お久しぶりです。4年長距離の宮澤です。
2年生の時に20単位しか取れなかった私が卒業出来るなんて、、、助けてくださったみなさんありがとうございました。

恵まれた環境で陸上に向き合うことが出来たこと、本当に感謝しています。
確かに、メニューは自分で考えて1人でこなすことが多かったのですが、それをサポートしてくれたり、応援してくれる人がいてくれたからこそ、辛い時も逃げずに頑張れたと思います。
私が辞めずにここまで続けることが出来たのは、紛れもなく仲間のおかげです。

陸上部に入部して、同じ競技に真剣に向き合う仲間に出会えました。
仲間が自己ベストを出した時に自分の事のように喜べたり、自分がベストを出した時に自分の事のように喜んでくれる仲間がいたのは、当たり前じゃなくて本当に幸せな事だったと思います。

4年間を振り返ってみると、もっと自分に厳しくできたなあと思ってしまいます。
全カレにただ「出場しただけ」で終わってしまったのは、毎日を大切にせず過ごしてきた結果でした。
結局のところ頭を使わずに練習するだけの積み重ねが、不甲斐ない自分の姿に繋がったのだと思います。
いくら後悔したところで私は二度と学生の大会には出られないので、後輩のみなさんは後悔のないように毎日を過ごしていってください。
ただ、2浪でも全カレ出られるんだよって証明できたことは自分の中では本当に嬉しかったです。

最後になりますが、4年間本当にお世話になりました。本当にたくさんの人に支えていただきました。
同期のみんな、2歳年上ということもあったのに壁を作らず同い年のように接してくれてありがとう。
後輩のみなさんはコロナ禍で大変なこともあるとは思いますが、自分の目標に向かって頑張ってください。
辛い時こそ仲間に頼りながら、みんなで乗り越えていってください。もう二度とないこの一瞬一瞬を全力で楽しんでください。応援しています。
 こんばんは、長距離部門前パートチーフの小坂健悟です。先日堅物な後輩達からユーモアたっぷりなコメントで溢れた色紙が家に届いていました。どの写真も懐かしく思わず微笑んでしまいました。みんなありがとう。

 お喋りな僕は沢山話したいのですが、時間も時間なので自分が4年間心掛けていたことと学習院大学陸上部に伝えたいことを各1つずつ話したいと思います。

 まず自分が4年間心掛けていたことはどんな時も大口を叩けということです。つまり、周囲にはビッグマウスでいろと意味です。自分は高校から本格的に都立駒場高校で陸上の道を歩み始めました。中学はサッカー部に在籍していましたが、区駅伝での優勝、東京都駅伝大会で2位、今年箱根駅伝を走っていた選手とも今思えば渡り合っていたのでそれなりに自信を持って陸上部の門を叩きました。しかし、入部後は靭帯断裂や度重なる疲労骨折で2年半マネージャーとして高校部活を引退しました。そんな中でも毎年昭和記念公園で開催される箱根駅伝予選会をTVで見て、自分の4年間の大学生活をこれに賭けたいと思ったのを今でも思い出します。
 こんな理由で学習院大学の陸上部に入部を決めました。1年時は靭帯再建手術をし、走り始めたのは1年の冬頃でした。リハビリの最中から「予選会の標準なんて簡単に切れますよ」と先輩や同期に舐めた口調でよく言ってました。3年半もまともに走ってない奴が何言ってんだとバカにされてましたが、復帰から4ヶ月後の初の10000mで標準を切ってから周りの自分に対する見方が変わりました。それから僕は学習院大学長距離部門の主力選手になる事ができ、箱根駅伝予選会を3度走る事ができました。途中から箱根駅伝本戦を目指していましたが、怪我に悩まされそれは叶いませんでした。でも、引退時の僕の口癖は「箱根駅伝本戦に俺は出れる」になっていました。
 
