ピヨートル大帝
ブログネタ:最近さわった動物
参加中最近触った動物に小鳥たちを入れていただければ、今朝我が家の藪椿の蜜を吸いに来たヒヨドリに触りました。
ちょっと我慢してて、すぐ放してやるからね。
籠は逃げようとしてくちばしを激しく突っ込みすぐに口の両サイドを傷つけてしまいますが、プラスチックケースはそれがないから君にとって安全だし、また狭いことも暴れられないのでこれも君のためです。絶世の美女~色気あふれるボケたち
紅白咲き分けの梅「思いのまま」が終わり、桜の便りを聞く頃、我が家には今こそ私の出番だとばかりに実に色気のあるボケが登場します。
ボケなどという罪な名前をだれが付けたのかは知らないが、名前など関係ないとばかりに己を主張している我が家のボケには、私もぞっこん惚れ込んでいます。
「美人は三日見れば飽きる、ブスは三日見れば慣れる」と言いますが、我が家のボケは美人なのにいつまでも飽きません。
どのボケとも、もう30年以上の付き合いになります。
ボケNo.1
紅白咲き分けの「東洋錦」という春ボケです。30年以上持ち込んでいるのに、高さは30㎝にも満ちません。見る人がみたらきっと絶世の美女だと言ってくれるのではないかと自分では思っていますが、箱入り娘で自分の敷地から外に出したことがないので、その評価のほどはわかりません。でも、通りがかりの人たちは間違いなく「奇麗ですね」と褒めてくれます。
No.1と同じくらいの大きさの、これも春ボケの「東洋錦」ですが、育ちが悪くてちょっと姿が劣ります。でもこの時期にはしっかりとした美しさを表に出してくれます。頂上部に白が加われば、これがまたツンとして美しい。只今姿矯正中。
これは一つだけ腹違い。上の二つと違いこれは「寒ボケ」でちょっと小さめ。本来なら寒さの一番厳しい12月頃から1、2月が見頃ですが、今年はどういう訳かまだ蕾を出して東洋錦と張り合っています。負けん気だけは人一倍。白の応援なんて貰わなくても赤だけで十分、と突っ張っています。
3つ揃うとこんな感じです。1月から3月まで、ちょうど花の少ない時期に目を楽しませてくれる孝行者です。
それにしてもボケとはだれが付けたものか。もう少し気のきいた名前を付けてやってもよかったろうに・・。きっと思考の貧弱な人が付けたに違いない。
でも「オオイヌノフグり」よりはまだましか。
我が家のボケは、決してぼけてはいません。
奇麗なボケの話でした。
サクランボの桜が咲いたよ!
各地からさくらの開花ニュースが流れる時期になりました。気象庁が開花宣言をやめても、日本人の心からさくらが消えることはありません。
さくらが日本人に好まれるのは、その花の奇麗さだけではなく、散り際の見事さにもあると言われます。
「大和魂とか武士道に通じる日本人の心」だそうです。
精神性が優先するあまり、大和魂も武士道もとうの昔にすたれてしまって平和ボケしている日本人が、こんな時だけ奇麗事で表現します。
「七重八重花は咲けどもやまぶきのみの一つだになきぞ悲しき」
この歌にもあるとおり、八重咲きの花はどのような花でも、観賞用に見栄えを優先して改良するため、結実するという自然の大事な機能を消失させられた悲しい運命を背負っています。
一重の花に美しさを感じることのできる人は、そのような大自然を肌で感じることのできる人だと思います。
そこで今日は、その実のなる一重のさくらの花が咲いたというニュースです。
富士の裾野に住む知人女性から、「サクランボの実がなるさくらの花が満開になりました」というニュースが写真と一緒に届きました。
サクランボの実のなる桜の花です。観賞用の桜より、おしべめしべが大きくて、虫が飛んできたら受粉させずにおくものか、という気概が感じられる花で、奇麗ですね。この花の写真を送ってくれた人も、心やさしいとても奇麗な人です。
時期になるとサクランボが枝もたわわになるのだそうですが、ご本人がもうそろそろ食べられる頃だから収穫しなければと思うまさにその時、自然の鳥もその食べごろを見逃さない。
ひと夜明ければ、熟れていないサクランボだけ奇麗により分け、ほかはものの見事に一粒残らず鳥のエサになってしまっているのだそうです。
もとより彼女は、鳥に食べられないように網などを張る人ではなく、食べられてもそれを笑って許してしまう心優しい人ですから、「一粒くらいは私も食べてみたかったわ」と澄ましています。これも愛でしょうか。
木が大きくなり実がなるようになってから、もう何年も経つのに、いまだに一粒も食べたことがないという、ちょっと風変わりで心やさしい人が寄せてくれたサクランボの実のなる桜の話でした。
梅便り 水戸偕楽園に行ってきました!
