事実による連帯に何か問題でも?~義家弘介への手紙~ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

『繰り返されれば無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ。この粋な希望のおかげでわたしの孤独も華やぐのである。』

              J・ボルヘス「バベルの図書館」

ネトウヨですが何か?鈴木謙介の認識~なんとかが感染する教育システム(笑)~ というメモでもって、もう二度と鈴木謙介なる思想家?(笑)についてメモすることはないかとも思いましたが、Synodosレクチャー 鈴木謙介×芹沢一也 として「犯罪不安社会」の著者として尊敬していた芹沢氏までもが巻き込まれそうというかなんとかが感染しそうなので改めてメモします。

>重要なのは、これらの異議申し立てが、硬直した社会支配の有り様に対して向けられたものであり、その点で、これまでの日本の文脈における「右翼/左翼」の図式を逸脱した、ある種の「アナーキズム」へと向かう特徴を有しているということだ。私見に従えば、こうしたアナーキーな志向性は、運動の当事者の意図を超えて、より流動性の高い社会における、よりネオリベラルな制度をさえ要求しかねない

右左の単純な図式を保つことにどんな有益性があるのか理解不能です。むしろ現実主義と妄想主義の図式で考えたほうがいいのではないですか?釈迦に説法かとも思いますが、貧困が広がればアナーキズムのようなある種のお金持ちの思想など広範な支持を受けようはずもないことは西洋なり日本の近代史で明らかかと思うのですが。

>近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動への指向と、抽象的な「社会への語り」とのあいだに挟まれた私たち

鈴木氏ご本人のような思想家をして抽象的な「社会への語り」とすると、近視眼的な人びとというのは、事実による連帯をしているもののこと、それこそ鈴木氏の定義するところのネトウヨ(マスメディア批判・懐疑)を指すと読むのが自然な読みでしょう。近視眼的―抽象的というこの図式をもって、現実的―妄想的と言い換えてくれるならば喜んでこの図式を受け入れます!

それに流動性が高くなるなら、当事者たる赤木氏など男性弱者は喜んで受け入れるのではないですか?だいたいネオリベ、ネオリベっていうけれど、それこそまさに稲葉氏がしばき主義と名づけたように右左合作の妄想清算主義がもたらした産物じゃないの!


で、女子リベさま 「ウェブ社会の思想」読んだよ として、「事実による連帯」が水伝やTBSやバーチャル(略)や教育再生会議に対するウェブの反対言説をも含むことに対する呆れが載せられていたので、私も近視眼的に鈴木謙介「ウェブ社会の思想」なる書物の一部をぬかせていただきます。


メディアリテラシーへの誤解
>ここで注目すべきなのは、いわゆる「ネット右翼」なる人びとの多寡だけではない。重要なのは、なぜ少数派であるはずの彼らが、自らの知見こそ「真実」であると信じることができたのかという点だ。このことを考えるためには、彼らがマスメディアの何を批判していたかを思い起こす必要がある。彼らが批判するのは、マスメディアが偏った方向へ世論を誘導し、人びとを「洗脳」していること、言い換えれば「偏向報道」を真実として垂れ流すことだった。ここで偏向報道という物言いに注意しなければならない。つまりそこには、報道によって伝わる情報の向こう側に、偏向していない事実が存在しているという確信が込められている。

               鈴木謙介「ウェブ社会の思想」p174~

はい、確信ありますよ。それは報道の向こう側どころか、当該新聞記事にあがっている数字そのものであったり、公的統計であったり、あるいは当該人物自身が発した言説を分析しているだけですから。メディアリテラシーとはメディアの発するメッセージを全て肯定することでも否定することでもないことぐらい、それこそ事実による連帯している人ならば知っているでしょ。それに事実偏向している証拠ならばこのブログだけでも腐るほど集めてありますし、これからも集めます。

<事実>による連帯
>マスメディアの報道が拒否されているということは、何を意味するのか。それはすなわち、マスメディアによって人びとの間に共有される、メモリアルに対する解釈図式が拒否されているということである。ネット右翼的な言説と呼ばれているものが、歴史の解釈を巡る問題に言及しながらマスメディアの主張を否定しているのは、決して偶然ではない。そこでは、戦後民主主義の社会における集合的記憶を担保してきたメモリアルなものが否定されているのである。

メモリアルな解釈図式(笑)なんとときめきそうな「社会への語り」!ネット思想専門家を自負している割には随分とネット上の言説情報が乏しいのですねって、先だってのエントリーでメモしましたが、あまり情報が増えると反省できなくなるとか記していましたから仕方ありません。TBSが典型的ですが、歴史は歴史でも解釈ではない事実としてのやらせ、歪曲、不祥事の歴史ですよ?

