秋色の詩(うた) ~栗の実と彼岸花~
セミの声が虫の音に代わり、
植物たちも
一気に秋色を帯びてきた。
近所の風景。
栗の実。
私の住むところには
広い土地を持つ
昔からの農家が多く
栗畑もたくさんある。
広い土地を扱いかねて、
木々を植えっぱなしにしてある。
ここはたまたま
栗の木の畑。
収穫するのが目的ではない。
土地は何らかの形で
農地として使っていることを
見せなければならないので、
植えてあるだけ。
だから栗の実がいくら落ちても
地主は決して拾わない。
農家でない人たちは
もったいないと思いながらも
人の畑に黙って入って
実を盗もうとする人なんか
道徳観念が働いて
誰もいない。
地に落ちた栗の実を見て、
普通の人は
もったいないと思う。
ところが
全く違う見方の人がいる。
星野富弘。
「栗の実」
栗の実を見て、
「幸せなものたち」だという。
何の傷もなく
兄弟が寄り添って生きている姿にでも
見えるのだろうか。
この季節になれば
一足お先に咲く
彼岸花。
私の田舎では
彼岸花は
お墓の周りに植えてあり
真っ赤な花だけだった。
亡くなった人の血の色。
そんなイメージだったのだが、
近頃は白もよく見る。
でも
白は彼岸花には似合わない。
白色は
はまゆうの花の色。
やはり彼岸花は
赤に限る。
亡くなった人たちの
命の赤。
その彼岸花を
彼が読むとこうなる。
星野富弘
「彼岸花」
淋しがり屋だという。
いつだって
仲間と一緒だから
1人だときっと
淋しがり屋だろうと考えたのだろうか。
それとも、
ほとんどの花は
それぞれの葉っぱを持って咲くのに、
彼岸花は
咲いている時
葉が何もないので
ちょっと寂しそうに見えたのだろうか。
「通せんぼ」をするのは
人に構って欲しいからで、
だから彼岸花は寂しがり屋だと
言いたかったのかもしれない。
悪戯心のある解釋。
作者の純情が垣間見える。
彼にとって秋色は
浪漫にあふれている。









