サクランボの桜が咲いたよ!
各地からさくらの開花ニュースが流れる時期になりました。気象庁が開花宣言をやめても、日本人の心からさくらが消えることはありません。
さくらが日本人に好まれるのは、その花の奇麗さだけではなく、散り際の見事さにもあると言われます。
「大和魂とか武士道に通じる日本人の心」だそうです。
精神性が優先するあまり、大和魂も武士道もとうの昔にすたれてしまって平和ボケしている日本人が、こんな時だけ奇麗事で表現します。
「七重八重花は咲けどもやまぶきのみの一つだになきぞ悲しき」
この歌にもあるとおり、八重咲きの花はどのような花でも、観賞用に見栄えを優先して改良するため、結実するという自然の大事な機能を消失させられた悲しい運命を背負っています。
一重の花に美しさを感じることのできる人は、そのような大自然を肌で感じることのできる人だと思います。
そこで今日は、その実のなる一重のさくらの花が咲いたというニュースです。
富士の裾野に住む知人女性から、「サクランボの実がなるさくらの花が満開になりました」というニュースが写真と一緒に届きました。
サクランボの実のなる桜の花です。観賞用の桜より、おしべめしべが大きくて、虫が飛んできたら受粉させずにおくものか、という気概が感じられる花で、奇麗ですね。この花の写真を送ってくれた人も、心やさしいとても奇麗な人です。
時期になるとサクランボが枝もたわわになるのだそうですが、ご本人がもうそろそろ食べられる頃だから収穫しなければと思うまさにその時、自然の鳥もその食べごろを見逃さない。
ひと夜明ければ、熟れていないサクランボだけ奇麗により分け、ほかはものの見事に一粒残らず鳥のエサになってしまっているのだそうです。
もとより彼女は、鳥に食べられないように網などを張る人ではなく、食べられてもそれを笑って許してしまう心優しい人ですから、「一粒くらいは私も食べてみたかったわ」と澄ましています。これも愛でしょうか。
木が大きくなり実がなるようになってから、もう何年も経つのに、いまだに一粒も食べたことがないという、ちょっと風変わりで心やさしい人が寄せてくれたサクランボの実のなる桜の話でした。