深夜のガソリンスタンドはカオスです

深夜のガソリンスタンドはカオスです

GARANDOと申します。還暦過ぎのおっさんです。
驚くべき深夜のガソリンスタンドの
実態や出来事をこっそりと…
あと、自己破産に関していろいろと…

零細企業ながら技術力は、というか開発力は、現場含めありました。

 

このあたりは、社長の懐の深さが一因でした。

 

仕事を取ってくる側の私も、得意先での無理難題も、「できるかもしれない」で持ち帰りができたのは、この2点のおかげでした。

 

 

◆仕事には「ミキサー」つまり撹拌機を最初に使うのですが、普通の混ぜる機械だと比重分離して粉や粒型のものは良くなかったのです。

 

もちろん「タンブラー」というぐるぐる機械を回すという装置もあったのですが、掃除等不便だったり、大掛かりだったりで、使いづらかったのです。

 

社長はミキサー製造会社にいろいろ提案、3回以上試作品作り、器と羽根に工夫施し、分離しにくい機械を作り出しました。

 

業界に置いて今は一般的な仕様になっています。

 

ちなみに、製造会社は量産していますが、社長は「お礼も1銭もない」とぼやいていました。

 

ただ、導入が早かったので、私は「混ぜるだけ」の仕事を数多く取るのに成功しました。

 

最終的には手が回らなくなり、外注も探し、設備してもらい、事業拡大しましたが今はどうなっているのか、わかりません。

 

 

◆仕事にどうしても「乾燥」が必要な仕事があり、熱風除湿機が必要になったのですが、ここでも社長のアイデアが炸裂しました。

 

古い機械は、パージ(清掃)時に、乾燥機の中に入らないと行けなく、酸欠含め危ない状況がありました。

 

そこで、社長は乾燥機メーカーに、中に上から入るのではなく、下から脚立で入れるような乾燥機をデザイン(といってもメーカーの乾燥機設計図にちゃちゃっと手を加えただけですが)、それを作れと指示しました。

 

メーカーは「作ったことない、無理」の一点張りでしたが、金は払うの一言で動きました。

 

これも、試行を3回くらい、社長肝いりの完全なものができました。

 

何よりも、社員が「危険回避」「掃除が容易」「ゴミの出が少ない」など大歓迎でした。

 

これも、今はこの所長の作った仕様が一般的になっています。

 

ちなみにこちらは「感謝状一通だけ」と社長は苦笑していました。

 

インラインではなく、仕様上独立型になったため、「乾燥だけ」の仕事も取れるようになり、仕事の幅が広がりました。

 

 

◆アルムナイ(出戻り社員)や、定年退職者を積極的に採用していました。

 

特に一回辞めて、「もう一度雇ってください」という人に関しては、やめる前の役職を外して一番下というのを、まず自覚させる、

そして、社員が納得したらもとの役職に戻すということをしていました。

 

私のいる間に4人、該当者がいて、4人とも以前よりも労働に関して積極的になっていました。

 

以前書いたISO9001取得にも、一番理解あったのがこの方たちでした。

 

一回外を見てきているは強みで、いる社員に外の大変さを伝え、退職しようとする人を何人引き止めたかわかりません。

 

ただ、私がやめる頃に思ったのは、「新陳代謝がない」ということ。

 

危険な作業もあり、注意力はあったので、マンネリ化の事故はまずなかったのですが、小さなヒヤリ・ハットはあり、気になりつつ私は退職しました。

 

後で、伝え聞くに、社長は私も戻ってくると思っていたようで、退職日に社長がいなかった理由がなんとなく察知できました。

 

 

◆工場のカラーリングもすごかったです。

 

危ない所は黄色や赤色に塗り、問題なさそうなところは緑色に塗っていました。

 

社長いわく「意識的に、また都度、変えないとマンネリになって危ない」と。

 

年末大掃除時期に、現場の人たちと意見交換して塗っていました。

 

意外とこういう地味なところもすごかった社長です。

 

 

◆現場の勤務体型は、最初は5勤務2休(土日)が二回で、深夜勤務5勤務2休のあと4勤務3休で28日を2グループで回していました。

 

忙しくなるとともに、機械は365日使えるのでもったいないとどうやったら土日も動かせるか検討、3グループ作り3勤務1休み→3深夜勤務2休で回す、パズルのような勤務体型を作りました。

