作品紹介 22 ~陶芸・茶香炉~
前回のブログで、
香りのある生活 に触れた。
良い香りは、
人工的なお香や香水だけでなく、
身近な
いろいろなものから発せられる。
コーヒーしかり、
ハーブティしかり。
花や果物もまたしかり。
そして
日本人の一番身近にも
さわやかな香りを発するものがある。
それは、日本茶。
お茶を煎る時のあの香りは
なんともいえない香ばしさがある。
あの時の香りを
今一度自分の家で再現してくれるのが
茶香炉。
専門店に行けば
立派なものを販売しているが、
幸い私には
誰よりも素晴らしい陶芸の師匠がいる。
そこで、
戯れに作らせてもらったのがこの作品。
デザインは、
素人の発想だから
洗練されてはいないのはお許しいただくとして、
それでも
規格化された市販品より
私は気に入っている。
組み合わせ品ですので、
バラバラにしてみました。
ご覧ください。
写真中央、
脚の付いているのが一番下の部分。
この中は
ろうそくを立てられるようになっている。
この上に、
右側の胴体を重ね、
更にその上に、
左の星形の皿を置く。
そして最後に
左手前の
穴のあいた蓋をかぶせる。
二つの胴体の
大小の突起は
上に乗せる部分のズレ防止用。
この発想はプロ仕様で、
師匠の指導による。
ろうそくに火を付けてセットし、
手順どおりに重ねて、
上部の皿にお茶の葉を盛り、
蓋をすれば
すぐに
香ばしい香りが漂い始める。
お香にはない
純和風の香りが
またさわやかでいい。
しかも
お茶の香りは
お香の香りと違い、
部屋に長くこもらず、
その時限りのあっさりとした香り。
さわやかな香りは、
引け際も見事で
むしろ、
香りをきく人に
もう少し・・・・という未練を抱かせて
鮮やかに消える。
このような香りもまた良い。
「香りのある生活」の続編に、
作品紹介を重ねました。
香りのある生活 ~心の安らぎ~
人の生活から、
においを切り離すことはできない。
一般的に
においを
「臭い」と書けば、悪いにおい、
「匂い」と書けば、良いにおいのことを言う。
そして、
香りは、
=良い匂いである。
この良い匂いが人に与える効果のほどは、
今更確認する必要もない。
赤ちゃんが感じるお母さんのミルクの匂い。
家族が感じるおいしい料理の匂い。
外に出れば、金木犀の匂いに癒され、
バラの花の香りに酔い、
森に入れば自然の醸し出す匂いに身をまかす。
だから私は、
その匂いを
いつも家の中にほのかに漂わせている。
お香をたく香炉はいろいろあるが、
これは南部鉄の香炉。
中国に遊びに行った友達に頼んで、
買って来てもらった香炉。
大したものではないが、
高く買わされて帰って来た。
手作り香受け。
器は間に合わせの皿でも何でもよい。
香りは器を選ばない。
香木の、
沈香の最高級グレイド
伽羅などの香りをきくには
それなりの器具や道具が必要となるため、
私はもっぱら
練り香を利用している。
脇にあるのは
香十の「ローズ」。
同じローズでも、
松栄堂と香十では
香りが微妙に違うが、
基本的には甘い香りで心が安らぐ。
たち昇る煙。
薄く白い線になり、
すーっと天に昇り、
頂きでふわっと散って空間に溶け込む。
そこからが香の本領発揮。
部屋を歩くと、
一緒に拡散して、
微かな香りを部屋にひっそりこもらせる。
煙の揺らぎが、
見ていても心地よい。
適当な揺らぎは、
人を至福の時にいざなう。
ゆりかごのような、
ハンモックのような、
ロッキングチェアのような
赤ちゃんを抱いた母の揺らぎのような、
そんな安堵感。
まっすぐに昇ると、
空間に静寂が訪れる。
もう、
息をするのさえ止めたくなるような静寂。
煙は香りそのものではない。
この煙から解き放たれた時に、
そこから香りが飛び出してくる。
そしてしばらく、
我が家のいたるところにとどまる。
まるで天使が
しばらく家の中にいてくれるかのような、
そんな雰囲気を醸し出す香りの力。
疲れて帰って来て、
家に入ると、
微かに得も言われぬ良い香り。
押さえつけられていた感性が
一気に目覚め、
穏やかな心がよみがえる。
仕事に、
受験勉強に、
そして人間関係に
ちょっと疲れた、と思った時に、
香りに火を付けてみませんか。
きっと
思いもしなかった
素晴らしい時を見出すことでしょう。
虹の玉 ~虹を玉にしたらこうなる?~
ミセバヤの
最後の命の炎上は
前回のブログで見ていただいた。
ミセバヤには、
燃え尽きて地上部はみんな無くなる
そんないさぎよさがある。
今日ご紹介するのは、
そんな武士道的精神は
微塵も持ち合わせていない。
美の表現にはいろいろな形があり、
自然体であればどれも素晴らしい。
紅葉はするけれども、
葉も散らなければ
茎も枯れない。
そして、
春になれば
またもとの緑に色変わりする
器用な植物である。
その名は
「虹の玉」
2種類を一緒に植えてあるが、
その小さな鉢の中の左側にあるのがそれ。
これは以前にも
それぞれの小さな秋 で紹介しました。
虹の玉とは、
春頃のこの植物を見て付けられた名前ではなく、
きっと今頃のこの色を見て
奇麗な虹を連想したものに違いない。
モミジ葉とはまた違った美しさがある。
奇麗だから更に近づいてみよう。
これくらい近づいて、
はちきれんばかりの豊満な赤い葉を見れば、