参考;http://newmoon1.bblog.jp/entry/365858/ (とりあえず)

><現実>を巡る争いは、相互にそれを否定する足場を持つことができない。なぜならば、その<現実>を根拠付ける「事実」に対して、それを反証する別の事実を提示したところで、それこそが「情報操作」の証であり、実際には「洗脳」されて、歪んだ情報を事実として受け取っているに過ぎないのだ、と反駁されるからだ。

               鈴木謙介「ウェブ社会の思想」p177~

悪しきポストモダン再び。こんなところで知の欺瞞を再び拝むことになろうとは…事実は証明できないって?ゲーム脳なり水からの伝言なりにおける科学的「事実」を知りませんか?そのような典型的反駁しているのは森教授に代表だけれど、「事実による連帯」から批判されている側=社会への語り側でしょ?


あと、ついでに事実に基づかない「社会について語る側」代表として義家弘介がいますが、ついに専門誌『教育 7月号 特集「いじめ」を考える』 に、事実による連帯を地でいかれている義家弘介研究会 さまを参考にしたのかというような、まさに義家を批判するに義家自身の過去の言説をもってするものが掲載されていたので抜粋メモいたします。

『義家弘介氏への手紙―――ヤンキー先生への疑問と批判―――菅間正道(自由の森学園)』

拝啓 義家弘介様
>連日、さまざまなお仕事で多忙な日々をお過ごしのことと存じます。このたび、このようなかたちでお手紙を差し上げましたのは、この間義家さんが教育問題についてご提言・ご発言なさっている内容について―疑問と批判と怒りがない交ぜになった思いを拭いきれず―どうしてもお伝えしたいことがあったからなのです。義家さんもその一員であり、また担当室長を務めておられる教育再生会議が、2007年1月24日に第一次報告を出しました(以下 報告)。報告においては「社会総がかり」でという文句を謳い、幅広く国民から募るということもありますので、一介の現場の教員ながら、ペンを執った次第です。やや長文になりますけれども、最後までお読みいただければ幸いです。

その気持ちひじょーによくわかります。・゚・(ノ∀`)・゚・。

いじめについての認識と対応をめぐって

(中略)

>安倍内閣の教育政策や教育再生会議の分析・検討や、世論調査での「再生懐疑」の傾向などをみますと、多くは報告に対して批判的です。ただし私は、これらに屋上屋を重ねるつもりはなく、むしろ、このいじめの背景や要因をめぐる義家さんの認識を質したいと思うのです。報告では、「いじめられている子供を全力で守る」「いじめている子供や暴力を振るう子供には厳しく対処、その愚かさを認識させる」「暴力など反社会的行動を繰り返す子供に対する毅然たる指導」などの文言が並んでいます。なるほど、現場の切迫したリアリティから言えば、緊急対応・介入の場合、視点や対応としてこのような指導はあり得るし、時には必要でしょう。

(中略)

>しかし、報告のいじめ・暴力にたいする「毅然たる指導」は、どうも一足飛びに厳罰・処罰的な対応に直結する感を免れません。上からの強権的指導と排除の論理が貫徹しているように思われてならないのです。その思いは「子供を守るための七つの提言」という義家さんと石原都知事との対談(『諸君!』2007年3月号)を読み、いっそう強固なものになりました。報告では、いじめの発生原因や背景についてはふれられていません。しかし、現場では「何が・なぜ」と「どうする」という見立てと対応は常にセットだと思われ、この部分はきわめて重要かと考えます。

後藤和智事務所さま「俗流若者論ケースファイル83・石原慎太郎&義家弘介」 にこのやりとりについての批判は譲ります。

>石原氏との対談のなかで、義家さんは、いじめについてこう発言されています。

>「私は、いまのいじめの問題には戦後教育の負の部分が凝縮されているように思えるのです。というのは、本来、『知・徳・体』の三つをバランスよく育てるのが教育の目的であるはずなのに、戦後の日本では、『知』の部分、勉強さえできればそれでいい、『体』や『徳』すなわち規律意識などは後回しというような扱いをしてきた。その膿が、いまいじめ問題となって現れているのではないでしょうか。」

>また、男女や親子の平等がいじめを生んだ、とも言われています。

>「男子による女子のいじめが起きる背景のひとつには、近年進められたジェンダーフリー教育が考えられますね。たとえば、いま、小学校の名簿は男女混合名簿が主流です。男女を一緒に扱うべきだ、という議論の中で、小学校低学年では、更衣室まで男女一緒というとんでもない教育まで行われている。ジェンダーフリー論者に言わせれば、『女を殴るのは男として恥ずべきことだ』というごくごく当たり前の規律さえ、男女平等につながるから教えてはならない、というわけでしょうか」

