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深夜のガソリンスタンドはカオスです

GARANDOと申します。還暦過ぎのおっさんです。
驚くべき深夜のガソリンスタンドの
実態や出来事をこっそりと…
あと、自己破産に関していろいろと…

さて、長年いた会社のオーナー社長の人柄などを。今でも感謝と尊敬の念です。

 

 

・最初面接で会った時は「えっ、そっち系の人?」という第一印象。

自分の話に信義という言葉挟んでくるし。

ただ、「あなたのために新車用意してあります。」と車見せられ、「休みは自由に使ってください。保険も入っています。ガソリン代は遠出以外は会社のガソリンカードで入れてください。」

子供も小さく、それだけで入社決めた感じ。

 

 

・専務は社長の弟で、営業と現場の扇の要。ばりばりの某宗教の頭(かしら)でした。

社長もその宗教でしたが、自民党大嫌いで、一線を画してました。

この辺が続いた理由でしょう。

二人に入社時「勧誘したらすぐ辞める」と伝えて以降、退職前までお誘いはなかったです。

 

 

・一応営繕やっていた社長の父親が亡くなった時、取締役になっている奥様の父親が亡くなった時、ともに「葬儀は近親で」という考えだった社長。

平成期でしたが、株式会社である限りそれはまずいと私は言いました。

普段、外(営業)に出ない社長故、弔問外交は重要との私の観点。

結果、いろんな会社と関係がよくなり、社長に感謝されました。

 

 

・社に入って、私と二人での食事は、営業回り以外では、つまり昼食以外では、ほとんどなし。

得意先接待時は食事したものの、「二人で」はなかったです。

理由は「社員に差をつけたくない」。

平等精神はかなりありました。

 

 

・社長は高級車に乗っていました。

理由は「事故しても安全な車、次の下取り時に価格が落ちない車。」でした。

しかし、まだ飲酒運転に対する刑罰が緩かった時代、朝行くとフロントが壊れて置かれていた社長の車を何回か見ました。

厳しくなった途端、一切飲酒運転しなくなり、代行さんとも仲良くなっていました。

地域の付き合いを大事する人でした。

 

 

・学校も近くにあり、当時、匂いのする工場だったので、周辺への気遣いはすごかったです。

最初の頃、一回、夜に「匂いがすごい、やめて欲しい。」と言って来た女性がいて、翌朝社長に風体等話したら「それは私の妻だ!」

会社の裏手に自宅があるのは知っていましたが、奥様の顔は知らなかった時です。

その日すぐに、対策のためどうするか専務と話し、関係会社を呼び、翌日から対策を取りました。

特に仕入れのお金にはうるさい人でしたが、この時は「金にいとめはつけない」と関係会社に言っていました。

 

 

・学校関係、地域関係の行事等にはきちんと寄付をするのはもちろん、学校遠足の時は、観光バスに場所を貸したり、とにかく気遣いの鋭い人でした。

 

 

・営業会議は事務所の机、事務員のいるところで、当初は専務と社長と私、3人で。30分以内でした。

これも私が決めたこと、事務方が証人になります。

半分は私の報告と意見であとは上司二人からのお説教で終了。

息子が入って来たあとも、同じように4人で、他の社員の前で行いました。

その後、ISOで全体会議が必要になったのですが、社長は一切顔出さず。専務が中心で行いました。

社員の意見が出やすいように考えたのですが、当初社長には「俺を外すのはなぜだ!」と言われたものでした。

これに関しては、私が幹事の旅行に続きます。

 

 

次回も社長のひととなり等の続きです。

 

 

半年以上開きました、すみません。

 

 

会社にパソコン導入された際、私より年上の女性は、「辞める」の一点張りでした。少し勉強していた私は面白さだけ教えました。当時はネットサイトもあまりなかったのですが、当時は販売されていた「ネットサイト一覧」のような本を購入。みんなで半分遊び心で使用していました。

 

 

その後、社長から「会社のサイトを作れ」の指示が出て、当時高校生の私の息子に相談したら、土日3週間で完成させました。社長からは微々たる金一封。息子も最初は文句たらたらでしたが、その経験が以後活きて、「面白かった」に変化しました。

 

 

社長の息子が大学卒業と同時に入社。しかもすぐ結婚。結婚式はありませんでした。その息子の指導役になりました。当初は現場に入っていたのですが、一年くらいで営業へ。私の部下になりました。ちょうど、他社との差別化が必要となってきた頃です。OEMの会社を定年退職した会社に馴染みの旧部長を受け入れてくれとOEMの先から要望あり、受け入れました。その人から「今後製造業にはISO9001が必要になるので私が構築する」と社長に打診あり、受け入れました。

 

 

