久能山東照宮
大河ドラマで徳川家康を扱っているからか、最近、よく久能山東照宮の名前を目にします。
東照宮と言えば日光のが有名ではありますが、実はアチコチにあるんですよね。
まァ、
天神さんも八幡さんも稲荷さんもそこら中にいますから、家康さんがアチコチにいても何ら不思議はありません。
その中でもも最も古いのが久能山の東照宮。
晩年の家康が駿府にありし時、自身が亡くなった際は葬るようにと遺言したのが久能山だと言われています。
大河ドラマにおける家康も、桶狭間で今川義元が討たれた当初は三河よりも駿河に戻りたがったりしますが、
案外と家康の心情を掴んでいるのやもしれません(笑)。
「久能山か。何年か前に行ったなァ」と、思い出しまして。
たしかあの日は久能山をダシにしてレンタカーを借りて出掛けたのよね(笑)。
大井川でEL急行を撮ってから、まずは「さわやか」に寄ったのよね。旨かったな
最初は新静岡駅の駅ビル?に入ってる店に行ったんだけど、2時間や3時間の待ち時間じゃなくてね
池田店に行ったら2時間や3時間の待ち時間だったんで、そのまま入ったのよね
池田店まで行くと、目指す久能山は至近の距離。
左)軽く車を走らせて、日本平に登ります。……天気がよくない。残念(泣)
右)日本平からロープウェイでさらに登りまして…
左)山上の駅を降りると「ようこそ久能山へ」
右)「信玄に惨敗して顔を顰める図」を立体化したモノ(?)なんかを傍目に進みますと
左)ステキな楼門が見えてきました。2018年のことですが、案外と混んでましたね
右)楼門の扁額は後水尾天皇の筆と言われているそうで
楼門を抜けると鳥居の向こうに唐門が現れました。イイ雰囲気ですなァ
脇には鐘楼改め鼓楼(左)や神庫(右)が並びます。東照宮は建造物がいちいち鮮やかですね
左)で、社殿。正面の階段は封鎖されているので、脇から入ります。引きがとれなくてコレがイッパイイッパイ(苦笑)
右)拝殿と本殿を繋ぐ「権現造り」の社殿。そもそも権現造りの発祥は久能山だと言われているようです
日光や上野の東照宮や大猷院などもこの造りです。まァ、この画像じゃ分かりにくいですけども(苦笑)
左)正面から
右)そのまま後ろを向いてみます。唐門の装飾の美しいこと美しいこと
左)社殿の装飾も豪奢かつ嫌味がない。カッチョイイ
右)動物の彫刻が多いのも徳川系の寺社建築の特徴な気がします
左)アチコチに丹念に装飾が施されています
右)もちろんそこら中に葵の御紋も。徳川の主張が激しい(笑)
左)社殿の脇に行くと、先に続く門がありまして
右)門を抜けた辺りで振り返ると、社殿の特徴もちょっとは分かりやすいかも??
左)さらに灯篭の間を進むと……。あ、ど~せこの灯篭も各大名家からの奉納なのよね
右)神廟。家康の廟です。日光にもありますが、遺言によって家康が葬られたのはこの久能山なんです
賛否の分かれている今年の大河ドラマ。
そもそも大河ドラマを歴史として見てしまう人は、今年のに限らず大河ドラマ自体を見ない方がいいですね。
ちゃんとした史家が監修はしているとは言え、そもそもが歴史に仮託したフィクションですから。ドラマですから。
そういう意味じゃ「麒麟が来る」だって酷いもんだったじゃん。そういうもんだから。大河ドラマって。
俺も三國志とか好きになってちょっと勉強し始めた頃は中途半端な歴史モノが嫌いでね。
三國志が題材になってる情報番組とかがあると親父が呼んでくれるんだけど、
報道系の番組ってさ、歴史を語ってるよって顔をして平気でフィクションを語るじゃない。
観てるウチにイライラして来てさ。
「イイ大人が歴史と物語の区別もつかんのか!」とかTVに怒鳴り散らして部屋に戻ったよね(笑)。
だから、俺は文学科じゃなくて史学科を志望したのよね。で、だから、俺は報道番組が好きじゃない。
でも、史実だって真贋入り乱れてるし、そもそもよく分かってないことだってイッパイある。
そんな認識を得るにつれて、そういう意味ではむしろおおらかになったよね。
大河ドラマは歴史に仮託したフィクション。歴史小説のようなもの。
そういうもんだと思って観ないと(笑)。
「あー、そんな設定にすんのね」って笑いながら観れないなら観ない方がイイと思うよ。
……って、なんの話やねん(苦笑)