カマキリの産卵 ~次世代に懸ける命~
我が家の小さな庭には、
季節なりに
鳥達も訪れ、
蝶などの昆虫も
入れ替わり立ち替わりに顔を見せる。
しかし、
この季節に
昆虫はめっきり減る中、
一匹のカマキリの様子がおかしい。
周りには植物などない
物置台を通る外部コードの上。
緑色を判別できているのだろうか。
こんな場所に
もう2日もとどまっている。
よく見るとお腹が大きい。
ひょっとして
このコードの上に産卵するつもりでは。
もしそうなら、
いくらなんでも場所が悪い。
カマキリにはカマキリの考えもあろうが、
冷え込んできて
頭が回らなくなっているのかも知れない。
だから、
場所を移動してもらった。
鉢植えのジャカランタの木。
お腹の大きさが目立つ。
この木の上部。
ここに産んでくれたら、
冬には部屋に取り込んでやれる。
外で作業をしていると、
やはり予想した通りであった。
産卵開始。
泡で周りを包みこみながら
尾角を器用に使い形を整え
中に卵を産んでいく。
あわを出すところは尾角のすぐ後ろ、
尾角で場所を確認しながら
中心部を見極め、
産卵するのはお尻の最先端。
そしてそのあと、しっかりと卵を包み隠す。
それを何度も繰り返して最後の仕上げ。
産卵開始から約3時間の難行。
無事産み終わった後のこの脱力感。
頭を木の幹にぴったりとくっつけて
やっと体を支えている、
そんな風に見える。
本当にお疲れ様。
その後も微動だにせず
死んでしまったのかと思う。
翌日あさ6:30。
昨日と同じ姿勢だが、
頭が木から離れている。
生きてはいるみたい。
太陽が昇って体が温まらないと
昆虫は動けない。
もう一度見に行ったら、
勇ましくも、
こんな恰好である。
カマキリは、
この後いくらも経たずに命を落とすはずだが、
命あるうちは次世代を守る気構え。
人は、
子供を産むとあとは死が待つだけの状態で
子供が産めるだろうか。
育てる楽しみがあればこその出産である。
昆虫には
そのような楽しみは与えられていない。
その代りに
死の認識も
持たされていないのかも知れない。
オーバーシーディングのその後 ~最初の芝刈り~
10月15日に、
クイックトランスという洋芝の種を
高麗芝の上に蒔き、
その後の成長を眺めてきましたが、
ひと月も経つと
この様に伸びてきます。
見た目には分かりにくいですが、
10センチくらいの長さに伸びています。
このまま育てると、
まっすぐに伸びすぎて
枝分かれが遅れます。
これくらいまで伸びると、
もう根もしっかりと高麗芝の下まで入り込み、
株もしっかりしてきていますので、
そろそろ芝刈りの頃です。
芝刈り機で
二三回往復すると、
はっきりと模様が入るので、
芝の伸び方が分かると思います。
高麗芝は、
今ではほとんどの家で
枯れてきていると思いますが、
洋芝は、
これからが出番です。
冬の雪にも、
霜にも
平気で伸びてきます。
だから、
真冬でも時々芝刈りが必要です。
芝刈りをしないで放置すると、
ふわふわの草むらになりますが、
やはり庭は歩くところですので、
適当に刈り込んでやります。
刈り込んだあとの状態です。
左側の緑の塊りが刈りとった芝の葉。
こうして刈り込むと、
芝が芯を止められて枝分かれをし、
だんだん混んできて
二三回の芝刈りで、
びっしりと密な芝模様になり、
飛んだり跳ねたりしても
びくともしない庭になります。
こんな小さな庭だと、
手入れが簡単で、
肉体的負担も軽く、
それでいて
花々で
四季に応じたデザインができるため
自分の身の丈には
ちょうどいい広さです。
次回は
雪の景色をお見せします。
作品紹介 20 ~版画・名古屋城と人情~
サラリーマン時代は、
およそ5年ごとに転勤があり、
福岡を皮切りに
大阪、広島、
また福岡、
そして名古屋、東京と、
いずれの地にも
落ち着く間もなく渡り歩いた。
家族には
「人生は旅」と言い、
新しい出会いは新しい自分を生むと、
常に前向きに解釈して説明したが、
家族はそれをよく理解してくれ、
こともなく
東京の
終の棲家にたどり着いた。
その途中
8年間滞在した名古屋は
