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男性化粧品「マンダム」のTVCMで一挙に全国的知名度を高めたチャールズ・ブロンソン。
70年代の主演映画ではストイックな殺し屋みたいな役柄が多かった。しかもあのワイルドな相貌でスーツを着こなすジェントルマンである。
これもそう。
『メカニック』 The Mechanic (‘72) 100分
梗概
組織の殺し屋ビショップ(ブロンソン)は非情にもかつては父親の部下で物心ついた時からの知人を暗殺。知りあったその息子スティーブ(ジャン・マイケル・ビンセント)をアシスタントとし、プロのテクニックを伝授。優秀なヒットマンに育ちつつあった。ところが彼はビショップの暗殺を請け負っていた。ビショップはそれを知りつつも仕事を遂行すべく彼を伴いイタリアへと赴くが…。
鑑賞者に腕利きのヒットマンのバックボーンが最小限知らされるが、本人は口数が少なく個人的な情報を我々に伝達しようとはしない。状況や他者の話からそれと知れるのみである。
父親も犯罪組織のメンバーだったらしきこと。幼少の頃より強靭な男となるよう鍛えられたらしきこと。不眠症らしきこと。心疾患を抱えていること。その道のプロと思しき女性の元を時々訪問すること。などなど。
まずは冒頭で辛抱強い張り込みや事故死に見せかけるプロの細工などが延々と無言のうちに提示されていく。その間彼を含め誰も一言も発声しない。15分経過したところでやっと電話で会話する。
かように巻頭から実にストイックな彼の仕事ぶりが紹介されるのである。
さらには旧知の間柄の人物をも迷う素振りすら見せることなくたんたんと暗殺する準備を進め躊躇せずに殺る。
まあこんな生活をしていればちょいと精神的にひずみが出ても仕方ないだろう。眠れないのはそのせいじゃなかろうか。
だが、殺った人間の息子スティーブの面倒をみるようになったのは、やはり心に呵責を感じたゆえなのか。若き日の己の姿を投影したのか。
組織から咎められても聞き入れず、関係を断ち切らないところに彼の“人間らしさ”が露呈する。それすなはち殺し屋にとっては“弱さ”につながる。ここから綻びが生じ始め、彼の末路は決定されてしまうのだ。
ところで、振り返れば70年代のブロンソン映画『狼の挽歌』(70)『狼よさらば』(74)『テレフォン』(77)などはガンアクションはあっても格闘シーンは極めて少ない。『ストリートファイター』(75)の文字通りの肉弾戦が突出して記憶にある程度だ。
本作もそう。カーアクションと銃撃戦くらいのもの。ちょっと意外の感に打たれる。
さて、冒頭で述べた通り劇中でブロンソンはきちんとスーツとネクタイ着用である。自宅でくつろぐ時は優雅にガウンをまとってワインをたしなむ。顔に似合わず。と表現したいところだが豈図らんやミスマッチじゃあない。なぜか?
思うにその要因は、野性的な顔立ちではあるものの決して卑しく下品ではないこと。立ち振る舞いもがさつで乱暴ではなく身のこなしがスマートである。大声での会話や哄笑もない。4文字言葉も遣わない。ジェントルマンそのものといったところにあるんじゃないだろうか。
さすれば礼儀正しい振る舞いと身だしなみをきちんと整えることにより衣装の方からすり寄ってくる感覚であろう。
自分も含め我邦の男性諸氏もこれに見習うべきである。
いや、定年に届かんとするおっさんが何を今さらと笑ってはいけない。生きている限り心すべき着こなしの要諦だ。目指せ。チャールズ・ブロンソン。
「マンダム」で日本全国にその名を轟かせたブロンソン。『荒野の七人』(60)から頭角を表わし『大脱走』(63)以降国際スターへと驀進する。
『さらば友よ』(68)ではアラン・ドロンと共演。当時の絶世の美男と御面相はちょっとアレなブロンソンの取り合わせ。しかし決してドロンの引き立て役になってはいないのが面白い。
今でも彼のフォトを目にするたびにルックス的につくづく稀有な聖林スターだったなあ。と感嘆する。
しかも表情の変化に乏しく台詞が少ないキャラを演じる事が多かったように記憶する。寡黙な健さんみたいな?でも時折見せる笑顔が飛びぬけてチャーミングだった。
スティーブ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、そしてチャールズ・ブロンソン。
非二枚目でありながら唯一無二の存在感を示すスターたち。時代のせいにするのもなんだが、もはや再び現れることのない類の俳優たちなのかもしれない。
本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。
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