もう、植物のイメージを通り越して、
抱きしめたくなるようなやわ肌や
食べたくなるような色気を感じる。
・・・・・・・おいしそう。
虹は
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色でなっているが、
ほとんど赤のこの植物に
虹のイメージを当てるほど
人の虹に対する認識には、
赤がいかに強いかが良く分かる。
余談でした。
せっかくだから、
隣に一緒に植えてある
ブロンズ姫も見ていただこう。
これは、
秋になって紅葉し、
こんな色になったのではない。
ブロンズ姫の名前の通り、
いつも赤銅色をしているから付けられた名前であるが、
それでも秋には
少し紅をさす。
片方の親は「朧月」
もう片親が何かは知らないが、
ブロンズの名前をもらっているところを見れば、
きっと外国産との二世なのかも知れない。
今はやりのしゃれた言葉でいえば
「ハイブリッド」
日本語でいえば「雑種」。
それでも姫の名を頂いているのだから、
父親はキングだったのだろうか。
調べれば分かることだが、
浪漫が壊れるといけないので、
今日は連想で止めておく。
ミセバヤのその後 ~燃え上がる最後の命~
カタカナで書いてあると
いかにも洋物みたいな気がしたが、
調べてみると
日本原産だという「ミセバヤ」について
ブログに
ここにも秋 ~ミセバヤの花と紅葉~ という題で
アップしたのは11月10日。
その時のミセバヤは
花が盛りのこんな状態。
それからわずか20日余り経っただけなのに、
次のような激しい変身。
それはそれは
見事なばかりの変わりようである。
昨日夕方、曇り空の時の撮影。
こんな鮮やかな朱色が
一体どこに潜んでいたのやら。
近づいてみると
まぶしいばかりの色彩で、
株が一つに溶け合ってしまい、
一枚一枚の葉の輪郭さえも定かではない。
まさに燃え上がっているような姿。
下は、
今朝の朝日を浴びたミセバヤ。
太陽を浴びると、
コントラストがはっきりしすぎて、
どうしても陰影が濃くなるが、
それでも激しい赤は隠せない。
このミセバヤも、
モミジやハゼやナナカマド等の紅葉樹と同じで、
間もなく燃え尽きて散ってしまう運命にあるが、
ここまで激しく燃え上がると、
前述の木々と違い、
自分の幹まで燃やしつくし、
地上部は完全に消失してしまう。
命をかけて燃えている、
そんなすさまじい執念さえ感じるような
ミセバヤの紅葉である。
花の咲いている時の株からは
考えられないようなストーリーを持つ
ミセバヤの生涯。
何ゆえの炎上か。
自然には
分からないことばかり。
葉が落ちるのは
枯れたからではない。
その付け根に、
あたらしい命を誕生させたからである。
人も
そのようにして
いさぎよく散りたい。
修業は続く・・・・・。
常滑の海 ~落日のウインドサーフィン~
東京を留守にして、
名古屋には、
仲間と飲むためだけに来たのではない。
一晩くらいは
魚釣りを楽しもうと、
自分の船を持つ知人と落ち合って、
常滑の海に来てみたら、
ヤシの木を震わせて、
強い風が
ビュー~ビュー~!
私のオヤジも漁師だったから、
こんな風が沖ではどれくらい吹いているか、
そしてどれくらい危ないかを知っている。
無理して船を出し、
事故はないまでも
結局、
骨まで凍えて坊主、なんてことになりかねない。
二人の判断は即中止。
そうするともう
二人で食うか飲むしかないが、
その前に、
せっかくだから常滑の海を見ていただこう。
落日の海岸。
ヤシの葉は風にしなり、
沖には三角波が立つ。
よく見ると、
空に凧みたいなものが浮かんでいる。
ウインドサーフィンのセイルだ。
私は、
スキーや
スキンダイビングは得意だが、
こんなものを引いて海上を滑ったことはない。
でもまさに、
常滑の名前にぴったりの遊びではある。
こんなに風が強く寒い日に
よくやるものだと聞いてみれば、
もっと吹いたらジャンプなんかも楽しめるという。
どんどん夕日は落ちて行く。
いくらコンディションが良くっても、
暗くなったらやめるのだろうが、
濡れて寒くはないのだろうか。
海岸に居た
仲間の人に聞いた話によれば、
ウエアが
全く水を通さず、
風も通さず、
水の中にどっぷりつかっても
体が濡れないどころか、
冷気さえ感じず、
動きが激しければ汗もかくという。
宇宙服に使ってある繊維を使用しているとの説明だったので、
断熱効果は抜群なのだろう。
なるほど・・・・納得。
黄昏の海の沖合を、
大型の貨物船がゆっくりと進んでいく。
常滑の空港も近いので、
飛行機の離着陸も見られる。
そんなところで、
豪快なサーフィンは
さぞかし気持ちよかろう。
暗くなって
視界が利かなくなる前に、
全員海岸へ。
陸に上がって
セイルに持っていかれないのは、
やはり風に対するセイルの角度を
紐で微妙に調整しているのだろうが、
きっと私なら、
一気に引きずられてしまうに違いない。
釣りにこそ行けなかったが、
近くで興味深いスポーツを見せてもらった。
スノーボードや
水上バイクなどには、
ヘタなくせに
目立ちたがりばかりが多い中、
見学者もいない淋しい海で、
好きだからやっている、
そんな男の美学を見たような気がする。
寒いけど心が熱くなる体験談でした。






