ここで問題発生。約半年、大金はたいてコンサルティング会社に依頼も、一向に前に進みません。理由はOEMの大会社の理論を、零細企業の当社に押し付けてくるので、天下りの方もどうしていいかわからず、社長とも衝突し始めました。社長は私に、「お前なら社の身の丈に合ったISO作れるだろう?」と要請がありました。

 

 

2週間かけて専門書を読み、青写真を作って社長に報告。「息子をフルに使わせてもらえるならば可能」と伝えました。理由は次期を担う息子に理解してもらう必要があることと、パソコン熟知の息子に大量の書類を作成してもらうためでした。社長は嘱託の人に解雇を伝えました。大喧嘩だったらしいですが、OEMの会社にも訳を話しに行き納得していただいたとのことで、こちらの仕事になりました。週一回の全体ミーティングを短時間で行い、身の丈のISO9001を約3ヶ月で構築しました。社長の息子の惜しまぬ努力のおかげではありました。コンサルティング会社は「うまいもんだ」と舌を巻き、認証にこぎつけました。

 

 

この認証が、他のメーカーの目に止まり、かつ武器になり、商社含め仕事が入って来るようになり、オーバーフローを起こしました。私としたら「これで謝りに行く羽目になるのか」と多少嫌気も出ましたが、わずかながら臨時ボーナス出す社長の作戦にまんまと引っかかり、こなしました。機械の増設もその後され、ISOは社員教育にも役立ち、全体の士気が上がったことを加えておきます。

 

 

次回は社長のあれこれを。

またかなり時間経過して申し訳ありません。

 

 

さて、今回は改革の話し。入社時、営業はいなくて、社長と専務で切り盛りしていました。私が入社半年前に働いていた人が、社長兄弟と喧嘩して独立。いくつかの客はその人に取られて、かなり業績も落ち込んでいました。

 

 

メインは樹脂メーカーのOEMも、工賃仕事のため、売上額は上がらず。ただしこちらは翌月振込で収入は安定でした。

独立した人にリサイクルの仕事の半分以上を持って行かれていました。その上、売上のほとんどが小企業(家内工業)中心で、中には手形のところもありました。

 

 

そこで提案。持って行かれた会社の取り戻しよりは、新規開拓のほうがいいと進言。まずはしっかりした会社案内を作りました。それを持って大手商社を回らせてほしい。時間かかるかもしれないが、売上は作ると話しました。社長は大手は手形がほとんどの時代で、嫌味を言われましたが、営業は私しかいないので、許可くれました。

 

 

後は、社内作業員向けに「この原料が何になっているのか」を伝えました。メーカーから当社原料を使って作った製品を分けてもらい、社内にガラスケース備えて置きました。OEM品は先のメーカーへ頭下げて、特殊な配管や線材他、リサイクル原料で作った大手スーパーのショッピングカゴや害虫駆除容器など、わかりやすいものを飾りました。てきめん、不良品の製造が急激に減りました。作業員の意識が変わった瞬間でした。

 

 

3ヶ月ほどで2社から少しずつ仕事が来ました。そのうち1社は上場会社で、その手形が有利に働きました。取引銀行が驚いて、融資の話しが2行から。噂が広まったのか、会社立ち上げ時に協力を渋った地銀からも声がかかったと社長は喜びました。

 

 

OEMの仕事で、どうしてもほしかった2億円近い機械を、OEM先の会社と同じ仕様の許可を社長が取り付け、設計図不要で4,000万円の金額で2台購入。OEM先からは優先で仕事が入るようになりました。以前から宝の持ち腐れだった1億の機械にも仕事が舞い込み、売上は確か4倍くらいになったと記憶しています。

 

 

その後、この関係で話すと、5年後から5年くらいかけて、受取手形をなくしました。手形の割引手数料分を値引きする形にして翌月振込にしていただくよう働きかけたのです。大手商社はほとんどOKになりました。中には期日現金(手形なしで数カ月後現金振込する)と言ってきたところありましたが、資金にならないので、丁重に仕事自体もお断りしました。

 

 

中には本当に現金で払う小規模会社もあり、400万円から500万円の現金の集金も現れ、集金しては高速で即帰社ということをしていました。

 

 

社長はこの手も、せっかく大手の手形が有効に働いたのに、せっかく大手の仕事を自慢していたのに、など当初、不満でしたが、資金繰りが一気に楽になり、かつ銀行の借り入れ金利も下がったので、あとから礼を言われました。

 

 

ただ、同業他社の同じ動きが、10年過ぎたあたりから何社も出てきて差別化が必要になりました。次回はそれを含めた社長の長男指導の話しにします。

 

 

気長にお待ちください。

◆有名な記者などのブログで上がっていますが、深夜スタンドはどこでも誰か一人はいます。カップルのいちゃいちゃは微笑ましいも、給油はなるべく一人で願います。静電気の量が二人だと二倍です。給油時に二人とも静電気除去シートに触れていればまだいいですが、大体が給油者のみなので、監督者は気をつけて見ています。