格別に思いが深い。
名古屋の土地がらは、
閉鎖的で、
外部の人となかなか心を通わせない、
といわれるそんな名古屋に
私は一番深く入った。
子供が通う学区の
15町内ほとんどの人とかかわり、
すべての町内会長とも知り合いになった。
家族をみんなが受け入れてくれて、
どっぷりとそこの住人になった。
離れてすでに10数年になるというのに、
今でもほとんどの方と付き合いが続き、
東京の我が家は
名古屋の学区の人たちの
東京出張所と言ってはばからない。
誰が、いつ、何人で来ても
我が家は彼らの
無料宿泊所で、
しかも食事付き、アルコール飲み放題である。
だから
時々
変わり番こにみんなが来てくれる。
うれしいことである。
そして、
私が名古屋に遊びに行くと、
今度はみんなが歓待してくれて、
何家族もが
変わり番こに泊めてくれる。
もちろん食事、アルコールつきである。
そんな名古屋が
私は一番好きである。
そこに着任した年の
翌年の年賀状がこれ。
早速名古屋城に見学に行き、
写生して帰ってから彫りあげた。
「皆のもの、この印籠が目に入らぬか!」
そんな気持ちで
名古屋から発信した。
葵の御紋の
葉のなびきが、
あるいは逆になっているかもわからないが、
そんな細かなことは抜き。
文句言う奴は、
「無礼者!!」
この一喝で終わり。
今月末には
みんなから呼ばれて、
また名古屋に行くことになった。
数日滞在する予定だが、
連日の飲み会とたくさんの家族との交流。
そして
飲み疲れたら
常滑沖で夜釣り。
釣れても釣れなくても、
すぐ先の将来を期待して
じっと待つ。
人生もそんな感じで過ごしてきた。
とっておきの楽天家。
船に揺られて
潮の香りがするだけでよい。
話を戻す。
私が名古屋に着任した時には
まだ小学校の低学年だった女の子たちが
もうお嫁に行って、
旦那さんを紹介してくれたり、、
あるいは彼氏を紹介してくれたり、・・・。
その娘たちの中でも
私の存在は
小さな頃のまんまのイメージだから、
今では奇麗な大人の女性になっているというのに、
その娘たちが、
今でも私に
いきなり後ろからおんぶしてくるし、
旦那さまや彼氏でも
おそらくしたことはないであろう
お姫様だっこだって、
私にはさせてくれる。
時は過ぎていっているが、
私との関係は
あの頃のまんま止まっている。
そんな名古屋が大好きである。
名古屋万歳!!
初めての出会い ~ゴンマーサさんとの銀ブラ~
ブログを書き始めて約7カ月、
昨日、
ブログの中の方と
初めて現実に出会いました。
クロネコ「ゴン」ちゃんのブログを展開しておられる
ゴンマーサさんです。
その様子は
ゴンマーサさんのブログ に詳しいので、
ここでは
別の視点からお話をします。
ゴンマーサさんの人となりは
そのブログの書きっぷりから、
想像しておりましたが、
会ってみると
期待にたがわず実に誠実な素晴らしい方でした。
二人が初めて出会った場所。
そこは
新橋駅日比谷口にあるSL広場。
大和田建樹作詞の鉄道唱歌で歌われている
♪き~てきい~っせいし~んばしを~~、
は~やわがきしゃは~は~なれたり~~♪
の新橋駅は、
1872年、
新橋~横浜間の
日本初の鉄道が正式開業する際に、
起点駅として開設された歴史を持ちます。
そこのSL広場には機関車が置いてあり、
その先頭部分で待ち合わせ。
これがその機関車。
ここでゴンマーサさんを待ちます。
東京には、
待ち合わせ場所はたくさんありますが、
渋谷ハチ公前広場は
ギャルばかり。
上野の西郷銅像前は
観光客。
東京駅銀の鈴の前は
旅行に行く人帰る人。
そして
SL広場はサラリーマン。
ここから銀座が近いことに依ります。
SL広場の機関車は
C11。
信号保安協会関東支部
創立30周年記念として寄贈され、
ここに設置されました。
ここで落ち合ってから、
すぐに銀座へ。
銀座8丁目から逆に
銀座1丁目へ歩きます。
途中、
並木通りを確認したりした後、
11時過ぎてオープンし始める店をのぞき見。
まず、
齧りかけのリンゴマーク「マッキントッシュ」
(これは7月夜撮影の画像です。)
