『神の選択』 第二章 二 実体界・時間  その1 | 真実を求めて

真実を求めて

人は何故、この世に生を受け、一体何の為に存在しているのでしょうか。

その意味を、探求していきたいと考えています。

 
 実体界とは四次元世界のことです。

 - 中略 -
 
 われわれは、物(三次元)と、光による物の影(二次元)は知覚していますし、線(一次元)と点(0次元)を幾何学的抽象概念として理解しています。しかし、四次元が理論的に定義されていても、その概念を把握することはとても難しいことです。なぜなら、われわれは自分たちが住むこの世界(三次元)に時間が存在すると思い込んでいますが、実はこの世界には時間は存在しないからです。

 - 中略 -
 
 実は、われわれは四次元世界がわれわれ自身であり、あまりにも分かりすぎていて、そのことに気づかないだけなのです。

『神の選択』より抜粋



 第二章における「実体界・時間」の項は、かなりの方が難解に感じておられます。

 実際私も読み取りにくく、文脈を取る為に何度も返し読みを致しました。

 ここに引用した部分を主眼として読んでみると、解り易くなるのではないでしょうか。


 先に結論を申し述べてしまえば、私達の心、すなわち、魂が四次元の存在そのものなのです。


 一般的に、私達は三次元の住人で、四次元へ行くことは現代科学の水準では到底できない、理論や空想だけの、現実性の無い世界の様に思われています。

 「四次元空間」などと言うから、まったく別個の物質世界の様にイメージしがちでもあります。

 ダリが描いたみたいな、ぐにゃっとした時計がいくつもあって、その針の進むものもあれば戻るものもある、上下や境界のあいまいな世界として、漫画なんかでは出てきますね。

 ですが、物質世界は三次元にのみしか存在せず、四次元とは、実は精神世界のことだったのです。


 この三次元には時間は存在せず、ただあるのは「今」という瞬間のみです。

 「今」の連続体が三次元で、今までに起きた事象は四次元に固定されていて、四次元に固定された過去を私達は記憶として見ています。

 過去に起きた事実、すなわち、記憶を累々と記録したものが歴史となります。


 私達は、この世に生まれてからの、様々な思い出を持っています。

 印象的な出来事は特に、ありありと映像として思い起こすことができますが、それは各個人の持つ四次元という時間軸に固定された記録を読み起こしているからこそ出来ることで、私達は誰もが思い出というリアルな歴史年表を四次元に持っている、とも言えます。


 実は私達は、ごく日常的に四次元世界を体感していたのですね。


 - 参照 - 

    雑感・・・89

    ともしび・・・11

    ともしび・・・24



 この世に生きるほとんどの方は、魂が四次元、あるいは五次元にあるそうです。

 中にはもっと高次元の方もいらして、次元が上がるということは、より大きな時間軸を持っている・・・

 すなわち、自分自身の現世における過去のみならず、その方自身の過去世のことや、話したり聞いたりした訳でもないのに他人の経験してきたこと、更には行く末までもが判ってしまう・・・

 つまり、霊能者の方がそれに当てはまります。

 (魂の次元の高い方がすべて霊能者だとは言い切れません。他の分野で能力を発揮されている方々もいらっしゃいます。)

 霊感がそう強くなくても霊的な話題を受け入れられる方、あるいは霊感を持つ方は、転生を何度も繰り返してきた古い魂の方であったり、やはり五次元や六次元以上の方であるそうです。




 次回は、今回の補足を含め、引用文にある

「この世界には時間が存在しない」

ことについて、述べる予定です。



 ~ 追伸 ~

 いつも私のブログページをお読みくださり、感謝致しております。
 
 著者御本人様と親しくさせて頂いている身として、『神の選択』をより判りやすく説明しようと願って書いてはおりますが、いかんせん至らぬところも多々あることと思われます。

 内容をより充実させる為にも、御感想や御質問などをお気軽に寄せて頂けると嬉しく感じます。

 これからも、どうぞよろしくお願い致します。


  ムジェロ