拝する姿が見られます。

参拝を済ませ、境内にある色々な碑を巡ってみましょう。

 

 

 

(左)本殿のすぐ右隣にある昭和天皇・皇后の御歌の碑。天皇陛下の御歌は特に御製と言います。

(右)北海道知事(当時・町村金吾)と北海道連合遺族会による慰霊碑。

 

北海道の兵隊は、日露戦争では旅順・二百三高地争奪戦や奉天会戦、ソ連とはノモンハン、対米戦ではガダルカナルなど、現在誰もが知る戦地へと赴きました。

 

 

 

そのガダルカナル戦・一木支隊の鎮魂碑。餓島の石もあります。

 

 

歩兵第89連隊合同慰霊碑。第89連隊は一部がサイパン、本隊は沖縄で戦い、ほとんど玉砕しています。沖縄戦では、地元沖縄の次に北海道の兵隊の戦死者が多かったそうです。

 

 

 

(左)近衛歩兵第一連隊の北海道出身者らによって建立された慰霊碑。

(右)旭川郷友会の記念碑。

 

 

「馬魂碑」。軍馬の慰霊碑ですね。揮毫が対米開戦前の第七師団長・杉原美代太郎となっているので、昭和8~10年頃のものと思われます。

そういえば梅之助の実家にもあったんですよ、大日本帝国からの軍馬供出感謝状が。日付は確か昭和18年頃でした。日常、農耕馬として働いてくれた馬は、戦場でも日本兵と苦楽を共にしたんですねぇ。

 

 

これはもっと古い石碑。揮毫者は陸軍大将・桂太郎なので、明治から大正初期のものです。日露戦争での業績を記念してのものでしょうか。

 

6/25追記:北鎮記念館に説明パネルがありました。第七師団兵舎落成記念として、1902(明治35)年に建立。「幾多能満毛利(キタノマモリ)」と碑の表には刻まれています。

 

 

1935(昭和10)年建築の「旧第七師団北鎮兵事記念館」。現在は「平成館」という名称です。

北海道では数少ない帝冠様式の建物で(旭川市内では他に「仏壇の宮川」が有名)、終戦まで多くの戦いの記念品などを展示する館として使用されました。

戦後は旭川市の郷土博物館としても昭和43年まで使われていたそうです。今ならちょっと考えられませんけど、ユルくていい時代だったんでしょうねぇ。今は何かとうるさくて仕方がない。

近年、国の登録有形文化財に登録されています。ただ残念ながら梅之助はこの建物の中に入った事はありません。

 

 

その平成館の近くに建っているのがこの石柱。

元々この北海道護国神社は、1939(昭和14)年まで「北海道招魂社」と呼ばれていました。今でも護国神社祭を「招魂祭」と呼んでいる年配の人も多いです。

 

 

「母の像」。

夫を失いながらも、戦中・戦後を通して子供たちを育て上げた母への感謝を込めて建立。特に終戦直後の混乱期は、戦死した夫が羨ましく思えるほど苦労した女性もいた事でしょう。

 

 

そしてこれが上の方で記念碑に触れた「樺太・北海道池」。

写真は北海道の部分ですが、上から見てみないとよく分かりません。ひし形にはなっているもののそれ以上は何とも・・・

 

神社の隣にある花咲スポーツ公園からは、たくさんの子供たちの声が聞こえてきます。どうやらテニス大会があるみたい。どうしてこの日に、と一瞬思いましたが、車に戻る途中、すれ違った少女の声が「この後どうする?お祭り」と友人に語りかけているのが聞こえました。

4日の宵宮祭は夕方から。ならばこういうスポーツ大会設定の方がいいのかもしれません。もっとも、彼女らが行くのは露店がメインの常盤公園会場でしょうけれど。

やがて「涙雨」と地元市民から呼ばれる小雨がパラパラと落ちてきました。

 

 

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