シルバーウィークに物申す ~プラチナにしてくれ~
5月上旬の大型連休は
「ゴールデンウィーク」。
それに対して
9月下旬の大型連休は
「シルバーウィーク」。
皆さんは
このシルバーウィークは
ゴールデンウィークと対比して
付けられた名前だと思っていませんか?
しかしシルバーウィークは
そんなめでたい
気楽な発想でできた名前ではありません。
本当は
バスや電車の座席などで使われる
シルバーシートのシルバーと同じ意味で、
シルバーウィークのシルバーは
お年寄りを意味して付けられています。
なぜ?
それは簡単。
この連休の中心は
「敬老の日」だからです。
本当は、
敬老に当たる年代の人にとって
連休などは
ありがたくもなんともない。
仕事をやめて引退していれば
毎日が連休だから
シルバーウィークなどと言って
年寄りが喜ぶとでも思っているのでしょうか。
若い人たちは
ゴールデンだろうと
シルバーだろうと
連休だったら
名前などはどうでもいい。
敢えて
敬老の日を意識させようとしたのだろうが、
何とも軽薄。
せめて
「プラチナウィーク」くらいの名前を付けてくれれば
老いも若きも有難がったかもしれない。
因みに
私の住む国分寺市では
ある年齢より
公共の施設(プール・体育施設・会議室その他)が
無料で利用できるようになりますが、
その時に発行される会員証は
「オパール会員証」という名前になっています。
シルバーなどを直接付けない
気遣いの名前です。
国のやることには
そんな気遣いは一切ない。
そんなものです。
秋色の詩(うた) ~栗の実と彼岸花~
セミの声が虫の音に代わり、
植物たちも
一気に秋色を帯びてきた。
近所の風景。
栗の実。
私の住むところには
広い土地を持つ
昔からの農家が多く
栗畑もたくさんある。
広い土地を扱いかねて、
木々を植えっぱなしにしてある。
ここはたまたま
栗の木の畑。
収穫するのが目的ではない。
土地は何らかの形で
農地として使っていることを
見せなければならないので、
植えてあるだけ。
だから栗の実がいくら落ちても
地主は決して拾わない。
農家でない人たちは
もったいないと思いながらも
人の畑に黙って入って
実を盗もうとする人なんか
道徳観念が働いて
誰もいない。
地に落ちた栗の実を見て、
普通の人は
もったいないと思う。
ところが
全く違う見方の人がいる。
星野富弘。
「栗の実」
栗の実を見て、
「幸せなものたち」だという。
何の傷もなく
兄弟が寄り添って生きている姿にでも
見えるのだろうか。
この季節になれば
一足お先に咲く
彼岸花。
私の田舎では
彼岸花は
お墓の周りに植えてあり
真っ赤な花だけだった。
亡くなった人の血の色。
そんなイメージだったのだが、
近頃は白もよく見る。
でも
白は彼岸花には似合わない。
白色は
はまゆうの花の色。
やはり彼岸花は
赤に限る。
亡くなった人たちの
命の赤。
その彼岸花を
彼が読むとこうなる。
星野富弘
「彼岸花」
淋しがり屋だという。
いつだって
仲間と一緒だから
1人だときっと
淋しがり屋だろうと考えたのだろうか。
それとも、
ほとんどの花は
それぞれの葉っぱを持って咲くのに、
彼岸花は
咲いている時
葉が何もないので
ちょっと寂しそうに見えたのだろうか。
「通せんぼ」をするのは
人に構って欲しいからで、
だから彼岸花は寂しがり屋だと
言いたかったのかもしれない。
悪戯心のある解釋。
作者の純情が垣間見える。
彼にとって秋色は
浪漫にあふれている。
星野富弘氏の詩画集紹介 3(最終回) ~英語版とサインペン画~
星野富弘氏
詩画集ブログ最終回。
「花の詩画集」は
日本だけの販売ではありません。
こんなものもあります。
「COSMOS」
吹く風は見えないけれど
でも
木々の間を抜けてきた風は
緑色の風になる