 何が言いたいかというと、自分の言動で周りからの大きな期待や注目を浴びる事で自分の逃げられない状況を自ら無理やり作っていました。そうして自分を追い込む事で陰で人より何倍も陸上について研究したし、箱根常連校のトレーナーや選手とトレーニングをして多くの事を吸収しました。よく小坂はピーキングが上手いとか試合を外さない、才能があると言われますが、それは違くてただ自分に半端ないプレッシャーをかけることで無理やり理想の自分を作り上げていただけです。
そうすると最初は虚像だったものが、周りの期待と自分の努力で少しずつ実像に変わるんです。これが僕の4年間意識してきた事です。

 そして学習院大学陸上部に伝えたい事は内向的な分断した組織になるのではなく、外交的な一枚岩になって欲しいということです。陸上競技は個人競技的な部分が大きいためどうしても周りに目がいかず、内向的になりがちです。だからこそ相手や仲間を上部だけで判断して揶揄したり、仲良い部員でグループを作りがちです。学習院は実力は初心者から全国レベルまで色とりどりの選手が自発的に集まってきた個性豊かな面白い集団なのにそれでは勿体無いと思うんです。初心者は必死にトップ選手から心技体を学び、トップ選手は自分の知識をアウトプットすることや初心者ならではの斬新な発想に他山の石ではないですが学べる事も多いと思うんです。せっかく4年間学生生活を1番共にする仲だからこそもっと外交的になって競技力もチーム力も何より人間性をもっと深めて貰えたらと思います。

 長くはなりましたが、これで僕の学習院大学陸上部での最後の仕事は終わりです。自分を競技者へと再生してくれてありがとうございました。社会人ではフルマラソンで2時間10分切り(サブ10)目指して頑張ります。いつ実像になるかお楽しみに。

      長距離部門前パートチーフ小坂健悟
お久しぶりです。
春季記録会がなくなってしまい、なんともやるせない気持ちになっている松浦です。
とても長くなりそうなので暇な時に読んでいただけると幸いです。

まずは僕の10年間の学生陸上に関わったすべての人に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

早いものでもう卒業です。
正直4年生の記憶がほとんどありません。合宿とか大会もほとんどなかったからですかね、今思うとあんなにキツいメニューやっていたのにそれが恋しくなるなんてもう重症なのかなと思います笑
引退している4年生も意外と走っていたり筋トレ続けている人も多いので、口では嫌いと言っていた人も意外と走る事が好きなのでは?ないかと感じました。

まずは自分の事を振り返りたいと思います。

・中学、関と丸山と同じ中学校の鬼顧問陸上部に入部。週3回ある朝練のペーランで過呼吸を続けてめちゃくちゃ苦しいし向いてないのかなと感じていました。それでも何故か異常に負けるのが嫌いな中学生で帰った後も練習をしていました。3年の時は1500mで全国まであと0.19秒足りずに県大会入賞で終了。走り終わってからずっと泣きながら帰ったのをきっと死ぬまで忘れたません。

・高校、中学の悔しい記憶を胸に駅伝で全国大会を目指すことに。國學院久我山の陸上部のスポーツ推薦のメンバーは全国大会経験ありの人が多かったのですが、僕の代では全員出場がありませんでした。担任、先輩などからは「ハズレ年」と言われ、悔しい通り越して怒りになりました。ハズレ年と言われた同期たちで絶対に記録を出して見返そうと言う話もしました。
インターハイ出場はならなかったものの、都駅伝で優勝、全国高校駅伝では東京都で歴代2位の記録を残せ、今は亡き監督に育てていただいた恩返しが出来たと思います。

・大学、自らの適性を考え中距離を専攻する事に決断して学習院大学陸上部に入学。曲直瀬さんという久我山からの大先輩もいたおかげで伸び伸びと陸上を4年間続けて、目標であった日本選手権、全国インカレは出れませんでしたが、学習院大学記録を更新した事。中距離グループの礎を作れた事は自分の中で大学での成果だと思っています。

中距離であった、水野さん、まる、はやと、しゅうじ、めぐみちゃんは本当にこんな自分と長い間付き合ってくれて本当にありがとうございました。


ざっと僕の陸上人生はこんな感じでした。
色紙をいただいて、色んな方に「ストイック」という言葉をいたきました。僕は自身のことをストイックだとは思っていなくて、ただの負けず嫌いだと思っています。また松浦は才能があるから...と言う言葉も大学に入ってから言われた事があったのですが、それも違うなぁと思って。。上の10年間を見てもらうと分かると思いますが

