さて、長年いた会社のオーナー社長の人柄などを。今でも感謝と尊敬の念です。
・最初面接で会った時は「えっ、そっち系の人?」という第一印象。
自分の話に信義という言葉挟んでくるし。
ただ、「あなたのために新車用意してあります。」と車見せられ、「休みは自由に使ってください。保険も入っています。ガソリン代は遠出以外は会社のガソリンカードで入れてください。」
子供も小さく、それだけで入社決めた感じ。
・専務は社長の弟で、営業と現場の扇の要。ばりばりの某宗教の頭(かしら)でした。
社長もその宗教でしたが、自民党大嫌いで、一線を画してました。
この辺が続いた理由でしょう。
二人に入社時「勧誘したらすぐ辞める」と伝えて以降、退職前までお誘いはなかったです。
・一応営繕やっていた社長の父親が亡くなった時、取締役になっている奥様の父親が亡くなった時、ともに「葬儀は近親で」という考えだった社長。
平成期でしたが、株式会社である限りそれはまずいと私は言いました。
普段、外(営業)に出ない社長故、弔問外交は重要との私の観点。
結果、いろんな会社と関係がよくなり、社長に感謝されました。
・社に入って、私と二人での食事は、営業回り以外では、つまり昼食以外では、ほとんどなし。
得意先接待時は食事したものの、「二人で」はなかったです。
理由は「社員に差をつけたくない」。
平等精神はかなりありました。
・社長は高級車に乗っていました。
理由は「事故しても安全な車、次の下取り時に価格が落ちない車。」でした。
しかし、まだ飲酒運転に対する刑罰が緩かった時代、朝行くとフロントが壊れて置かれていた社長の車を何回か見ました。
厳しくなった途端、一切飲酒運転しなくなり、代行さんとも仲良くなっていました。
地域の付き合いを大事する人でした。
・学校も近くにあり、当時、匂いのする工場だったので、周辺への気遣いはすごかったです。
最初の頃、一回、夜に「匂いがすごい、やめて欲しい。」と言って来た女性がいて、翌朝社長に風体等話したら「それは私の妻だ!」
会社の裏手に自宅があるのは知っていましたが、奥様の顔は知らなかった時です。
その日すぐに、対策のためどうするか専務と話し、関係会社を呼び、翌日から対策を取りました。
特に仕入れのお金にはうるさい人でしたが、この時は「金にいとめはつけない」と関係会社に言っていました。
・学校関係、地域関係の行事等にはきちんと寄付をするのはもちろん、学校遠足の時は、観光バスに場所を貸したり、とにかく気遣いの鋭い人でした。
・営業会議は事務所の机、事務員のいるところで、当初は専務と社長と私、3人で。30分以内でした。
これも私が決めたこと、事務方が証人になります。
半分は私の報告と意見であとは上司二人からのお説教で終了。
息子が入って来たあとも、同じように4人で、他の社員の前で行いました。
その後、ISOで全体会議が必要になったのですが、社長は一切顔出さず。専務が中心で行いました。
社員の意見が出やすいように考えたのですが、当初社長には「俺を外すのはなぜだ!」と言われたものでした。
これに関しては、私が幹事の旅行に続きます。
次回も社長のひととなり等の続きです。