お花畑をわたってきた風は
香りを乗せて
花色の風になる
いま
驚くほどのやさしさで
私の頬を撫でていった風は
いったいどんな風になるのだろう
(筆者 勝手訳 正確なポエムをご存知の方、教えてください)
星野富弘
<花の詩画集>
「ROAD OF THE TINKLING BELL」
(鈴の鳴る道)
英語圏の外国人にも
広く愛されている詩画集。
「FALLEN CAMELLIAS」 (落ち椿)
椿の葉っぱが百円札
むしろの座敷に
たおれた石塔のちゃぶだい
姉ちゃんがよそってくれた
泥のごはんで唇をよごした
玉入れ競争の
赤組のかごの下のように
椿の花が落ちていた
・・・・・・・・・・・・・・・・
木の下に落ちている
真っ赤な椿の花が
元気で走り回っていた
幼い子供の頃の思い出を引きだします。
「PUSSY WILLOW」 (ネコヤナギ)
ねこやなぎを
割ってみた
中から
宝石がでてくるような
気がして
・・・・・・・・・・・・・・
銀色に輝く
ネコヤナギの芽の中には、
きっと宝石が入っているに違いない。
観点が違うと
こんな新鮮な発想が浮かびます。
白黒の詩画集もあります。
退院してから
一か月に一回
新聞にカットを掲載。
11年間書き続けたものからの抜粋。
星野富弘
<花の詩画集>
「速さのちがう時計」
サインペンで書いたものですから
全て白黒。
「すいせん」
幸せの花の
蕾のようなものとは
何のことを指しているのだろうか
ちと迷う。
でもきっと
幸せの花の蕾は
辛いという字のこと。
「辛」が「十」年ほど待って花開くと
「幸」になる。
幸せとは何か、という問いが
常に彼の脳裏にはあります。
体の不自由な
ある人の言葉
「体は確かに不自由だが、だからと言って
その人が不幸せだとは限らない」
健常者に言わせると
こんな考え方のできることがすごいこと。
「ムクゲの花」
雨が降りだして、
「わぁ!! 雨だ」と喜べる
感性の豊かな人。
その次には
きっとムクゲの花の気持ちを読んだだろう。
かわいそう、と思っただろうか。
喜んでいる、と思っただろうか。
「れんげそう」
「妻よひとつはおまえかもしれないね」
などと言っているが
本当は妻そのもの。
でも
照れくさくて直接的に書けない
純情がにじみ出ている。
こちらはもう
妻のいる喜びそのもの。
「ほととぎす」
読者に対して
「呼べば答えてくれる人がいる」ことは
幸せなことなのだよ。
と呼びかけているような形にしながら、
本当は自分の気持ちを
妻に伝えている。
花が「ほととぎす」なのには
きっと意味がある。
鳥のホトトギスの鳴き声は
森の中でもよく響き
仲間内で良く鳴きあっている。
呼べば答えるホトトギス、
そんな鳥を
花の詩画集では
植物のほととぎすに置き換えたのだろう。
どんなに不自由な身になっても
心の持ちようで幸せになれる。
そんな気持ちにさせてくれる
星野富弘氏の作品は
世界中の人に読まれるはずです。
相当に私感をいれた
長い文章に最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
星野富弘氏の詩画集紹介 2 ~花よりも小さく&あなたの手のひら~
以前のブログ
皆さんにもご紹介しました
手足が不自由で
口で絵を描く
星野富弘氏。
詩画集は
何版も出版されていますが、
もう書店にはなく
入手するのは困難を極めます。
それでも何とか探したものを
今日は2冊紹介します。
星野富弘
<花の詩画集>
「花よりも小さく」
でご紹介しました
世界中の
口や足で絵を描く画家たちと違って
星野富弘氏の絵は
なんとなく詩的で浪漫が溢れます。
「メン類・シクラメン」
うどんもそばもラーメンも
メン類はみんな好き。
だからシクラメンも好き、と来た。
おいおい、それってメンが違うだろ!
