胡蝶侘助開花 ~紅白の美しさ~
前回、
紅白に咲き分ける梅、
「思いのまま」について書きました。
紅白の美しさが続きます。
胡蝶侘助。
小さな木に
小さな花を咲かせます。
花一輪ずつが
それぞれに染め分けられて、
見る者の心を打ちます。
花は
ただ咲くだけで
人に感動を与えますが、
このような花を見て
感動を覚えないような人は、
自分の感受性を
もう一度じっくり見つめ直してみたほうが
いいかもわかりません。
何の脈絡もなく、
残酷なやり方で
自分の友達を
平気で殺す精神異常者が
あちこちに
ゴロゴロしています。
そんな人間が育つのは、
親の愛情に育まれていないからだと
筆者は断定します。
こんな小さな木でも
一生懸命花を咲かすことに力を入れれば、
花はその努力を受け入れて、
誰もが納得するような
綺麗な花を咲かせます。
もし、
自分の子供たちとの間に
何らかの溝があるようだと感じたら、
危機感をもって
すぐにその関係を見直し、
自分から改善に努めてください。
親の愛情を知らずに育った猿は、
自分が子供を産んだ時に
愛情をもって育てることを知らずに
平気で幼子を捨てます。
愛は
代々受け継がれていくものですので
愛が途切れると
それはもう
社会の中に
取り返しのつかない害を垂れ流していることになり、
負の連鎖が
延々と続きます。
人以外の生き物は
動物であれ植物であれ、
基本的には
自分のことよりも
次世代のことの方に力を注ぎます。
あなたは
我慾丸出しで生きていませんか。
自分を冷静に
見つめなおしてみたいものです。
紅白咲き分けの梅 ~思いのまま開花~
毎日
小鳥たちでにぎわっている
紅白咲き分けの梅
「思いのまま」が
いよいよ咲き始めました。
一雨ごとに蕾を膨らませていましたが、
咲き始めると早い。
白花ですが、
薄い朱の筋が入ります。
どこの枝に出てくるのかは、
その年の
木の思い次第。
赤い花が
どこにでも
思いのままに出てくることから
「思いのまま」となったらしい。
白花主体ですが、
底流に紅い花の血が流れているため、
真っ白な花は
なかなか見られない。
花びらのどこかに
薄い朱色の筋が入ります。
赤花ばかりの枝。
枝ごとの色違いもあれば
紅白が隣り合わせに咲くこともあります。
シジュウカラの巣箱の周りも
いよいよ花いっぱいになり、
春の訪れを感じさせます。
もう少しすると、
シジュウカラにとっては、
子育ての季節に入ります。
巣箱のそばを
毎日
隣の家の子供たちが
登下校時や
遊んでいる時に
あっち行ったりこっち行ったり
通り過ぎるのですが、
シジュウカラは
そんなことには一向にお構いなしに
この巣箱で
子育てをします。
その時には
また皆さんにも
見ていただきたいと思います。
春はもうすぐ。
散歩の効用 ~仏も鬼もいるネギ畑~
私の住んでいるところには
昔からの大農家が多く、
周りには
広い農地が広がります。
車や自転車に乗っていれば
決して見えないもの。
ネギ畑。
広い畑ですから
これはどこからでも見えます。
だけど
スピードのあるものに乗っていると
これは見えない。
畑の手前に
たくさん生えています。
薄紫の花をご存知の方だったら、
容易に気付かれると思いますが、
知らなければ
ここまで近づいても分からない。
もうお分かりでしょうか。
そう、 「ホトケノザ」です。
葉の形が
仏様のお座りになっている
蓮華座に似ているところから
このような名前が付いたものと思われます。
シソ科オドリコソウ属の一年草。
別名「サンガイグサ(三階草)」。
葉が段々に付くためそう呼ばれますが
必ずしも三階ではありません。
「春の七草」
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、
スズナ、スズシロ、これぞ七草。
といわれている春の七草のホトケノザは
上記のホトケノザとは違います。
食用になる
春の七草のホトケノザは
これ。
標準和名
「コオニタビラコ」
キク科ヤブタビラコ属の越年草。
(写真はネットよりお借りしています)
鬼の名も仏の名も持っている植物。
シソ科オドリコソウ属の
ホトケノザは
食用ではありませんので、
勘違いして
春の七草と一緒に食べないように
ご注意ください。
毒こそ入っていませんが、
食用と食用でない植物の違いは、
食用植物は
人の胃や腸で
その成分を分解し
栄養として取ることができるが、
食用でない植物は
人の消化器官で消化できないため
異物として体の中に残り、
障害が出ることがあります。
大麦の実は食べられても
大麦の葉は
たとえ若葉といえども
食べ物ではありません。
痩せるための食用として、
食用ではないものを入れた食品が
やたらと出回っていますので、
それにもご注意ください。
見えそうで見えないもの。
「心そこにあらざれば聞いて聞こえず見て見えず」