 

当初、3工場あるうちの1工場に適用しましたら、当初は「土日の休みがなくなる」で文句言っていた社員たちが、しばらくすると掌返しで、「最高」と言い始めました。

 

理由は、平日の休みを有給休暇使わず取れる日がある、土日も一ヶ月に必ず一回は休みになる、5勤務より3勤務のほうが楽で安全、などの意見が出ました。

 

最終的には3工場すべてが3勤務1休み→3深夜勤務2休で回すことになりました。

 

これを可能にした一番の要因は、工場長、副工場長はシフトに入らないということにしたこと。場合により深夜、場合により日勤、病気等で欠員が出たらそこに入るという「仕組み」を作ったことでしょう。

 

同業他社でもこの方式真似たところがあると、これも伝え聞きました。

 

 

◆決算は3月ではなく、違う月でした。

 

営業的には楽、辛いどちらも感じませんでした。

 

理由は、社長いわく「3月は集中して計理士が大変な上、コスト高。違う落ち着いたときにしたら、計理士が『費用安くていい』と言ってきたのでそうした。」

 

実に合理的な考えでした。

 

 

◆自殺者含め、私の勤務期間に3人なくなりました。

 

そのうちの一人は、トラック運転手でしたが、荷物量増加の事情によりトラック廃止とともに退職しました。

 

身寄りのない人で、社長が身元引受人で雇っていましたが、「現場がいや」ということで仕方なかったです。

 

数カ月後、アパートで餓死で見つかりました。

 

手厚く葬ったのを覚えています。

 

ちなみに、辞めると思っていた他のトラック運転手は、水を得た魚のように、中心になって現場作業していました。

 

 

◆75歳で、大汗かいてパージ専門にしていた方いたのですが、社長が(私も同席)自宅へ菓子折り持って行き、「これからは奥様を大事にしてください」というと、号泣で「ありがとうございます」と言われたSさん。

 

今でも夢に出てくるくらい記憶に残っています。

 

 

次回はこの会社の最後、私の退職他の話しになります。

●先日、石川ナンバーのレンタカーで来られ、携行缶に自分でガソリン入れようとしたお客がいて、給油停止ボタン押し、注意に行きました。

 

すると「What?」外国人でした。

 

携行缶に給油できないPOPは貼ってあるのですが、日本語で、私もほとんど英語はできません。

 

「No English」「No Japanese]のやり取りの後、突っかかって来たので、思わず関西弁で「じゃっかあしいわ。でけへんゆうたらでけへんねん」と突っぱねたら、キョトンとした顔して、頭下げて出ていきました。

 

上司に報告の上、英語のPOPもいると伝えると、上司からは「自分で、翻訳ソフト使って作れ」との指示。

 

会社の問題ではないかと問うと、長い答えが返って来ました。

 

「以前トイレの使用法で、外国人ともめたことがある。今はコンビニなんかは他国語のPOPあるけど、スタンドでは一つとして見ないだろう。元売り各社も外国語表示に消極的なのは、外国人排他というか認めないという風潮が社内にあるとしか思えない。各スタンドからの要請にも外国語関係は答えてくれないんだ。自分の身は自分で守ることから、作れと言ったのだ」

 

今はATMやお店の注文用パネルなど、外国語表示、少なくとも英語表示あるのに、そういえば、給油機操作盤も外国人対応にはなっていません。

 

聞くだに、Apollo、Eneos、コスモなどすべてらしいです。

 

裏にある本当の理由はわからないですが、上司の言葉に妙に納得しました。

 

もちろん数年勤めて初めてのことだったので、まだ作っていません。

 

ちなみに日中は、社員が給油するので問題はないのですが、深夜はワンオペがほとんどで禁止になっています。

 

 

●お客より「レギュラーの車にハイオク入れても問題ないか?」の質問がありました。

 

答えは「問題ない」です。

 

エンジン洗浄にはハイオクのほうが少しだけいいです。

 

で、「燃費は変わらないのか?」の質問には、「車による」と答えました。

 

現実、車によってわからないが実情です。

 

ちなみに所長の軽自動車は「ハイオクのほうが少し得」とのこと。

 

価格をレギュラー160円/lとすると、ハイオクは11円上で171円/l。

 

これをベースに考えるとレギュラーで10km/l燃費の車だと、ハイオクで11km/l走ったらお得になります。

 

