〜闇吐き出しシリーズ〜

2016年後半に東京から東海地方に引越し、激変したコティマムの生活。徐々にストレスを溜め、その過程で膵臓にも相当負担がかかっていきました。これは当時を振り返り、真のストレスを勝手に吐き出していくシリーズです。※現在は関東に戻ってきています。

 〜これまでの闇シリーズはこちらから〜

 

ガーベラガーベラガーベラガーベラ

昨日の闇日記に優しいお言葉を頂き、

ありがとうございますえーん

共感して頂けてうれしいですクローバー

ガーベラガーベラガーベラガーベラ

 

まだまだ闇は続きます(笑)

今回は保育園と仕事のお話です。


〜2018年になった頃の話です〜

 

娘が1歳になって少し経った3月、

認可保育園の不承諾通知が届きました。

まぁ、予想通りでしたがチーン

第6希望まで書いて全滅でしたハートブレイク

 

やはり、当時私が正社員ではなく、

さらに「居宅内」

つまり在宅勤務だったことが

ネックだったようです。

 

コティ妊娠時、

東京から東海地方に移って

正社員だった芸能記者を辞め、

かろうじで滑り込みで

東京の在宅ライターのバイトを始めた私。

(↓詳しくはこちら)

なんとかこのバイトのおかげで

産休・育休まで頂けた私でしたが、

出産直前まで毎日8時間以上

在宅で働いていた実績があっても、

正社員同士の世帯には

敵いませんでした。

 

この在宅ライターの部署が

なくなったことで、

育休が明けるまでに

なんとか正社員復帰したいと

仕事を模索していたのですが、

認可保育園に落ちたことで、

仕事の選択肢が

かなり狭まりました。

 

 

本当は、見知らぬ土地ながらも

テレビ局の記者か
雑誌編集、
難しいけど新聞社で
記者復帰
したかった。

でも預け先がないことには

どうしようもない。

(張り込みもできないし)

 

 

理想通りにはいきませんもやもやガーン

 

 

 

認可外の民間の託児所も

検討しましたが、

1歳児で月額利用10万円。

補助なし。(当時)

正社員の職すら見つけてないのに、

保育料でそれだけ飛ぶって…滝汗

 

 

保活と就活は本当に「鶏と卵」で、

預け先が決まっていないと

就活もできないし、

かといって

仕事が決まっていないと

保育園に入れない…チーン

 

 

 

あーー。

 

 

妊娠時に1人でも東京に残って

記者を続けていたらなぁ…。

夫の実家も近いし、

多忙なマスコミ業界とはいえ

職場も気心知れているし、

認証園に入れて

正社員復帰できていたかも…。


六本木に戻りてぇぇぇえーんえーんえーんえーん

 

 

 

当時、

すごく悔やんだのを

覚えていますショボーン

 

 

 

不承諾通知が届くまでは、

わずかな希望を持って

就職活動していました。

マスコミだけでなく、

他業種にも目を向けました目

(これはまたの機会に書きます)

 

でも結局、認可は全滅。

 

 

 

凹む。
 
 
この頃、
たまーーーになのですが、
記者時代の仲間から
原稿執筆の仕事
もらっていました。
 
 
 
未就園児がいて
バリバリ取材はできないので、
自宅から電話取材したり
リリースや資料をもとに
記事を書いていました鉛筆
電話取材なので、
家でも書けるのですPC
 
今でこそ
少しの稼働で記者時代くらい
稼げるようになりましたが、
 
この頃はまだ
定期的に依頼があった訳ではなく、
たまーに手伝う程度でしたうずまき
お小遣いレベルコインたち
(育休中も80時間を超えなければ
働いていいので、
たまに手伝っていました)
 
 
この頃から
頑なに正社員希望だった私の
気持ちが変わっていきます。
 
「正社員復帰が絶望的な今、
どこかでパートとして
短時間働くべきか?
それとも
在宅ライターとして
フリーランスになるべきか?
家にいながら仕事できる方が
子育て中の私には
いいかもしれない」
 
と考えるようになりますグー
 
 
ここから私の
在宅ライター&
フリーランスへの道
始まるのですが、
 
まぁこれが……
ほんっとにキツかったえーん
 
悔しい思い、
ミジメな思い、
葛藤、嫉妬。
 
いろんな思いを味わいましたえーんもやもや
またおいおい、
闇で綴っていきます鉛筆