日露戦争の旅順攻撃を担当した野木第三軍は、後に「集団自殺攻撃」と揶揄されたほど稚拙な攻撃により、1万5千人もの戦死者を出しながらも、旅順を攻略できなかった。


それを読んで、ドラッカーの「人類の歴史は、いかなる分野においても、豊富なのは無能な人間であることを示している。」という言葉を思い出し、かみしめた。


逆にその窮地を救ったとされる児玉源太郎には小気味よさを覚える。


第三軍の乃木希典大将が苦戦していた203高地の攻略に奇策を用いて、たった半日で陥落させたという。


日露戦争前は台湾総督と内務大臣を兼任していたこの陸軍中将は、参謀次長という降格人事を自ら買ってでた。他に対ロシア戦の作戦を立てられる人物がいなかったそうだ。


海軍からの要請、大本営からの指示にもかかわらず、203高地攻略を無視し続けた乃木大将。


無能な参謀や現場を見ずに机上の空論を繰り返す大砲の専門家たち。児玉の介入を快く思わない参謀たち。そこには生々しい人間ドラマが展開される。


少し抜粋してみよう。


「山頂に達した児玉はそこで伏せ、稜線に双眼鏡を出して二〇三高地の頂上をちかぢかと展望した。死んでいる者、生きて動いている者がよく見えた。山頂の一角をなおも死守している百人足らずの兵の姿が、児玉には感動的であった。かれらは高等司令部から捨てられたようなかたちで、しかもそれを恨まずに死闘を繰り返している。


「あれを見て、心を動かさぬやつは人間ではない。」


と、児玉は横の福島に言った。参謀なら、心を動かして同時に頭を動かすべきであろう。処置についてのプランが湧くはずであった。頭の良否ではない。心の良否だ、と児島は思った。」



物事の本質を捉えて、打ち手を繰り出す人物に共感を覚える。海軍で言えば、日本海海戦の作戦を立てた参謀・秋山真之にも惹かれる。


歴史小説を読んでいてもどちらかというと英雄よりも頭のいい参謀が好みだ。


戦国時代でいうと織田信長や豊臣秀吉、徳川家康よりも竹中半兵衛や明智光秀、斎藤道三に興味を覚える。


坂の上の雲

坂の上の雲2







ある女性は、『坂の上の雲』(全八巻)を読み始めて、途中から進まなくなったという。


あまりに多くの人が死んで行くから、しかも名前も紹介されずに死んで行く人が多いから、読んでいられなくなったという。


たしかに、「この戦闘で二百人死んだ。」とか「結局、その三十人は帰ってこなかった。」とか、人の死がさらりと表現されている。


日清戦争では陸軍・海軍合わせて1万8千人、日露戦争では陸軍・海軍合わせて8万5千人が戦死している。


さらにその前、幕末の争乱の中で、志士として非命に倒れた者は、二千四百八十余名に上るという。(司馬遼太郎『最後の攘夷志士』より抜粋)


また、戊辰戦争の犠牲者が一万八千人を上回るという。


そういう先人たちの犠牲の上に日本の歴史は成り立っているということを改めて噛みしめる。


坂の上の雲



あるプロジェクトのキックオフ研修で、プロジェクトにおける自分たちの役割を考えてみましょうとディスカッションをしてもらった。


すると、ディスカッションが全く盛り上がらない。


何か引っかかることがあるのかと思い、聞いてみると、


「そもそも、なぜ自分がこのプロジェクトのメンバーに選ばれたかわからない。」


「何をやるのか聞いていない。」


「そもそも、なんでこんなプロジェクトをやるのか。」


などという不満が出てきた。


本プロジェクトのスポンサーである本部長からは、文書も配信されているし、全体会議でもプロジェクトの主旨を話しているはずなのだが・・・。


ここでどう対応するかが、その後の成果を大きく左右される。


「ああそうですか。聞いてないんですか。」


「いいですよ。じゃあ、役割を話し合うのはやめましょう。」


「かわりに職場における問題や悩み、不安を共有しましょう。」


と急きょテーマを変えた。


その後、プロジェクトの意義や参加する皆さんにとってのメリットなどを解説し、研修は無事着地。


実りの多い時間になった。


あの場面で、


「なぜ聞いてないんですか?ちゃんと通達は行ってるはずだし、本部長からも会議で話があったでしょう?」


とやってしまったら、終わってしまっただろう。


そもそもやる気のない人を責め立てても、さらにやる気を失い、反感を買うだけだ。


我々は、成果を出すことに責任を負っている。カリキュラムを順番通り進めることはあまり重要ではない。