金額上がれば上がるほど、得という計算が成り立つのです。

 

試してみる価値あるとは思います。

 

よく、レギュラーとハイオク半々入れる人がいますが、効果は微妙でしょう。

 

車がレギュラー仕様かハイオク仕様かでも異なると私は思っています。

 

 

●震度4以上の地震のときには、当スタンドの場合、油量計のチェックが義務付けられています。

 

地震起きた直後と一時間後のデータを出します。

 

もちろん、安全を担保した後での作業を指示されています。

 

震度確認はネットで行いますが、私の勤務時には先日で、二回目でした。

 

基準値等は私は関わりないので知らないですが、地震でタンクやパイプに割れがないかを見るためです。

 

当スタンドはタンク等更改時期は来ていませんが、後数年なので、気がかりではあります。

 

 

●この冬は、深夜に作業になること度々でしたが、強風確認時に、陣旗や設置物、各給油機に貼ってあるPOPやウエスの引き上げなど、飛ぶ可能性のあるものの片付けをしなければなりません。

 

ウエスなどはいいものの。POPが飛んで、お客の車に傷がついたという事項が、他のスタンドであったためです。

 

普段暇な深夜スタンドも、時折忙しくなります。

 

他に凍ったら洗車機停止作業や、凍った場所の掃除(氷等の撤去)など、冬は仕事が重なります。

 

これからは少しのんびりできそうです。

 

いろいろ、今考えると面白い変わった社長でした。

 

 

◎大の巨人ファン。当時「130勝0敗が希望」と言っていたくらい。他チームも含め、詳しかったです。

勝った翌日と負けた翌日では機嫌が大違い。気を遣いました。

 

 

◎競馬は中央競馬だけで本命党。一点にドカンといくタイプでした。

こちらも詳しく、自信あるレースやG1にしか賭けない人でした。

ある小さな商社の社長と商売含め仲が良かったのですが、その社長は100円馬券を20点とか買う人でした。

社長がその社長に「社長業がそんなにみみっちくてどうする。会社潰れるぞ。」と話したのを、同行訪問の時に聞きました。

私は「趣味ならば何でもあり」と思っていたので「何だこいつ」でした。

が、数年後100円馬券社長の会社は倒産しました。

 

 

◎本社社屋新築時に社長室作るかどうかの相談ありました。

古い社屋ではプレハブで一番端のよく見えるところに座って、居眠りしていたので、「ぜひ作ってそこで寝てください。」と言ったところ、「一人が怖い」時でこっぴどく叱られました。

が、作って正解でした。

 

 

◎他社に先駆けてETCが導入されました。

私の高速券大量使用と換金化を問題視したかどうかは不明です。

で、私や自社トラックまず付けたのですが、私が付けている時にサービスマンが「社長のベンツは前面ガラスの仕様によっては付けられないかもしれない」と言われ、帰社後社長に報告。

その時の社長の言葉「俺の車に付かなかったら、全車外す。」

結果は無事付いたので良かったのですが。

 

 

◎その後、これも私やトラックを問題視したのか「全車にGPS付ける」と。

私は間髪入れずに「ETCのこともあるので社長の車含め全車ですよね。」

専務と社長室で相談後「GPSは付けません」と。

そりゃ社長の車にはつけられないでしょ。

 

 

◎飽きっぽい性格で、食事処も一時頻繁に通っても飽きたり、なんか気分悪いことあったらすぐに、行かなくなるという性格。

金魚や鯉飼ったかと思ったら数年で餌も遣らなくなり近所の人へ。

伝書鳩、烏骨鶏、シェパード皆同じ感じでした。

 

 

◎入社してしばらくしたらゴルフ始めたのですが、すぐに辞めました。

これも飽きたかと思ったら、「いつもブービーかメーカー(しんがりかその前)なので行きたくなくなった。」とのこと。

私が商社と仕事始めたら、当然社長に打診がいくつか。

すると今度はプロに習い始めました。

「社長の仕事だよな」と私に言って。

みるみるうちに上達。

数年後には社長室にトロフィーが並ぶ状況。

ただ某商社の社長に「おたくの社長はすごいことを言う」と嫌味言われました。

体格からドラコン(飛距離争い)も総なめすること多かったようです。

その商社のコンペで4つともドラコン商品取った社長が一言求められた時に言った言葉が「フェアウェイにボールを置くだけのことです。」

 