僕には才能がありません。


これはネガティブな話ではなく、自分では、負けないように勝てる様に、どうすればいいんだろうと試行錯誤した結果がこの成果を産んだものだと思います。
才能があれば練習しなくても脚は速いしなんでもできます。僕は負けるのが嫌でひたすらに走っていました。だからこそ対抗戦でも絶対に1位が良かったし、はやとが来てから練習で負けるのもめちゃくちゃ嫌でした笑

何をお伝えしたいかと申しますと、才能なんて言葉で片付けず、よく考えて着実に努力して欲しいという事です。

上の文章、めちゃくちゃぼんやりしてますけど僕の中でこれが一番まとまっていると思います。

学習院はほんとに色んなレベルがいますが、記録が伸びる喜び、順位が上がる喜びは平等で部活に所属するなら目指すべきだと思います。みんなが言う様に楽しくね。
是非みなさんには才能ではなく努力を理由に勝ち上がって欲しいなと思います。
大した記録を出していない自分が言うのも少し変ですが笑

ビックリするくらいまとまらなかったんですけど、この文章が誰かの何かに引っかかって記録が伸びてくれることを祈ってます。

4月からの勤務地がわかりませんが、走ることは好きなのでまたどこかで練習や試合に顔を出せたらなと思います。その時は仲良くしてください。

嫌な事も楽しい事もありますが、それも部活動の醍醐味で今後に繋がると思います。大学生の陸上生活を謳歌してください。

今まで本当にありがとうございました。みんなの事が大好きです。

みなさんお久しぶりです。一昨日西の方への配属が決まった4年跳躍フィールドチーフ?の関です。

まず卒業が確定し学生時代を終えることになりまず最初に思ったことが、陸上への感謝です。

10年間続けてきた陸上人生について軽く振り返らせてください!
大昔の話になりますが、小学生時代の自分はみなさんの近所にもいるであろうなんの取り柄もない典型的な悪ガキでした。中学に上がって部活を選ぶ時にちょっと足が速かったという些細な理由で陸上を選ぶことになりました。
今思えば自分にとってここが今のところ人生で最大のターニングポイントでした笑。いざ入部するとそこにいたのが、松浦と丸山はご存知の通りのどこの学校にもいるような鬼のように恐ろしい体育教師の顧問の先生でした。ここが自分の陸上人生の原点です。
ここから自分は悪ガキ精神を正され、走り幅跳びのレベルも幸い上がり陸上にハマりました。
高校でも同じく陸上部に入り走り幅跳びを続けましたが、なんと中学のベストを1mmも更新できないという屈辱を味わいました。(ちょっと足は速くなったため顧問に『お前は跳躍には向いてないから辞めちまえ』とまで言われたこともありました。)高校時代は正直暗黒期でした。
学習院大学陸上部には悔しさを晴らすために入りました。しかし、入学から2ヶ月後に全治1年の要手術の大怪我を負ってしまいました。すでに暗黒期だった自分にとって暗黒からの暗黒、闇の世界へ行くことになりました。この世界から引っ張り出してくれたのが当時の同期や先輩方です。『早く戻ってこいよ』だったり『早く一緒に練習したい』という言葉に本当に本当に励まされました。言ってくれた方々は言ったことを忘れてるかもしれませんが、ありがとうございました!
色々な方々に支えられ無事復帰でき、その後は大幅ベストを更新でき、悔しさを晴らすという本来の目的は達成できました。
以上がざっくりとした陸上人生です長々と申し訳ありませんが、まだまだ書きたいことは無限にあります。
本当に山あり谷ありの人生でしたが、陸上を通してとてつもなく多くのものを得ることができました。本当に陸上をやっててよかったです!こう思うことができたのも同期、先輩、後輩、マネージャーさん、先生方、高校までに関わってきた人たち、多くの方々のおかげです。

最後に後輩たちへ、コロナ禍の中各々目標に対して努力するのは難しいことだと思います。学生時代の悔いは一生残るという話をよく聞きます。目標が達成できなくとも自分自身の中で大きな悔いがなければそれでいいと思います。まだ時間は残っているので頼もしい仲間と共に精一杯頑張ってください!!

