先日ある企業の研修で営業担当としてオブザーブをした。


新規の受注だったので、研修終了後にご挨拶をするつもりで最終日の研修終了間際の教室に入った。


教室で受講生の発表を聞いているとマナーモードにしておいた携帯電話が振動し始めたので、そっと扉を開けて軽く一礼の後、教室を出た。


さらに、電話を終えて教室に入るときに、音がしないようにゆっくりと扉を開けて、また軽く一礼して教室に入った。


私にとってはごく普通の行動で、自分が講座を担当するときも教室の出入りの際にも一礼を欠かさない。



研修終了後、担当の方は叫んだ。


「ああいうちょっとした配慮やマナーがうちの社員には欠けているんですよ!!」


さらに、「あのさりげない挨拶を見ていて、今度は三宅先生にマナー研修をお願いしたくなった。」とありがたい言葉をいただいた。


マナーの研修を挨拶ひとつで受注できるとは、講師冥利に尽きる。本当に嬉しいお言葉である。


また、お客様は些細なことでも常に見ている、ということでもある。研修講師として襟を正さないといけないと感じた。


ある研修会場で研修が始まる前に、疲れて、元気のなさそうな講師を見かけた。(講師という人種は、あまり人前で落ち込んでいる様を見せないものだ。特に研修会場では。)


そこで、元気付ける意味も含めて、


「講師というのは、大変だけど、受講生の前では最高に元気でなくてはならないよね。」


と話しかけた。


そうすると、何を勘違いしたのか、


「そうそう、私は研修に入ると元気になるんですよね。もっと研修の仕事が入ってくれば、どんどん元気になります。」


と返ってきた。


「・・・・・。」 絶句した。


(それって・・・・・・、受講生から元気を吸い取ってるだけではないか・・・・・。)


研修講師は、受講生のために存在している。元気づけ、励まし、やる気を出させるのが、商売である。


受講生に、エネルギーを降り注いで、その結果、受講生が元気になり、こちらにエネルギーが返ってくることはあるが、最初から元気のない講師は、言語道断だ。


しかも、始まる前より元気になっている講師なんて、受講生からエネルギーや元気を吸い取る寄生虫ではないか。


1日受講生のために全身全霊を傾けて研修をすると、へとへとになるはずなのだが・・・。


特に駆け出しのころはそうである。


私も今でも1泊2日以上で組織変革や役員研修などのヘビーな研修をやり終えた後は、エネルギーを使い果たして廃人のようになってしまうこともある。


自分が元気やエネルギーを与えている存在なのか、常にチェックする必要がある。

ある保育園で、「保育中に子供が蚊にかまれた。どうしてくれる。」というクレームが母親からあったそうだ。


「・・・・・・。」(絶句)


「蚊はかむわい!以上!」と叫びたくなる。


クレームを言われた先生がどう対応したかは知らないが、大変な時代になったものだ。


最近のモンスター・ペアレントは、凄まじいけれど、これには呆れた。


これを聞いて思い出したのが吉田松陰のエピソードだ。



幕末の思想家吉田松陰は、幼少のころ叔父から凄まじいスパルタ教育を受けたという。読書中に蚊にかまれても掻いてはいけないと教えられ、実際に頬を掻いて、折檻を受けた。


掻くことは、個人の欲であるから、公人である武士たるものは掻いてはいけないという。


「痒みは私。掻くことは私の満足。それを許せば長じて私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ。」(セリフは『世に住む日日』司馬遼太郎著より抜粋)


それから考えると170年後の日本の親は、比較するのもバカらしくなるくらい甘くなった。


最近は、子供が遭遇する障害物や痛みを先回りして取り除いてしまう親が多くなっている。親に障害物や痛みを取り除いてもらった子供は、いったい独り立ちできるのだろうか。


決して子供のためにはならない。


本当に子供のことを考えるなら、ほっておけばいい。こけたら痛いし、蚊にかまれたらかゆい、自分の意見を通そうと思ったら、積極的に発言しないといけない、強引に発言しすぎると嫌われる。


痛み、挫折、失敗、悔しさ、寂しさ、などネガティブな経験や感情は成長に欠かせないものだ。


それなのに口を出してしまう、障害物を取り除いてしまうというのは、子供のためというより、子供の痛みに親が耐えられないのだろうか。