私は自塾を中心に、過去の経験や現状をブログに書いている。
読んでいただく方が少しずつ増えてきて、やりがいとともにある種の責任も感じている。
微力ではあるのだが、やはり今の中学入試全般にモノ申したい部分が多くあり、お目障りかと思いつつ、つい辛口の文章になってしまう。
そんな私が一番憂いを持って見ているのが、受験後の子ども達の状態である。
小学校の低学年から猛勉強を強いられ、やっと中学に入って楽ができるのかと思いきや、受験時以上の負荷を課される。
一体いつまでこれが続くのだろう…そんな絶望的な気持ちになっても不思議ではない。
中高生と言えば、人生の中で最も元気で楽しい時期である。
その時期に勉強以外のことをしていないというのは、はっきり言って歪である。
勉強以外のことに時間が割けなかったというのなら、その選択自体がそもそも間違っているのである。
人間は社会に出て活躍してなんぼである。
その活躍は決して一人ではなし得ない。
それは他者とのかかわりから育つものである。
よく、子どもがこう言う。
医者になって困っている人を救いたい。
それ自体は大変結構な志だ。だが、机に向かって問題だけを解いているだけで、そんな心が育つだろうか?
要は医者になってほしいという親の刷り込みなのである。
ならば、たくさん稼ぎたいので医者になります!と明言する方がむしろ潔い。
昔の教え子にはこう明言した子が現にいました。彼は宣言通り、手広く病院経営をしています(^^;
人を助けるには自分に余裕や余力が必須である。
人よりも1点でも多く…と競争ばかり煽られて育ってきた少年時代を過ごしたのでは、そんな優しい心は育たない。
勉強は自分のためだけにするものではない。
他者と連携を組み、足らないところに供給してゆくという本来の役目を見失うとそれはさもしい願望になってしまう。
阪大医学部の祖、緒方洪庵はこんな言葉を残している。
“そもそも医者などという職業には親切者以外はなるものではない”と。
今、コロナひとつをとってもそんなお医者はどこに居るんだろうと思ってしまう。
もちろん、見えないところにはたくさんいるのだろうけど。
メディアなどに露出が多い医師の中には見当たらない…と私は見ている。
子ども時代の過ごし方によって大きな違いが出てくるのだろう。
玉石混交をさけるなどという考えはとんでもない思い上がりである。
人に玉も石もない。