長くなりましたが、4年間本当にお世話になりました。ありがとうございました!

こんにちは!


昨日、大学の卒業発表で無事に卒業が決まってほっとしている4年マネージャーの森田です照れ桜



毎年この時期になると4年生の先輩方が素敵なブログを書いて下さっていて、自分が書く日が来るなんて、、と感慨深い気持ちです。



先日の四送会の際に、マネージャーでの仕事についてはブログで書くと言ったので、ここでは私のマネージャー活動を振り返っていきたいと思います拍手

 


私は中学・高校時代は書道部に所属していました。入部した理由は単純に幼い時から習っていたからでした。これといって何か目標があるわけでもなく、"とりあえず"部活に入っていればいいやという気持ちで続けていました。




そんな私に転機が訪れたのは高校3年時に観ていた箱根駅伝でした。箱根駅伝も幼い時からテレビで観ていて好きだったのですが、高校3年時に観ていた箱根駅伝は、言葉で表すのが難しいんですけど、、なにか惹きつけられるものがありました。




箱根駅伝を走れなかった選手のインタビュー記事を読んで、陸上に対する熱い想いや何度も目標に挑戦する姿をみて、私も何か"自分でやってみたい"と思えることに挑戦したいと思いました。 



そして最後の学生生活となる大学生で、陸上競技部のマネージャーをやってみようと思い、現在に至りますランニング




入部するのにあたっては、元々声も小さいし、そもそも人と話すことが苦手な私がマネージャーになんてなれるのだろうか?と不安な気持ちの方が大きかったのが事実ですもやもや




でも、入部してもらえてよかったと思ってもらえるマネージャーになりたいと思っていたので、自分の苦手なところを少しでも減らせるよう、休日は大きな声で読み上げの練習をしたり同期や先輩に少しでも話しかけられように話題を探したり()しながら、部活に取り組むようにしていました炎




月日は流れて、大学3年時にはマネージャーチーフを任せていただきました。同期マネージャーの中で、最も優柔不断で決断力に欠ける私だったので同期マネージャー含め、後輩マネージャーには迷惑をかけることが多かったのではないかなと思います。




マネージャーも計5人という少人数体制で取り組むことになり、選手の皆さんにも自分達の練習だけでなく、ビデオや計測を手伝ってもらう機会も多く、練習環境としては今まで以上に大変な状態だったのではないかと感じでいます。




このような状態になっても選手の皆さんは"マネさんいつもありがとう"という言葉をたくさんかけてくださって、日々の活動を頑張る糧になっていましたグッ



現在マネージャーは2人体制で、充分にサポートが出来る状態とは言えないと思います。




後輩マネージャーには、自分達で出来ることを一つでも多く見つけて選手を支えてあげてほしいです。

そして、気持ちよく練習出来る環境づくりをマネージャー、選手問わずチーム全員で作り上げていってほしいと思っていますニコニコラブラブ




最後に、日体大まで片道3時間、ギオンスタジアムまで片道2時間40分という部の中でも1.2位を争う秘境に住む私が、ここまで部活動を続けてこられたのも、陸上が好きで、自分でやりたいと思ったことだから続けてこられたと思います。




入部してもらえてよかったと思ってもらえるマネージャーになれたかはわかりませんが、、同期のマネージャーをはじめ、後輩マネージャー、選手の皆さん、卒業された先輩方のおかげで最後まで陸上競技部のマネージャーを続けることが出来ました。本当にありがとうございましたチューリップ




後輩のみなさんの活躍を心から応援しています!!