>「子供が‘お子様に’なってしまいましたね。家庭内にも悪平等が罷り通っています。(中略)権利だけは平等で、責任は負わないんだったら子供の方がいいに決まっていますよ。(中略)子供を大事にするということの意味、普遍的感覚が決定的にズレてしまって、『大事にする=甘やかされる』にすりかわってしまった結果、石原さんが言われたように子供たちの耐性、我慢する力が萎えてしまっているんだと思います。」

改めて読むとやはり眩暈がしますね。

>読み進めながら、思わず私は対談相手の石原氏の発言かと錯覚したほどです。こういった文脈のなかで、「空手で徹底的に体を鍛えさせられ」たり「鉄拳制裁で、曲がったことは許されないという教えを受けた」ことや、「テレビでホームドラマを観ていて、親と子供が同じものを食べているのを観ると、私なんかは違和感を覚えるんです。私の家では、おじいちゃんや父のところにはいっぱい品数が並んでいて、子供である自分には食べられないものを食べてい」たという、ご自身の成育暦が肯定的に語られる。そして、いじめ問題を正すには「戦後教育を土台から見直す必要がある」という結論に至ります。

そんなご立派な成育暦でヤンキーになったんちゃうの?という指摘は禁止です><

>義家さん、本当にいじめの背景や原因はこれらのことが主たるものとお考えなのでしょうか。いじめという「複合的な要因による社会病理」をあまりにも乱暴かつ政治的な角度で斬ってはいないでしょうか。しかも、その切り口の一つ一つが、どこかで聞いたことのあるような、いわば手垢のついた言説で切り貼り・構成されています。

ここポイントです、でここに気付くと実は転向する前だってそこらの日教組的言説を継ぎはぎしていただけじゃないのという疑問を抱けます。つまり、中身のない空疎な小皇帝というやつですw

(中略)

>このような認識の下で具体的な対応策を練られていくならば、それは徹底的に規律・規範を叩き込む=子供たちを締め上げていく、という「地獄への一本道」になるより他ありません。その具体化に関して、義家さんはこう言ってます。「まず第一に、善意に関する明確な線引きが必要です。(中略)では、誰が共通の線引きをするかといえば、私は今こそ国がやるべきだと思っています」と。

実はここまでならば、まあなんとなく想像できるような批判なんですが…ここからが事実による批判が始まります!


以下 義家弘介氏への手紙+教育「社会学者」苅谷教授の教育再生会議批判

甚だしき食言と変節

>二つめは、義家さんの食言と変節ぶりが、あまりにも甚だし過ぎはしないか、ということについてです。平たく言って、以前に言っていたこととあまりにも異なる発言・提言が多過ぎるのです。具体的に三点挙げたいと思います。まず、第一点は前記の部分とも重なりますが、いじめや子供たちをめぐる認識の問題です。先述した義家さんが展開されるような議論は今までもずっと存在していました。その点は何も不思議ではありません。ただ、義家さんはこれまで、いじめについて、校内暴力鎮圧の果てに現れた現象だ、と仰っていました

>「力で校内暴力を抑えつけたところで、その暴力を生んでいた子供たちのストレスが癒されるわけではない。派手に暴れると厳しく処罰されるとなったら、もっと巧妙な形で、大人の目を盗みながらストレスを発散させるしかないだろう。それが、集団によるクラス内のいじめという形になったわけだ。」(義家弘介「ヤンキー先生の教育改革」幻冬社)

>「いちいち『光』を当てて(いじめ、校内暴力などを―引用者注)根絶しようとしても、青少年問題の根本的解決にならない。教育界は、そろそろ、従来の方法論が不毛だったことに気づかなければならないと思う。」

>「だいたい、そんな風に権威づけられたルールや制度によって子供をコントロールすればいいのなら、こんなに簡単なことはないだろう。しかし、それが果たして本当に『教育』と呼べるだろうか。むしろ『矯正』という言葉が似つかわしいと思う。」

>「教育とは、権威による導きなどでは決してない。教育とは情熱による導きに他ならない。子供たちが言うことを聞かなくなったと嘆く前に、公共の精神が欠如していると嘆く前に、子供たちの叫びにしっかりと耳を傾け、寄り添ってあげることこそが必要であろう。」(義家弘介「なあ、みんな、学校は好きか?」『世界』2004年3月号)

キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!まさに義家弘介研究会さまがやっておられた事実に基づく批判です。

>ご説ご尤もです。また、やがていじめが自己に向かい、不登校、引きこもりが発生するという認識は、私も共有し得るものです。しかし、これらの発言と現在の発言との隔たりはあまりにも大きいのではないでしょうか

大きいというか180度転換しています!