 

 

◆ガソリンスタンドでタバコの吸い殻捨てるは正解ですが、できれば給油前に捨ててください。喫煙される方が、窓やドアを明けて給油されるのは、もし、灰皿のタバコに火が残っていたらと考えると危険だからです。

 

 

◆ゴミを管理、整理、まとめてゴミ置き場に持っていくのですが、当所はだいたい平日一日で平均90リットルの袋1つ分です。土日は2つになることもあります。圧倒的にセブンイレブンとマクドナルドのゴミが多いです。一週間ほど数えましたがコンビニでは、セブンイレブンが70%、ローソン、ファミリーマートが各15%くらいの比率で、驚いています。もちろん弁当ゴミとなると、スーパーや弁当会社のものが加わりますが、それでもセブンイレブンとマクドナルドが多いと感じる、それくらい支配していると思ってください。

 

 

◆終了していますが、某パン祭り時は、点数シール集めるのもゴミ整理の楽しみの一つ。今年は皿二枚ゲットして、シール応募は二社にできました。可燃ごみに缶捨てる人が中にいるので、一応確認が必要です。飲料缶に付いている応募シールは興味あるもノータッチです。意外とそういう方多いのではと思います。

 

 

◆花見シーズンは、未開封食品も捨てられます。しっかり確認して持ち帰るものもあります。特に缶詰やレトルト系は洗ったりしていただくこともあります。花見のゴミは一見してわかるものです。

 

 

◆5月初旬の洗車数は半端ないくらい多かったです。当所においては7日までに日中含めて、洗車800台を超えました。意外と出かけてない人が多かった感じもします。もちろんこの期間は他府県ナンバーの給油は多く、タンクローリーは2日に一回来ていました。

 

 

◆個人的には気になるのが、スマートフォン片手の給油。スタンドとして、スマートフォンによるアプリや給油確定を支持していることもあり、注意はできないのですが、充電時ではないからいいのかもしれないですが、発火のおそれがないわけではないので、なるべく車内に置いてほしいが本音です。

半年近く開いてすみません。手術等、去年一年はがんとの闘い。すべてを摘出しての検査は3回続けて異状なしの良好。ちなみに完治(寛解)は5年間データが大きく変化しなかったらとのことなので、まだまだです。

 

 

さて、前回のプラスチックの会社で、スカウトされて移った会社からですが、実は前回のプラスチックの会社は昨年倒産していました。細かい内容は見ていないのですが、旧態依然としていたのは、今回の会社でわかっていたので、そのためかなと感じています。

 

 

仕事内容はプラスチックの原材料製造で、前の会社と同じですが、作るものや、機械が全く異なりました。同じなのは「プラスチックを熱で溶かして作る」ということだけ。前の会社は主要2品目作れば、ほかに当時はあまりなかったので、商社に買ってもらえるでしたが、この会社は、リサイクル原料製造と大手メーカーの加工のお手伝い(OEM)が主の会社でした。

 

 

大手メーカーの仕事は、メーカーの言うとおりの配合で原料を作り、配達して、工賃をいただくというもの。ちなみに、皆さんの生活基盤になっている原料を作っていましたが、「最終製品が目に見えない」仕事でした。

 

 

リサイクル原料に関しては、「最終製品は目に見える」のですが、使う側が見せたくないものがほとんどで、主に中小企業メーカーへの販売でした。この「見える見えない」に関しては次回以降に。

 

 

社長(オーナー)、専務(社長の弟)が主で、現場には社長のいとこの子など、親戚筋(私は親藩、譜代と称していました)が8人。営繕は社長のお父さんがやっているという、家族関係の強い会社でした。従業員の三分の一が親藩、譜代でした。

 

 

誘ってくれた方は、前会社とこの会社に仕事を出している小さな商社の人でした。ちなみにこの方は定年後独立。当社(ここから当社にします)の顧問にもなられ、会社の旅行や行事には常に参加されました。

 

 

入社の決めては面接時に「新車を営業車として与える。ガソリンは私用の遠出以外は要求しない(日常生活でのガソリンはOK)。給与は前職の10%増し。朝8時スタート、夕方は18時回ったら自由に帰ってOK。直帰も朝に白板に書いたらOK。土曜は隔週休み(当時はあまりなかった)。年末年始、GW、旧盆はそれなりの休み。」などの条件をすべて出していただき、即決でした。

 

 

ただ、一番引っかかったのは社長一族の宗教。私ははじめに社長、専務に「勧誘してきたら辞めます」と断言。実はこれが19年後の退職理由の一つに利用されたのですが、それは後ほど。要はその間、一回も勧誘なく、かなり自由に営業させて頂いたことが、続いた理由でした。

 

 

次回は、入社後、驚いたことがいくつかあり、社長、専務と相談。大改革を行ったことからです。