お久しぶりです。マネージャーだった4年の横田です。意外と早くこういうブログを書くタイミングが自分にも回ってきたことに月日が経つ速さを感じています。

昨日はオンラインで四送会がありました。企画してくれて嬉しかったです。ありがとうございます。

この場では、四送会でお話ししなかったことについても書いていきます。かなり長くなってしまいました、、

タイムを計る、ドリンクを作る、大会参加の手続きをする等、マネージャーとして仕事してきました。たとえそれが私の役目だとしても、マネージャーって必要かなと思う日々でした。私がやっていることは選手でも見たり調べればできることだし、練習にマネージャーがいなくても選手たちで協力してできるからです。更に、マネージャーの先輩から「選手に練習の準備をさせてはいけない」と言われたことがあります。確かに自分たちの仕事だから私たちがやるべきです。でも選手の身の回りのことを全部整えるのはマネージャーというより世話係なのではないか、とあの言葉には正直納得できませんでした。つまり、誰もができることを役目としてこなし、選手の身の回りのことなんでもやるのは違うなと思いました。
春休み、ある本を読みました。P.Fドラッガーの『マネジメント』です。(もしドラみたいなことをしてしまいました笑)その本では、「マネージャーの仕事は働く人が最大の成果を発揮できるようにサポートすることだ」、みたいなことが書かれていました。その言葉に出会って私が部の中でやるべきことが見つかったような気がしました。部に置き換えれば、選手が練習に集中できるように行動する、試合の時は選手が力を発揮できる環境をつくることだと思い、それらをマネージャーとしての軸にしました。4年間でそれがしっかりできたかと聞かれれば自分で評価することは難しいです。しかし、自分がこの部活にいる意味を僅かながら見いだせたのはよかったと思っています。

ここまで、私がマネージャーとしての役目を考えていったエピソードを書いてきました。ここから伝えたいことは自分のできることは何かということにアンテナを張ってほしいなということです。結局ここに辿り着いてしまいました。例えば、選手であれば思うように競技ができないとき、走る跳ぶ投げる以外の方法で自分を強化したり、マネージャーであればサポートに役立つことを勉強して更に選手の力になれる術を増やしたりできると思います。やがてそれが自分の武器/長所として活きる時がやってきます。皆さんが陸上競技を通して自分のため、チームのために進化していくことを願っています。

最後に、この4年間、先輩方をはじめ、たくさんの人に支えてもらいました。特に同期には助けられっぱなしでした。続けられたのは優しくて仕事のできる仲間がいたおかげです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

英米4年、短距離の松井です。
最初にことわっておきますが、題名にもあるとおり、このブログは自分がお世話になった先輩方と同期のみに対して書くものにします。そしてけっこう長いです。お時間あるときに、暇潰しに読んでください。

まず、3つ上、2つ上、1つ上の先輩方に感謝を伝えたいです。競技面だけでなく、それ以外の面でも本当にお世話になりました。競技のことや悩んでることなどめっちゃ話を聞いてもらったし、普段からめっちゃ笑わせてくれたりと一緒にいて本当に楽しかったです。ご飯にも飲みにもたくさん連れていっていただきました。

本当は先輩方一人一人とのエピソードを全て書きたいのですが、さすがに無理なので、自分の3つ上の先輩とのエピソードだけ書かせてください。

自分が1年生の頃、無謀にも「一緒にウェイトやっていただけますか?ウェイトを教えてほしいです。」的なことを、当時4年生のウェイトが得意な先輩にLINEで送ったことを覚えています。その先輩は快諾してくださり、1年生の自分に時間を合わせて一緒にウェイトをやってくださいました。
しかもその一回きりではなく、その先輩が卒業する直前まで一緒にウェイトをやってくださいました。
そのおかげで入学時に63キロしかなかった体重が70キロまで増えました。
また、その先輩とやる最後のウェイトの日に「本当にありがとうございました。」とお礼を伝えると、その先輩は「いいんだよ。松井。あとは競技面でかえしてくれるのが一番だよ」と言ってくれました。かっこよすぎませんか??

