桜の花見・珍百景 ~木の上で眠る猫~
かの有名な
東京都台東区の
上野公園。
正確には、
「上野恩賜公園」。
1890年、
帝室御料地となり、宮内省の管轄に置かれ、
1924年、
その宮内省から当時の東京市に払い下げられた経緯から
「恩賜」の名前が付いて
歴史を引きずる
恐れ多い公園である。
そこで今、
桜が見ごろ。
上野公園入口の
枝垂れ桜。
だけどこれは、
入口のシンボルにすぎない。
桜のトンネル。
毎年
この道の両側には
宴会用のシートが敷かれ、
飲めや歌えの大騒ぎで、
狭くなった通路には
花見の客がひしめき合っているのだが、
今年は
桜祭りも中止し、
宴会も禁止。
ようやく、
静かなお花見ができる
お山になった。
その
通路際にある
1本の桜の下に人だかり。
「ん?何だ?」
珍しい花でも咲いているのだろうかと
近寄ってみて
びっくり!
猫!
なんであんたがここにいるの?
まぁ、そりゃぁ~、
ライオンだってヒョウだって、
木に登るのだから
ネコ科の元祖のあなたが登っても
何も不思議はないのだが、
でも、
飼い猫が木に登るか?
アップで撮ってみて
何と、
この人ゴミと
周りの喧騒をまるで気にせず、
ましてや
桜なんて食の足しには何もならない、とばかり、
目を閉じて寝ているではないか!
何という余裕。
桜の花が咲いて、
大騒動するのは、
やっぱり人ばかり。
「見ん人のためにはあらで奥山におのが誠を咲く桜かな」
上野のお山のソメイヨシノも、
きっとそうだと思うのだけど、
人だけが
勝手に騒いでいる風景は
今年もやはり同じだった。
明日は、
その上野のお山の
もう一つの騒動をお届けします。
カラスの巣作り ~帰るべき家のある平和~
武蔵野は、
歴史ある原野。
欅の大木が多いことは
前にも書いた。
だけど、
歴史を見つめて来て
残っている大木は
欅だけではない。
この木がなんだかお分かりだろうか。
高さ30数m。
枝ぶりから、
欅でない事はすぐわかる
この木は、
枕崎台風、
室戸台風と合わせて
死者・行方不明者約5000人、
負傷者39000人と言われる甚大な被害を出した、
昭和の3大台風と言われる
1959年の伊勢湾台風で
木の半ばから折れ、
その時に、
高さが半分になったらしい。
50年ほど前にそうだったのだから、
この木の歴史を遡れば、
200年くらいは経つのではないかという。
なんという名前の木?
国分寺市には、
個人の自宅の敷地内のある
歴史的な大木に対して、
保存樹木と言う制度がある。
それに指定された大木は
めったやたらと切り倒してはいけない、と
行政が強制する代わりに、
その保存にかかわる経費を
少しだけ支給する制度であるが、
その金額は、
秋口に
膨大な落ち葉を掃除する費用にも満たないと聞くが、
大地主であればこそ、
それを、
何も言わずにこなしてくれる。
行政が
住民におんぶに抱っこの制度ではあるが、
そのために
歴史的な大木が今も生き残っている。
その木の上には、
カラスの巣。
この保存木を管理する地主に聞けば、
一昨年に巣を作って子供が巣立ちしたが、
昨年は
その巣は、
バラバラに崩れ落ちて
その残骸が下にうずたかく積もったという。
ところが今年は、
また作りだした。
時期になると、
きっと親鳥がうるさくなる、と
その地主は言う。
その、
巣作りをしているカラスが、
時々大木の周りを舞う。
巣に落ち着いては
ちょっと顔を出す。
木も、
芽吹きの時を迎えているので、
このカラスがヒナを孵す頃には、
巣はきっと新緑に覆われて
周りからは見えないかもしれない。
このカラスの夫婦は、
今年また
新しい家をこしらえて、
ゼロからのスタートを切った。
自然は、
いつでもこのように
ゼロからのスタートである。
震災で
なにもかも無くした人たちが、
人であればこその知恵と
そして助け合いで、
なんとか
ゼロからではない、
厳しいマイナスからのスタートではあるが、
なんとかスタートしてもらいたいと、
切に思うこの頃である。
機会のあるたびに
支援金も義援金も
拠出していきたい。
赤と白の美しさ ~日本人の心・紅白~
美しい色の
二色の組み合わせは
いろいろあるが、
好みは人それぞれ。
金と銀であったり、
赤と金であったり、
あるいは赤と黒であったり・・・・。
そのような組み合わせの中で、
赤と白の組み合わせは、
源平の昔より
日本人の心になじんだ組み合わせである。
その源平ガラの紅白しかり、
日の丸の紅白しかり、
めでたい時の紅白の幕しかり。
運動会だって、
赤組白組。
ことほど左様に、
赤と白の組み合わせは、
どういう訳か
日本人の心に沁み入る。
そんな紅白を組み合わせた花。
そんな花はたくさんあるが、
この花は
そんな花達の中でも、
ひときわ目立って美しい。
どのような名前を持つツバキか知らない。
近所に咲くツバキ。
通りに面して咲いているので、
いつもこの時期には観賞するのだが、
その比類なき美しさは、
きっと
この花の右に出るものはあるまい。
一輪ずつが