次に
怪しい雰囲気で主に女性客を狙う「アバクロ」
入っていきなり
上半身裸のイケメン。
ここはホストクラブか。
エレベーターで7階まで運ばれ、
そこから
暗がりの中を
二人で手探りで下りてきました。
チェックのシャツが10,000円台のぼったくり。
一転
日本進出の時に2,000人の客が並んだ
スウェーデン発の「H&M」
地下が男子専用で、
地上階はすべて女性専用。
でも、
2,000円の値札が安心感を誘います。
そして最後は、
あのきらきらしたクリスタルガラス専門の店
「この猫、かわいい~!」
よくよく見ればネズミ。
透明で
きらきらしていて分かりません。
銀座をあとにして、
日本橋に向かい、
日本の道標の起点を確認して昼食。
レンガ造りの東京駅を見るために、
正面まで足を運んだら、
あいにくの工事中で、
見えるのは天幕ばかり。
がっかり。
駅構内の喫茶店で一服した後
東京駅の待ち合わせ場所
「銀の鈴」前で記念撮影。
私も長いこと東京に住んでいますが、
この前で写真を撮ったのは初めて。
近くにいた奇麗な女性に
シャッターを切っていただきました。
その前に、
ゴンマーサさんがその女性のカメラのシャッターを
押してやっていました。
優しい人です。
銀の鈴をよく見ると
製作者が宮田亮平氏。
東京芸術大学の現学長。
私も、
私の陶芸の師匠で、
日展審査員の陶芸家の紹介で
二度ほどお会いしてお話をしたことがあります。
同じく日展の審査員をしておられます。
鈴の上部をご覧ください。
イルカがいるのがお分かりでしょうか。
イルカをモチーフにした作品が多く、
その鍛金の技術は超一流。
学長という知識人の顔と
すご腕の技術者の、
二つの顔を持つ人です。
プライベートにちょっと触れれば、
孫を馬鹿っ可愛がりするおじいちゃんでもあります。
親子代々の工芸家。
余談が過ぎました。
ゴンマーサさんは、
その間中、
パソコンの入った重い荷物を背負い続け、
お疲れになったことでしょう。
コインロッカーに預ければ、と思ったのですが、
あいにくAPEC横浜で厳戒態勢。
東京の駅のコインロッカーはすべて閉鎖され、
やむなくずっと持ち運びとなりました。
でも、無事に羽田を出発され、
夕方には
自宅に帰り着いた旨の連絡を頂きました。
お気遣いありがとうございました。
またの機会に、
今度はゆっくりとご案内します。
ゴンマーサさんの素晴らしい人柄に触れた
充実のひと時でした。
ここにも秋 ~ミセバヤの花と紅葉~
多肉植物は
何かしら砂漠のイメージがして、
紅葉なんて考えもしなかったが、
頂き物の「ミセバヤ」を
何年も持ち込んでいると、
やはり日本の秋を感じる。
「ミセバヤ」などと
カタカナ表記が当たり前になっているので、
外国産かと思ったら、
「見せばや」からの命名らしい。
れっきとした日本原産。
だから
紅葉もする。
小さな鉢で、今が花盛り。
1つひとつをよく見ると、小さいけれど星形の花。
集まるとこんなに混んできて
およそ星形を感じさせない。
同じ多肉植物の
朧月やブロンズ姫も
小さな星形の花を咲かせていたが、
多肉植物の花って、
星形が多いのだろうか。
考えてみると、
花びらは
たとえ5弁でも6弁でも、
普通丸みを帯びた形をしているものだが、
その花びらが尖ってくると、
自然星形になってしまう。
多肉植物の花は
やはりその生育環境から
己を守るために
花までもシャープな作りにしたのかもしれない。
日本原産だけあって、
やはり秋にも対応している。
紅葉の兆しが見える。
霜に会えば
全体が真っ赤に彩られ、
それはそれで美しい。
古い時代から日本人に親しまれ、
きっと今の時期のことだったろう、
誰かに見せたい、という気持ちから
この名を頂戴した花。
どうか見てやってください。
余談ですが、
またの名を「たまのお(玉の緒)」といいます。
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
『新古今和歌集』式子内親王 小倉百人一首89番


