と言う声が
見る人から聞こえるほどに
洒落ています。
逆境にあっても
心に余裕があります。
「木の葉」
頸髄を損傷し
手足が不自由になって
入院している時に
キリスト教の洗礼を受けています。
神様にゆだねた人生。
「信じるものは救われる」と言いますが、
私は言葉を知っているだけで
真実はわからないでいましたが、
彼の言葉を聞く(読む)と
信じるということは
本当に素晴らしいことなのですね。
星野富弘
<花の詩画集>
「あなたの手のひら」
「花よりも小さく」の詩画集と同じように
80点余の作品が掲載されています。
その中の
「妻に頼んで花瓶に生けてもらった」
とあります。
書きだしでご紹介したブログの
彼の経歴には書いてありませんが、
彼は
1979年
前橋で初めての作品展を開催した後
理解ある女性と、
1981年に結婚しています。
「桐の花」
手足が不自由だと、
自分で動くことがままならないので、
世界がどうしても狭くなりがちですが、
どのような世界に自分が居ようと、
そこには必ず
「空」がある。
だから
桐の花の先にも「空」があり、
あさがおのツルの先にも「空」がある。
植物たちが上っていこうとしている空には
何があるのだろう、と問うのだが、
深層心理では
本人こそが空を見て、
空に何かを求めている。
空を見ていると
ちょっと救われる気がするのは
空には夢があるからかもしれない、
空には信じるキリストがいるからかもしれない。
夢とロマンがあふれている
星野富弘氏の作品です。
西八王子YOSAKOIソーラン ~雨の中で熱い踊り~
西八王子駅前で
2015年9月6日(日)夕方から、
毎年恒例の
「YOSAKOI ソーラン」祭が
開催された。
小雨が降り続いていたので、
あるいは中止かもしれないけれど、
たくさんの連が
遠方から参加しており、
きっとそんな人たちは
少々の雨でも踊りたいだろうと思い、
強行される可能性があり
とりあえず行ってみた。
案の定
この程度の雨くらいでは
やめられないと、
参加連が踊り始める。
この時には
まだ小雨。
踊る人たちには
小さな子供も入っている。
それぞれの連が
それぞれ特徴のある独自の衣装を着て
音楽に合わせ
時に優しく
時には激しく踊る。
「YOSAKOI ソーラン」は
北海道の大学生が
高知のよさこい祭りと
北海道のソーラン節をミックスして作り上げた
札幌の祭り。
基本ルールが2つある。
1、手に鳴子を持って踊ること。
2、曲にソーラン節のフレーズを入れること。
それ以外は、
踊り、曲、衣装などはチームの自由。
どのチームも
衣装に趣向を凝らしています。
子供から大人までの
混成チームが多い。
連の構成人数もまちまち。
連(チーム)ですから、
1人だけの参加はありませんが、
連の中心で
1人で踊る踊り手は
振りが大きく踊りが上手で
いやがうえにも目立ちます。
基本的に
YOSAKOI ソーランは
チームの美を追求しています。
次第に雨が強くなってきました。
「この連を最後に、
踊る人たちの安全と
観客の安全を考えて、
踊りはやむなく中止といたします。」
スピーカーから
その旨の放送が流れます。
しかし
待っていた男盛りの連は
諦められません。
この程度の雨なら大丈夫、
是非踊らせてと
強い要望を主催者に訴えます。
これが
最後の最後の踊りです、と
さらにスピーカーから案内が流れます。
そのあとにも
また連が出て来ます。
雨の八王子で踊るのも
それはそれで良い思い出。
踊り手の気持ちは
痛いほどわかります。
そして
これが本当に
最後の最後の踊りですと
案内の放送。
この衣装と
この踊りを
観客に見せずに帰られようか。
雨が激しくなってきたので
このチームで本当に終わり。
雨さえ降らなければ
あと10チームくらいの出番があったはずなのですが、
やむなし。
そんなこんなで
西八王子YOSAKOIソーランは
無事に?終了。
踊り手の皆さん、
本当にご苦労様でした。
そして
「ありがとう!」







