それぞれの美しさ。
自由気ままな紅白の組み合わせ。
だけど、
こんなにバランスよく組み合わさって咲いている花を
私は他に知らない。
蕾。
もう、
見ただけで
この花の将来の美しさが分かる。
我が家にある、
胡蝶ワビ助も奇麗な花だが、
この椿とは
まるで迫力が違う。
咲いたら、
一体どのような美しさを見せるのか、
ほれぼれするような蕾である。
そして、
咲いた時にその期待を決して裏切らない、
そんなツバキ。
いつかこの持ち主に、
一枝いただき、
何としても自分の家で育てたい花であるが、
余りにもそばにあって、
いつでも見ることができるので、
もう何年も
そこから先に進まない。
赤と白だけで、
千変万化の組み合わせを見せる、
近所の
得も言われぬ美しいツバキ。
ひと時の清涼剤。
現実から、
ふっと心が離れて
一瞬でも穏やかな気持ちになってもらえたら、
そんなうれしいことはありません。
シジュウカラの水浴び後 ~裸のあそこ~
鳥は、
当然のことながら
全身を羽毛に覆われている。
ところが、
その全身のなかで、
羽毛に覆われてない見えない部分があるのを
皆さんはご存知だろうか。
それは
先日公開したお尻と、
一番大事な
卵を抱くときのお腹の部分、
そして、最後に
飛ぶために非常に大事な
羽の手入れをするための
尾脂腺。
この3か所は
羽毛に覆われていないところである。
そしてそれは、
裸であるが故に
弱点でもあり、
自然界でその姿を見ることはない。
その
驚くべき尾脂腺の姿を、
今回は
自然の中で偶然捉えた。
その過程を
ご覧ください。
水浴び後の羽繕いの時の姿。
お腹のあたりも当然します。
尾羽もしかり。
尾羽は
飛ぶ時の方向性や
ブレーキをかける時に
非常に大事な役割を果たします。
胸の辺りも念入りに・・・。
左の風切羽も・・・。
そして、右の風切羽も・・・。
最後に全身の水気を取るため、
ブルブルッとした時でした。
尾羽の付け根部分にある
裸の尾脂腺が見えるでしょうか。
私も、
写真を撮った時には気付きませんでしたが、
あとから整理している時に、
はてな?と思いました。
前回のお尻とはちょっと違います。
今度はお尻の背の部分。
同じように大判で写すと
こうなります。
こんなところが
自然界でむき出しになることは
ほとんどないことだと思います。
小鳥を飼っている方、
一度自分の小鳥のこの部分を、
意識して見ていただけませんか。
これは
尾脂腺と言って、
自分の羽を手入れするのに大事な
脂肪分の出るところで、
ここから出る脂肪をくちばしに付け、
羽に丹念に塗って
羽に完全防水処理を施します。
そのため、
彼らは、
水浴びしようと
雨が降ろうと、
全く濡れないし、
雨の日の飛行にも
まるで影響を及ぼしません。
彼らの命は、
人にはないこんな器官で守られているのです。
顔から脂を噴き出している中年の男性。
いつも脂取り紙をさりげなく使っている女性。
命を守ってくれている
鳥たちの尾脂腺に、
ちょっと思いを馳せてみて下さい。
怒りのコブシ ~そして、大人の鉄槌~
天災は
どんなに残酷でも
我慢もしよう。
しかし、
人災は
そうはいかない。
コブシの花が満開。
夕日を浴びて、白いコブシがオレンジ色に燃えている。
いつもなら、
桜に先駆けて咲くコブシを見ると、
心が躍るのを抑えきれなかったはずなのだが、
今年は違う。
コブシの名の由来は、
その実が小さな子供の
軽く握ったコブシに似ているからと言われるが、
花は
その小さな子供達が
懸命に広げた手のひらに似ている。
何十万人の子供達の、
叫びが聞こえる。
ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さ腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺
「七里ガ浜哀歌」の一節である。
今年のコブシの花が、
握った拳を
今度はいっぱいに広げて、
叫んでいるように見えるのは
私だけではあるまい。
その手のひらに、
少し朱がさす。
恐れとも、
怒りともとれる朱である。
穢れなき子供達の上に、
容赦なく放射能は降り注ぐ。
彼らの未来は
一体どうなる。
モクレンは
コブシの親。
これは、
子供達の親の拳。
仏が座りそうな蓮華にも似て、
清らかな趣。
しかし今年は
怒りの鉄槌。
振り降ろす場所もなく、
行き場を失う。
悶々として、
ただ、風にもてあそばれ、傷つくだけ。
いつもなら
季節の花で、
美しいモクレンと椿。
でも、
今年は違う。
子を思い、
親を思って、
悲しみに身を引きちぎる
大人の血の涙。
政府と東電は
このあと
一体彼らをどうするつもりだ?
見殺しなどできるはずがないと思うのだが、
国家存亡の時は
いつでも国民は見殺し。
だから、
故郷だとか、
先祖代々の土地だとか、
そんなものにとらわれずに、
早く安全なところに
避難してほしいと
切に願うばかりである。


