 

◎時計好きで、よくROLEXの時計のメンテナンスのために、丸の内のショップに行かされました。

近くに商社があったからですが。

何本あったかは覚えていません。

 

 

◎会社の飲み会(バーベキュー大会?)で、しこたま飲まされ帰れず、裏の社長宅に泊まった時。

布団は20畳くらいの部屋なのに、某宗教の仏壇の前に敷かれていて、びっくりしました。

寝た心地もなく、朝5時に起きて帰宅しました。

 

 

◎車の整備等にはうるさく、「洗車機は一週間に一度は通せ」「タイヤは4万kmごとに交換」「オイル交換は1万kmごと必ず交換」など言われました。

営業車は車検受けず、車検が来たら新車乗り換えというありがたい状況。

まあ、一年に4万km以上走っていたので、そうなりますかね。

日産の車のオンパレードでした。

 

 

◎その日産の理由が、若い営業マンが好きだったから。とにかく何時間でも社長の話を聞く人でした。

朝来て、昼飯食べて15時くらいまでということもありました。

うちに来る仕入先や得意先にも紹介して、その営業マンはどれくらい売ったでしょう。

もちろん、お礼も必ず来て、商品券とか置いて行かれましたが、これは忘年会で社員にプレゼント(後出)。

ちなみに、その営業マン、後に独立して車販の会社設立、ベンツに乗り出したのも、それがあってのことでした。

 

 

◎社長の口癖「社長は自分を守るためために高級車に乗るが、高級車は査定が落ちない。」

シーマ、ベンツ、レクサスと乗っていましたが、私には運転させませんでした。

シーマの時に「運転しろ」で運転。

左ドアミラーを車幅規制のポールに接触させた以来、社長車で出かける時は社長の運転でした。

 

 

◎東日本大震災時、私は営業先から直帰できたのですが、社員たちには崩れた荷物等、後片付けさせて、遅くなったそうです。

私は、社長に「報酬出すべき」と進言。

また、私は出勤しましたが、電車または車で来れない人や家庭的に来れない人には対応すべきと伝えました。

ここでも言い合いましたが(ましてや私は直帰だったこともあり)、最終的には私の意見を聞き、皆に対応。

社員たちから社長は感謝されました。

私には利益はなかったですが。

 

 

◎年末は総出で大掃除と工場の塗装。

その後忘年会ですが、私が退職前、数年は同じ場所でした。

50人近く入れて、かつ自由効く店は少ないです。

その前は年幹事が場所探ししていましたが、この固定化も私の意見でした。

で、忘年会ではその年に、社長や会社が得意先等からもらったものを、クイズ大会(総務が考えた)やカラオケの上手だった人などに、惜しげもなくプレゼントでした。

缶ビールやらジュース、一時期「なんでお中元にこんなもの送って来るんだ」と社長が嘆いたそうめんや珍味なども。

やはり、皆の目当ては商品券。

このときばかりは、皆「社長、社長!」

ご満悦だった社長の顔を思い出します。

 

 

次回は仕事における会社、社長の功績など。

以前書いたのと重複したらごめんなさい。

 

 

◆当所の洗車機、400円のシャンプー洗車から2500円のガラスコートまであります。だいたい400円の人ほど、備え付けの洗車用タオル使います。一応枚数制限書いてあるのですが、日本語わからない(外国人含め)方が意外と多く、注意すると「知らなかった」。注意しないとずっとそのまま使っていきますからね。悪者になっても言います。

 

 

◆同じように「洗車機使った方用」と書いてあるのに、汚れた車のまま拭くバカもいます。所長は自分が洗濯するわけでもないので、注意しません。そんなものですね。私は見つけたら注意します。上記と同じ理由です。

 

 

◆現在灯油、18リットル1980円なのですが(長らくこの価格)、2000円入れて、遠い釣り銭機に20円出しに来る人見ると、「2000円入れればいいのに」と思います。タイパを考えない人ですね。だいたい2000円を機械に入れた人の8割は1980円です。中には釣り銭取らない人もいます。これは当所の社員が「取り忘れ処理」を時間かけてします。悩みどころらしいです。

 

 

