人が生きていくうえで“信念”はとっても大切なものだ。


しかし、信念に支配されてはいけない。



信念に支配されるとはどんな状態か?



自分が正しいと思っているものをだけを受け入れ、他を排除する。


そしてそれを守るために無駄なエネルギーを使うという状態だと思う。



どうして、そう思うようになったのか?



何を隠そう私がそうだったからだ。



以前の私は、「ガンは自分の力で治すもの」という信念に支配されて西洋医学や三大療法を排除し、相当なエネルギーも使ってきた。



それで得たものは憤りや怒り、そして不満だった。



そんな経験を経て、“信念”に支配されるとどうなるか?


信念とは自分の考えなのに、自分の正しさを主張しだし、その考えを押しつける。


信念という言葉の元に他を寄せ付けず、自ら思考停止状態に陥る。



すると最後には同類ばかりが集まり、依存によって成り立つ集団ができあがり争いに発展する。



信念の戦い!なんでことに・・・・



では、信念なんて不要なのか?



やっぱり大切なものだと思うし、私は今も“信念”を持っていきている。



大切なことは「支配されないこと」



つまり信念を持つのは良いが「意識的に生きる」ことだと思う。



信念を変える勇気や覚悟を持つことだと思う。



私が“信念”を変えたときはたくさんの非難を浴びた。



急にそれまでと違うことを言い出したのだから当たり前だ。



しかし、それで支配という自分の拘束が外れとっても楽に生きられるようになり、“信念”の捉え方が変わった。



今私が思う信念とは?



「信念とは結果」


つまり自分の信念を作るために行動をして、出てきた結果を“信念”とするのだ。



すると信念は意識によって変化するし、自分の行動を伴うのでブレなくなる。



そしてそれが自分の未来をより良く、望んだものにしてくれるのだと思う。



私の癌になった原因は、食事・ストレス・ライフスタイル・環境とたくさんあるが、これを一つの言葉で表すと「無意識の中ある社会や世間のルール」だと思う。


私がガンになる前にやってきたこと、働き方、毎日の過ごし方、考え方すべて当たり前だと思い無意識な日常を送っていた。


しかし、ガンになって無意識だったものを意識するという習慣を作った。


それが「選択する」という意識。


食べること、寝ること、呼吸すること、話す言葉、行動することの前に「本当に自分はこれで良いのか?」という疑問視をもち、選択するという意識を持ったのだ。


私がそんなことを思うようになったのは、15時間の手術のあと人工呼吸器に繋がれたとき、これらのことはすべて出来なくなったことにある。


これまで、当たり前だと思い意識することなく行っていたことが、一瞬にして何もでき無くなってしまった・・・・


人工呼吸器に繋がれた2日間、それらのことの有り難さが心からわき上がった。


なので、これからはもっと大切にしなければいけないと思ったのだ。


大切にする事とは?


私は「意識する」ことだと思い行動したのだった。


私たちの生活の中でも、大切だと思いものは意識するが、そうでないものは無関心


それなので、今の自分にとって大切なもの?必要なものは?これで良いのか?ほかの選択は無いのか?という思考回路を行動との間に入れたのだ。


すると、不思議に今まで気づきもしなかった、たくさんの選択肢が見えてきた。


そして、選択を変えてみると?


環境が変わり、刺激も変わり、心も変わり、身体も変わってきたのだった。


そんな経験を通して、思うことがある。


今の時代、がんになる人がドンドン増えている。


なりたくない!と思っていても、2人に1人がガンになる時代なのだ。


そんな現状をみると、現実を動かしているのは思いや理想ではなく無意識の中の世間のルールになってしまっている。


だから、現実を変えたいなら思いや理想を追っているだけでは変わらない。


自分の中にある、無意識のルールを変えるしかないのだ!



“偶然は必然”なんてよく言われるが、必然的な偶然なんて、そんなにあるものではないと思うだろう。


しかし、私には必然的な偶然は山ほどやってくる。


その理由は?と思い返すと、目標をつくることをやめたからだと思う。


もし、何らかの目標をつくってそこに向かって進んでいたらたぶん、偶然は偶然で終わっていたような気がするのだ。


目標をつくることで、計画以外の出来事は無関心な出来事となってしまい、偶然は偶然として過ぎ去っていく。


また、その目標達成のためにつくった計画に時間をとられて、偶然のできごとは無駄な時間となってしまう。


それは先ばかり見て考え、今の自分の感性を減退させてしまう。


私は今を大切に生きるとは、偶然という出来事や出会いを大切にするということだと思うのです。


もちろんガンになったことも、偶然ではなく必然だと思うようにした。


そして、偶然と自分を繋ぐ糸を探しながら生きてきたのだ❗️


そうやって生きてきたせいか、がんになって以来、毎年予想もしていなかった人生を送っているし、どんどん山頂に近づいているような気がするのです。


あれこれ変わり過ぎて、「織田さんは行き当たりばったりでやってはやめてばかりなので、少し落ち着いたら」なんてよく言われますか。


なにも考えず、頭を空っぽにして偶然を大切に目の前の事に取り組んでいるだけなのですが・・・(笑)



それでも、目標こそ立ててはいませんが、自分の中にはまったくぶれていない一つの生きる目的みたいなものは持っています。


がんになる以前はそれがなかったから、あれこれ計画を立てそれをこなしていかないと進んでいけない、パン食い競争のような人生を送っていたのではなんて思います。


そして今は、ぶれない一つのものがあるから、人に言われる事もあまり気にせず、行き当たりばったりになれるなんて勝手に思っています。

私は自由に生きてきたし、自由を大切にしている。



では私にとっての“自由”とはどんな状態か?



