〜闇吐き出しシリーズ〜

2016年後半に東京から東海地方に引越し、激変したコティマムの生活。徐々にストレスを溜め、その過程で膵臓にも相当負担がかかっていきました。これは当時を振り返り、真のストレスを勝手に吐き出していくシリーズです。※現在は関東に戻ってきています。

 〜これまでの闇シリーズはこちらから〜

 

ガーベラガーベラガーベラガーベラ

 

久々の闇シリーズですもやもや

自分の心の闇をまだ吐き出せていないので、

細々とですが闇シリーズに吐き出しますもやもや

 

ガーベラガーベラガーベラガーベラ

 

前回は2018年頃、

コティが1歳になった頃のことを綴りました鉛筆

 

 

 

当時、認可保育園に全落ちゲロー

退職が決定している在宅ライターのバイト

なんとか得られた育休は残すところ1年に

なっていましたアセアセ

 

 

 

東京から東海地方に引っ越してきた時点で

世帯収入は半分近く減っていたので滝汗

育休が終わる2019年1月まで

「なんとか仕事を見つけたい」

思っていましたグー

 

 

 

本当は、見知らぬ土地ながらも

テレビ局の記者か
雑誌編集、
難しいけど新聞社で
記者復帰
したかった。

でも預け先がないことには

どうしようもない。

 

 

理想通りにはいきませんもやもやガーン

 

 

ちょうどこの頃、

記者時代の元同僚から

原稿執筆の依頼をたまに受けていました鉛筆

 

 

育休中でも

80時間までは働いてもOKなのと、

そもそも個人での請負だったので、

たまーに依頼を受けては

電話取材していたのです。 

 

とはいえ、

これはお小遣いレベルの報酬で、

(なんたって当時の初月収は9000円でしたから)

 

 

これを生活のメインできるとは

当時思っていませんでした。

ただ、

「在宅で仕事できる」という点は

とても魅力的で、

当時から

「在宅なら今の私でも仕事ができるかも。

そしてこれは

収入を伸ばせる可能性があるかも」

とは感じていましたクローバー

 

 

当時1歳のコティは

預け先がない状態だったので、

0歳の頃に親子英会話感覚で通っていた

インター園のベビーコースから

そのまま1歳児クラスに進級することにタラー

週3日、2時間ほどスクールで預かって

もらいました。

(これは予想外の選択でしたショボーン

本当は1歳から認可保育園に入れて

がっつり働きたかった)

 

でも2時間なんてあっという間チーン

当時はその2時間の待ち時間に

近くのマックで

原稿を書いて待っていました鉛筆

 

 

この頃から、

①ライターの仕事

②在宅でできそうなライターの仕事

③ライター以外でできぞうな

未経験の職種

で就職活動を始めました目

 

ただ、はもう不可能に近かったガーン

どこかに所属して

ライターや記者で働くとなると、

どうしても帰宅が遅くなるガーン

当時は預け先もなく、

頼れる親族も友達もいないので、

を主に探しました。

 

 

2018年頃、

は求人サイトにもあるにはあったけど、

1文字1円とか、

1記事500〜1000円というような

単価の低いものばかりチーン

収入源にはなりそうにありませんでした。

 

そこでです。

一応、

中学校の英語と社会科の教員免許

持っているので、

(全く使ったことはないけれど)、

英語系の仕事をしてみようかと思ったのです。

 

 

そこで気になったのが、

インターナショナルスクールビル

 

意図せず通うこととなったインター園

当時、娘の同級生のママさんが、

まさしくそのインター園

先生として働いていて、

お子さんと一緒に登園していたのですびっくり

お子さんは2時間のスクールが終わった後も、

ママの仕事が終わるまで延長保育しており、

一緒に帰宅していました。 

 

1歳児クラスには

延長保育がなかったにもかかわらず、

「親が先生」なので、

その同級生は

母親の仕事終わりまでスクールに

残ることができたのです。

 

 

「そうか!

保育園やインター園で働けば、

一緒に登園できるし預かってもらえる。

子どもを連れて行ける職場を探せばいいんだ!」

 

 

ここから、

私のインター園就活が始まったのです。