我が家の小さな庭に咲く、紅白咲き分けの梅「思いのまま」には相変わらずひっきりなしに小鳥たちの訪問はありますが、でもこの陽気に花はすっかり散って、いまは花柄だけが付いている状態です。
それでは、と梅前線を追って、水戸の偕楽園まで行ってきました。
急ぎ旅ではないので、日暮里から常磐線を利用して3時間がかりで臨時停車駅偕楽園駅に到着。
駅では美しい水戸の梅大使が笑顔で迎えてくれました。
水戸の梅大使は、駅や偕楽園に全部で10人ほどいますが、この梅大使は梅のデザインのきものが良く似合い、梅の花のようにさわやかできれいな人でした。
偕楽園東門から入るといきなり正面に大きな梅の木。きっと記念撮影をする人も多い木であろうに、その幹元には小さな親切・大きな迷惑みたいな「お手洗い」の案内板。入っていきなりお手洗いはないでしょう。
きれいな模様木で満開の時はさぞかし奇麗でしょうが、案内板がちょっと気になる。その前に立って撮れば隠れますが、知らずに撮って、帰ってから気づいたら、きっといいお笑いのネタになることでしょう。
20日現在ではもうほとんどが見ごろを過ぎていましたが、中にはこんなに頑張っている木もありました。
帰りに隣接する常磐神社を通りましたが、ここはもうテキヤの屋台がお祭りみたいにひしめき合って、厳かさは全くありませんでした。
帰り際に振り返ってシャッターを押した一枚。葵の御紋がまぶしい。でも高すぎて、「これが目に入らぬか!」と言われても、「はいらないよね。」という感じ。
ところで水戸駅の一つ手前の臨時停車駅である偕楽園駅は、下りの駅しかないので、ここから東京方面に帰る人はいったん水戸駅まで行かなければいけません。いやでも水戸まで行ってもらおうというJRと茨城県の作戦かどうかは分かりませんが、ここまで来たらせっかくですから水戸まで行きましょう。
水戸駅に着くと、今度は水戸黄門様と助さん格さんが迎えてくれました。
観光客と一緒に記念写真を撮りすぎてか、3人とも「はいポーズ!」のまま固まっていました。
水戸と言えば水戸城址ですが、聞けばそれは面影もないとか。やむなくその近くの弘道館に足をのばし、斉昭公を偲んで参りました。
重要文化財の弘道館正門は、皇族がお出でになった時しか開かない通常開かずの門ですが、幸い梅祭りのそれも土日だけ開けられるそうで、ちょうどいい時に来合わせました。
水戸斉昭公銅像ですが、30センチくらいの小さな銅像で、当時4賢公の一人であった人の銅像としてはちょっとさびしい。歴史的人物をないがしろにするような県はいずれさびれる。
弘道館正門。重要文化財でいつもは閉じられています。ラッキーでした。
水戸と言えば水戸黄門ばかりが先行しますが、あれは後年講談師等が面白く作り上げただけのもので実態を伴わない。それよりも明治維新にいたるまでの水戸藩の果たした役割こそ重要で、もう少し他の藩(県)のように歴史の重みを伝えてほしいと願わずにはおられません。これじゃ斉昭公もきっとさびしかろう。
茨城県よ、東京にすり寄った箱ものばかりの行政に終始せず、今からでも歴史を作るべく頑張れ!!
だれか、愛を下さい!
しょぼー~~ん・・・! うちの庭に飛んでくるシジューカラの、水浴び途中の写真です。その姿は、なにかしら今の自分に似ている。でも本当のシジューカラの気持ちは、この後何回もまたバシャバシャ!!とやってましたので、気持ちよかったのだと思います。私も頑張らなくては・・・。