散歩の効用 ~歩くことで見えるもの~
私の友人に、
毎朝早朝に1~2時間の散歩をし、
年齢よりもはるかに若く見える人がいる。
近頃は、
鳥のさえずりなども聞き分けて、
毎朝、
その鳴き声の主を探しては、
おはよう!と挨拶する楽しみが増えたという。
その人の影響で
私も近くの
玉川浄水散策路を
1時間ほど歩いてみた。
いまさら言うまでもないことだが、
車に乗っていたら、
あるいは自転車に乗っていたら、
自然の景色は
見えているようで見えていないものが
たくさんあることに
気づかされる。
玉川浄水の散策路は
ほとんどが落葉樹のため、
今の季節には
浄水路の中まで
太陽がさんさんと射し
実に気持ちよい。
よく見ると
キノコがいっぱい生えている。
このような形のキノコの名前は
サルノコシカケしか知らないが、
これがそうなのかどうかは
分からない。
キノコの種類を判別できないので、
決して採って帰ることはないため
毒キノコに当たる恐れは皆無。
この木のコブは
一体どうしてできたのだろう。
木肌から判断すると
クヌギの木のような感じだが、
枝の切り口が確認できないので
カルスではなさそう。
もしなにか
病気だったら
あるいはいずれ切り倒されるかもしれない。
キジバトは
あちこちにたくさんいた。
このハトなどは
私が気配を消していることもあるが、
自分がここにいることを
私には気づかれていないと
思い込んでいる。
それゆえ、
可愛さはあるが
危険でもある。
木の枝の上では、
シジュウカラが
木の実を足で上手に押さえ、
ただいまお食事中。
シジュウカラは良く鳴くので
すぐに見つけられる。
ヤブツバキの
赤色が美しい。
浄水に咲くヤブツバキの花は
蜜を欲しがる鳥たちに責められ、
オシベがまともなものはいくらもない。
鳥たちには
人気の花。
同じ椿でも
八重咲きの椿は
ちょっと違う。
人の判断基準の美しさに改良され
中のシベを
花びらに変換して咲いているため、
シベばかりか
蜜までも失い
鳥たちには人気がない。
開花している時の美しさだけを
追及されたからだろうか、
本来の椿の持つ
落花の美をも失って、
このような姿を見せているのは、
何ともやるせない。
桜にしろ、
ツバキにしろ、
散り際の潔さと
散りてなお
地上での美しさがあればこそ
日本的で美しいと
万人に好かれるのだが、
このような姿を
いつまでも見せられては
ちょっと戸惑う。
筆者も
近い将来来るであろう
まさに散るときは
ヤブツバキの花のような
綺麗な散り方をしたいものだと
切に思う。
車や自転車に乗っていれば
決して見えない極めつけは
これ。
すっくと伸びた
細い竹。
実に美しい姿だか、
見えないものはこれではない。
竹の右側の小さな小さな点々の集団。
拡大しましょう。
竹の周りで
無数に飛び交う
小さな小さな命。
このような虫の群れを
人はブヨと呼ぶが、
これがブヨかどうかは知らない。
でも、
まるで埃か何かのように
上になり下になりして
飛び交っている。
こんなところにも
命が息づいている。
歩かなければ見えない世界。
いろいろとあるものですね。
メジロとシジュウカラの争い ~猛烈な取っ組み合い~
我が家の庭に来る小鳥たちは
通常は
喧嘩の優劣は決まっており、
強さは
スズメ、
シジュウカラ、
メジロと
体の大きさの順になっていますが、
餌をめぐる争いや
巣作り時の縄張り争いになると
弱い方も
敢然と強い方に向かって行きます。
今、
メジロが
メジロ専用に付けた蜜液を、
スズメやシジュウカラにとられて、
気色ばんできています。
いつも言っていますように
我がブログの写真は
物体を写すのではなく、
雰囲気を写していますので、
そのつもりでご覧ください。
メジロとシジュウカラの
にらみ合い。
いつもだったら
スズメにもシジュウカラにも
蜜液を飲む順位は
争うことなく
素直に譲るのですが
今日のメジロは
どういうわけか
気が立っている。
敢然と
シジュウカラに挑みます。
上になっているのが
メジロ、
逆さにぶら下がって相手しているのが
シジュウカラ。
場所が変わっても
位置関係は変わらない。
空中で絡まったまま
地面に落ちますが、
すかさず態勢を整えて
またにらみ合い。
どちらも一歩も引きません。
メジロが
ここまで争うのは
非常に珍しいことです。
何か
背景があると思うのですが、
よくわかりません。
にらみ合いの後には、
くんずほぐれつの取っ組み合い。
その取っ組み合いの様子ですが、
彼らの動きが早いし、
それについて行こうとして
なまじカメラを動かすものだから、
手振れが重なって
まるで写真になっていません。
でも
雰囲気だけは感じてください。
メジロがここまで突っかかるのは、
連れ合いの手前でしょうか。
春が近づいてきているからかもしれません。

































