私の仕事歴 その7ー5 | 深夜のガソリンスタンドはカオスです

深夜のガソリンスタンドはカオスです

GARANDOと申します。還暦過ぎのおっさんです。
驚くべき深夜のガソリンスタンドの
実態や出来事をこっそりと…
あと、自己破産に関していろいろと…

しばらくは社長のひととなりの紹介になります。前回さわりを書きましたが、とにかく「一人での行動」がなかなかできない人でした。

 

 

・「仕入先等が『訪問したい」と言って来たら、俺の予定表見て空いていたら、必ず11時を指定してくれ。」

当初、社長に言われたことでした。

要は一人で昼食に行けないからでした。

あとでわかったことですが、一人の時は、自宅に戻って袋麺作って食べるか、回転寿司だったそうです。

行きつけの店には一人では行きにくかったそうです。

 

 

・私が、一泊二日の社内旅行幹事を始めて任された時に、二日目の昼時間を「横浜中華街で自由行動。一人、千五百円支給。」を提案したのですが、当初却下されました。

社長に詰めたら「俺が一人になったらどうする?」と言われたので、「その際は私がお供します。」と答え、承認されました。

このように極端に一人にされるのを怖がっていました。社長業の性でしょうね。

結果は杞憂に終わりました。

工場長始め、数人が「社長、一緒に行きましょう。」と誘い、大喜びで移動しました。

根回し得意の私は、この時は「同行」決めていたので、ノータッチでした。

後でわかったことですが、予想通り、また私も考えていたとおり、すべての費用を社長が出し、皆、お金が浮いたそうです。

後日社長に呼ばれ、「私は嫌われてなかった」と感謝されました。

以降、一人での行動が、逆に怖くなくなったようです。

 

 

・社長がこの仕事始めたのは、薬品関係の会社に勤めていた時に、一部上場メーカーの子会社の総務の人に、「リサイクルの仕事始めてくれないか?」とお願いされたことからでした。

そこの不良商品が大手メーカーのレッテルを貼ったまま、廃棄物処理業者によって夢の島に捨てられ、表沙汰になったのがきっかけでした。

当初は、細かく砕いて、その会社に4トン戻すだけで、一ヶ月食えたそうです。

もちろん私が入社の頃には時代は違っていて、40トン売っても食えるかどうかの時代でした。

ちなみにその総務の人は後にそこの社長になりました。

 

 

・仕入先の話し書きましたが、仕入れに関しては私は一切触れていません。

が、常々話していたのは「3社から仕入れる際は7:2:1で仕入れる、1や2のところにもチャンス残すことが大事で仕入れがなかったら販売はない」、が社長の口癖でした。

私の中に今も活きていて、逆に相手から切られたら二度と供給しないことにしています。

 

 

・商売においての言葉で一番心に残っているのは「手離れは早く」です。

仕入れたものを寝かせて高くなるのを待つのは、場所代等考えたらマイナス。

とにかく安くても利益出るならば、早く売ってしまえ、でした。

この教訓は今でもしっかり私の中に根ざしています。

場合によっては損切りもありますが、それは仕方のないことで、トータルの利益を考えることが重要と教えられました。

 

 

多少重複もありますが、お許しを。次回は社長の奇妙な癖や習性など。