◆灯油の管理をきちんとすると翌年も使用可能です。だいたい「古い灯油捨ててくれ」とくる人ほど、しっかり管理されています。まず、灯油ポリタンク赤がいいのは赤外線を通しにくいから。冷暗所(玄関等)で日の当たらないところに置いてあれば、まず翌年も使えます。スタンドの地下タンクも古いのを抜いたりしませんから。黄色く変化してなければまず大丈夫と思います。ストーブに入れて、黒いすすがたくさんでるようならば、消して抜いて捨てるでいいと思っています。ちなみにスタンドとしては「だめです」と答え、買っていただく感じですがね。捨てるのにも量によって、金かかるスタンドもあります。ご注意ください。

 

 

◆私達、監視業務者は基本的に、お客が給油口にノズルを入れるのを確認してから、給油指示(OK)を出します。年寄りに多いのですが、ノズルを上向けてOKを待っている方がいます。お願いです、先に給油口にノズル入れてください。

 

 

◆最近千円給油が増えました。高くなったからも在るでしょうが、タイパでしょうね。これでさっと出ていくのはいい客ですが、その場で、タオルで窓拭く人は最低です。給油者の権利ゆえいいのですが、せめて、給油場所から外れて拭いて欲しいです。

 

 

◆ゴミの片付けは缶やペットボトルを外すためにしますが、この日本三大祭りの一つになったヤマザキパンまつりの時は意気揚々と行います。4月末までは拾うのが楽しみだったりします。

しばらくは社長のひととなりの紹介になります。前回さわりを書きましたが、とにかく「一人での行動」がなかなかできない人でした。

 

 

・「仕入先等が『訪問したい」と言って来たら、俺の予定表見て空いていたら、必ず11時を指定してくれ。」

当初、社長に言われたことでした。

要は一人で昼食に行けないからでした。

あとでわかったことですが、一人の時は、自宅に戻って袋麺作って食べるか、回転寿司だったそうです。

行きつけの店には一人では行きにくかったそうです。

 

 

・私が、一泊二日の社内旅行幹事を始めて任された時に、二日目の昼時間を「横浜中華街で自由行動。一人、千五百円支給。」を提案したのですが、当初却下されました。

社長に詰めたら「俺が一人になったらどうする?」と言われたので、「その際は私がお供します。」と答え、承認されました。

このように極端に一人にされるのを怖がっていました。社長業の性でしょうね。

結果は杞憂に終わりました。

工場長始め、数人が「社長、一緒に行きましょう。」と誘い、大喜びで移動しました。

根回し得意の私は、この時は「同行」決めていたので、ノータッチでした。

後でわかったことですが、予想通り、また私も考えていたとおり、すべての費用を社長が出し、皆、お金が浮いたそうです。

後日社長に呼ばれ、「私は嫌われてなかった」と感謝されました。

以降、一人での行動が、逆に怖くなくなったようです。

 

 

・社長がこの仕事始めたのは、薬品関係の会社に勤めていた時に、一部上場メーカーの子会社の総務の人に、「リサイクルの仕事始めてくれないか?」とお願いされたことからでした。

そこの不良商品が大手メーカーのレッテルを貼ったまま、廃棄物処理業者によって夢の島に捨てられ、表沙汰になったのがきっかけでした。

当初は、細かく砕いて、その会社に4トン戻すだけで、一ヶ月食えたそうです。

もちろん私が入社の頃には時代は違っていて、40トン売っても食えるかどうかの時代でした。

ちなみにその総務の人は後にそこの社長になりました。

 

 

・仕入先の話し書きましたが、仕入れに関しては私は一切触れていません。

が、常々話していたのは「3社から仕入れる際は7:2:1で仕入れる、1や2のところにもチャンス残すことが大事で仕入れがなかったら販売はない」、が社長の口癖でした。

私の中に今も活きていて、逆に相手から切られたら二度と供給しないことにしています。

 

 

・商売においての言葉で一番心に残っているのは「手離れは早く」です。

仕入れたものを寝かせて高くなるのを待つのは、場所代等考えたらマイナス。

とにかく安くても利益出るならば、早く売ってしまえ、でした。

この教訓は今でもしっかり私の中に根ざしています。

場合によっては損切りもありますが、それは仕方のないことで、トータルの利益を考えることが重要と教えられました。

 

 

多少重複もありますが、お許しを。次回は社長の奇妙な癖や習性など。