悔しいことに自分は競技面で全く結果を出せませんでした。時間を割いてくれた先輩への申し訳なさと自分の不甲斐なさがめちゃめちゃストレスで、陸上から心が離れていきました。特に自分が3年時の関カレが終わった時は、本当に陸上から心が離れました。そんな自分がカッコ悪すぎて、先輩方のようになれなくて、すごくつらかったです。

ただ、自分は本当にありがたいことに、同期にも恵まれました。ちょうど3年時の関カレ後に、同期長距離の人達とご飯に行きました。その時にいろいろな話をして、仲が深まったと思ってます。(自分の一方的な思いかもしれませんが笑)
またその同期たちの話を聞くと自分ももっと陸上がんばろ!って思えました。また他大学の陸上部の人達と一緒に走るのも、とても楽しく、もっとがんばろうと思えました。

大学で陸上を続けてみて、一番よかったことは最高に魅力的な人達に出会えたことです。先輩方。長距離、中距離、跳躍、マネの同期のみんな。成蹊大学、上智大学、成城大学の方々。この人達とやる陸上は刺激的で楽しかったです!競技以外にも、性格面や物事へ対する考え方などとても尊敬できる人達で自分からみたらかっこよすぎて眩しい存在でした。

4月から自分は離れたところで働くことになりました。陸上を通して出会えた魅力的な人達と簡単に会うことができなくなるのがたまらなく寂しいです。
大学で出会った人達に恵まれすぎて、これから先の人生で出会う人達には恵まれないのではと不安になってしまうほどです。

ここまで長々と拙文を読んでいただき、ありがとうございました。僕の2つ上の英米の先輩は文頭から文才溢れるブログを書かれていましたが、残念ながら自分はそのようなセンスもありません。

最後に、先輩方や同期の人達をはじめとする大学で陸上をやったからこそ出会えた方々に、心から感謝をお伝えしたいです。本当にありがとうございました。
4年のマネージャーだった野口です!

私にとってこの4年間はあっという間でした。振り返ってみると一生分の早起きをしたなとしみじみ感じます。もう織田で叫べないと思うと少し寂しいですね笑
 
 私はこの4年間で数々の失敗を経験しました。事務仕事をはじめ練習でも。大きいことから小さいことまで様々な失敗を経験しましたが、なるべく自力で解決しようと行動に移したりわからなくなったら周りに相談したり多々ご迷惑をお掛けしました。ですが失敗することで学ぶことも多く、以後細心の注意を払うようになりました。様々な場面でチャンスを下さった選手の方々には感謝しきれません。
 
この4年間で沢山のお仕事を経験し、実のあるかけがえない経験をさせていただきました。4年間続けてこれたのも優しい先輩方や頼もしい後輩、何より同期の支えがあったからだと思っています。

陸上のことを1も知らなかった私を受け入れてくださった陸上部に感謝しています。たくさんの経験をさせて頂きありがとうございました。

お疲れ様です。
夏はウーバーイーツ、秋は山崎製パンの工場でのバイトで稼いだ貯金で遊びたい放題の春休みを送る4年長距離の冨樫です。


早速、質問なんですけど、皆さんはどんな生活を送れたら幸せだと思いますか?

僕は、大学1年のときからずっと、「お金にも時間にも余裕があるから遊びまくれる生活」が1番幸せなんだなーと思っていました。

なので、「20代のうちに一生生きていけるくらいのお金稼いで、死ぬまで遊んで暮らせたら最高!」みたいなこと本気で考えてました、笑



でも最近、この考え方が変わったんです。

冒頭でも書いたんですけど、陸上部を引退した後の僕は貯金も結構あったし暇な時間もたくさんあって遊んでしかなくて、、

これってまさに、僕が夢見た生活を送ってるんですよね。



でも、なんて言うか生きてて覇気みたいなものがないんですよね。笑


もちろんこの生活も凄く楽しいんですけど、

じゃあ、この生活を何年間も過ごしたいか?って言われると、それはそれできついなーって思っちゃうんですよね、笑



それで、思ったんですけど、人間ってたぶん、生きてく上で、目標になるような何かがないと、どんなに裕福でも生きてて楽しくないんじゃないかなーって、



この4年間の僕にとっての生きがいは陸上で、毎日の生活を数ヶ月先や数年先の目標を見据えながら過ごして来ました。

まあ、ほとんど思い通りには進みませんでしたけど、笑

それでも、常に目標があった4年間は本当に楽しかったです。



残念ながら、陸上を引退した今の僕には将来の目標など特に無く、これからはじまるであろう社畜生活に怯えています笑


なので、社会人になったら、また学生時代でいう陸上のように、生きがいになるようなものを見つけられるように色々な経験をしていきたいと思います!