“自分の心に沿った選択をすること”



でもそれは好きなことをすると言うことではなく、心に違和感を感じたり、心が望まないことはしないという選択をするということ。



振り返ってみると私は生まれてから、がんになるまでずっと人から嫌われないように生きてきたような気がする。



その結果、人の目を気にして、自分の心を欺き、自分の自分自己評価もどんどん低くなっていった。



そして、がんになって私は、がんという病を治すためには、自分を好きになる必要があると思った。



その理由は、がんは自己否定から生まれる病だと思うから。



私たち生き物は細胞から出来ていて、その多くは一般細胞だが、あるときからがん細胞の増殖が進んだことで癌が見つかった。



がん細胞とは、自分の中から生まれた異種細胞。



言い換えれば自分の中の、異なるもの。



それこそが、違和感や自己嫌悪だとおもった、



自分が感じた嫌な思い、腹立たしさなどが積もり積もって様々なストレスとなり、ライフスタイルや食を乱していった・・・・



本当の自分を忘れ、考えないように酒を飲み、がむしゃらに動いた・・・・



生きていくには、そうしなければいけないと思っていたのだ。



そして、違和感や自己嫌悪はどんどん進むと同時に、がん細胞もどんどん増殖していった。



私は、そんな心が細胞を異種化させていったと思ったので、自分の心のままに生きて、自分を好きになるような生き方をすると決めた。



たとえその結果、嫌われたりどんなに非難されたりしたとしても。



私は、今の社会 多くの人が“ 自分らしさ”を見失い、その数と比例してがんは増え続けているような気がしてならない。



だから私自身が“自分らしく生きること”を貫き通し、人が“自分らしく生きていける環境をつくる”ことに人生をかけていこうと決めたのだ。



がんを治したかったら、がんになりたくなかったら“自分らしく生きること”だ!!



他者から嫌われることを恐れるな!



嫌われない生き方は不自由きわまりない、がんになってしまう生き方だと私は思うのだ。


がんが解って5年生存率が少ないと解った時、私が最初にしたこと。


それは“現実逃避”だった。


その恐怖を紛らわすために、早く仕事に復帰して元のように働くことが一番の正しい道だと思っていました。


しかし、体力的にも精神的にもがんになったという大きなリスクをヘッジできずに不安や恐怖は収まるどころかどんどん膨らんでいったのです。


「正しいことをしているはずなのにどうして不安や恐怖はなくならないのだろう?」


現実は良くなるどころが、次第に悪くなっているような気がしたのです。


そこで、よくよく今の自分の置かれている状況を確認してみると、がんになる数年前からの環境とまったく変わっていないどころか、病というリスクが上塗りされてさらに悪くなっていることが解りました。


しかし、生活もあるしサラリーマンを辞めるわけにはいなない・・・・


そこからは今の自分の生活の中から、あれが悪い、これが悪い、といって今の自分の生活の中から悪いものを見つけて排除することを必死にしていたのです。


するとどうでしょう。


悪いものばかり目について、精神は緊張状態・・・・


 さらに社会や経済、すべてのものが悪く見えてきて、怒りや憤りが雪だるまのように大きく膨れ上がってきてしまったのです。


その時の状況は、悪くしている原因を自分以外のところに求めてしまっていたことで、自分の中に不平や不満、怒りなどの負の感情ばかりが湧き起こってきてしまっていたのでした。


変わるはずのない現実を変ええようと、自分以外のものに視点を向けていては、最終的にはさらに悪い状況になってしまうということが解りました。


このような経緯を経て、あれが悪いこれが悪いと言っていても現実はまったく変わらないということが解り、その原因を作っている原因となっている自分の生活環境や生き方を変えようと決めました。


するとどうでしょう?


肉体もリフレッシュしを精神も解放され、日々生きることが楽しくなり、次第に不安や恐怖は薄れていったのです。


さらに、私の周りにはあれが悪いこれが悪いと眉間にしわを寄せて正しさを主張する人は少なくなり、自分自身が自分らしく楽しいことをしている人が増えるようになり、状況はさらによくなっていきました。

 

そんな経緯を経て、私はどんなことでも“現実が正解”だと思いようになったのです。


そしてその現実変えるのならば、悪者を見つけるのではなく、まずは自分が行動して自分の現実を良いものにするしか手段はないのではないでしょうか?


悪者を見つけて叩くのは、現実逃避をしているからにほかなりません。


これは、現在がん医療の在り方とまったく同じ。


がんを悪者と決めるけることで、叩くことを正当化し自分の生き方の結果という現実逃避をしているから、がんになる人もお亡くなりになる人も増え現実は歩くなる一途を辿り続けているのです。


現実を変えるには、今の自分を変えるための行動をすることしかないと私は思うのです。