まだ1年以上も大学陸上ができる後輩の皆さん、とても羨ましいです。笑
その限られた時間を思う存分楽しんでください!!




最後に、もともと友達を作るとか苦手な僕でしたが、陸上部に入って「走る」ことを通じたおかげで、先輩とも後輩とも同期とも色々な人と仲良くなれました。
本当に楽しい4年間でした。


ありがとうございました👍


4年長距離 冨樫武聖



こんにちは!4年長距離の田中まなみです。

あんまり今まで皆にゆっくり話せる機会もなかったので、私からはなぜここまで陸上競技を続けてきたのかということと、そこから得られたものについて書きたいと思います。


まず、大学までなぜ陸上をやってきたか。

これを書くにあたって少し陸上人生を振り返らせていただきます。
私は小4から大学で引退するまで、約12年間陸上競技を続けてきました。小学校のマラソン大会で1位になったことをきっかけに、走ることの楽しさに夢中になり、自分は走ることが得意だ!と思い込んでました。その流れで中高(学習院女子)ももちろん陸上部へ。中2までは試合に出ればベスト、というくらい順調に記録を伸ばしていました。しかし中3〜高3まではスランプや故障で、正直少し走るのが嫌になっていました…笑 それでも部の仲間がとにかく大好きだったので、仲間のお陰でなんとか続けて、そして最後の年には部長をやらせて頂きました。練習は自分なりに一生懸命続けてきたものの、相変わらず伸び悩んでいたので、プレーヤーというより部長として頑張ろうと思って、部をより良いものにすることに力を注ぎました。
そんなこんなで、プレーヤーとしては自分はもう限界かなと勝手に決めつけ、大学では陸上部に入らない!と実は周りにも言ってました。
しかしやっぱり中学から掲げている「1500m5分切り」という夢は諦められない、もう一度真剣に陸上に全てをかけて挑戦してみたいと思い、入ることに決めました。でも何故こんな風に思えたかっていうと、やっぱりこの学習院大学陸上部のお陰なんです。見学に行った時に感じた先輩方のあたたかさは勿論ですが、とにかくストイックな人が多い!(今までの自分が恥ずかしくなるくらい…) 私もこの環境に身を置いて、本当の意味で陸上とじっくり向き合えば、今まで限界を自分で決めてただけで、まだまだ全然ベスト出せるんじゃない?ってその時思い、ワクワクしました。それと同時に、今まで自分が頑張ってるって思ってたことは、ここの選手達の基本レベル以下だと気付いて、気が引き締まりました。


ここからは、この陸上部に入って得られたものについて。

それは努力の仕方は1つではないということ。いろんな角度から様々な努力の仕方を考え、選択するということです。

高校まで、当たり前ですが手を抜いてやっていたわけではありません。むしろ他の部員と比べても練習の量は多かったので、恥ずかしながら頑張っている方だと思ってました…笑
でもがむしゃらに頑張る努力の方法しか知らず、ただひたすら走り込むことしかしてませんでした。でもこの大学の人達は違いました。
普段から練習・試合を意識して生活を送っていたり、アップからダウンまでの一つずつの行動の意味を自分で確実に理解して頭も使って考えながら動いていたり、振り返りを怠らず自分の走りをタイム・動画・体調などから分析したり…
言葉で言うのは簡単ですが、これらを日々地道に一歩ずつ実行できている部員は本当に心からすごいと思いましたし、その姿勢から毎回毎回たくさんのことを学ばせて頂いていました。
私は結果的に、6年ぶりにベストを更新出来たり、1500m5分切りをなんとか叶えることが出来たり、自分の中では満足のいく結果を出せましたが、この部活に入って皆から刺激をもらえてなかったら、私は高校のまま、自分の正しい努力の仕方を知らないまま終わってたと思います。この陸上部に入って関わってくれた人全てに、本当に心から感謝しています!

とっても長くなってしまいましたが…最後に。

走る楽しさを思い出せた、とっても素敵な4年間でした!本当にありがとうございました!
これからも、学習院陸上部のことを心から応援しています!頑張ってください!