>第二点は、個人の人格形成から国のためへの教育へという、権威的な政策への転換をめぐる問題です。

>かつて義家さんは、「日の丸・君が代」問題に関連してこう述べておられました。

>「私が、学校という教育現場から問いたいのは、出口の見えない暗闇で子供たちが悲痛な叫びをあげている現実の中で、教育現場に『日の丸・君が代』を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると、文部科学省は本気で思っているのか、ということである。(中略)教師たちの分裂の材料を押し付けてくる国に対して、将来の希望さえ示してくれない国に対して、どうやって信頼や誇りを持てというのか。」

この批判の価値はついにネット上の言説が専門誌にも染み出したという点にあります。参照されたかどうかはどーでもいーことです。それはまとめサイトの管理人さまも同様のお気持ちかと思います。このエセ専門家を公の舞台から退学させるためならば、いかようにもご利用くださいと。

>まったく同感です。そして、これも至極まっとうな感覚だと思われます。ところが、義家さんは「愛国心」条項を盛り込んだ教育基本法「改正」問題に反対する教職員組合や市民運動について「デモをしている」(『諸君!』2007年3月号)などと揶揄・冷笑します。しかし、義家さんは、かつて教育基本法「改正」問題についてこう言っておられたのです。

>「教育は未来をつくりますから、教育基本法は未来のための法律といえます。未来をつくるのは子供たちです。子供たちが『変えてくれ』といっているわけでもないのに、一部の大人の都合で法律を変え、子供たちの未来を大人が勝手に作りかえるのは許されない。(中略)教育のために、まずやるべきなのは、子供たちが、安心して信頼して教育を受けられる環境、教師が全力で生徒に向き合っていける環境を整備することです。」(『しんぶん赤旗』2004年7月25日付け)と。

単純にこのころ継ぎはぎしていたのは日教組界隈の言説だったということでしょうね。

義家さんはご自身の母校の系列である北星学園女子中高の中学三年生が、教育基本法「改正」反対を訴える意見書を安倍首相などに送ったことをご存知でしょうか。「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるものではない」―この彼女たちの異議申し立てに、どう応答なさるのでしょうか

一緒に戦いません><

(中略)

>第三点は、教師(集団)の質や養成の点についてです。以前の義家さんの発言です。

>「すべてを安心して任せられるような『良い教師』なんて、本当に存在するのだろうかと―と。結論から言えば、私の答えは『NO』だ。世間が求めているような『良い教師』なんて、この世に一人もいない。(中略)総ての子供にとって、『良い教師』などあり得ない。」(義家弘介「ヤンキー先生の教育改革」)

>「逆に言えば、ダメな先生もまたいない。」(瀬戸内寂聴・義家弘介『私の夢 俺の希望』PHP研究所)

>この現場感覚をひっさげて乗り込まれたハズであろう教育再生会議を経ての報告において、教員についての改善策が「メリハリある給与体系で差をつける」ことや「教員免許制の更新の導入」あるいは「分限処分の有効活用、免許状戸利下げ」になるのはどうしてなのでしょうか。私は以下の義家さんのご発言こそが現場からの答えになると思うのです。

>「誰にとっても『良い教師』になるのは不可能でも、広い守備範囲を持つ『良い教師集団』をつくることはできる。教師たちが広い視野を持ち、意見や情報を交換しながらチームワークを高めていけば、強い『面』を作ることができるだろう。」(義家弘介「ヤンキー先生の教育改革」)

>「そういう意味でも、今ほど現場教師たちに団結が求められている時代はないと言えるかもしれない。ここで現場がバラバラになれば、上からの『権威』による改革がどんどん進められ、生徒と教師が一緒に成長していく『共育』は瀕死の状態になってしまうだろう。」

上からの権威による改革で教育は瀕死です><

ヤンキー先生虚空に吠える(←タイトルにもらおうかと迷ったほどパンチが効いた章タイトルです!!!)
ここまで論理やことばに一貫性が欠けると、そもそも義家さんがいったいどんな人なのか―<北星の義家さん>が本当なのか、それとも<再生の義家さん>が本当なのか―という根本疑問に包まれるのは私だけではないでしょう。

(・∀・)人(・∀・)ナカーマ

>「義家さんは、つい最近まで『君が代・日の丸』の強制を批判していたのに、今は(国旗掲揚、国歌斉唱を定めた)学習指導要領に従うのは当然だと、180度発言が変わっている。官邸に完全にコントロールされています。もっとも、ほとんどの委員は彼の過去の発言を知らないから、議事に支障はありませんが。『あれは自分の真意じゃない。北星学園余市高校の組合に言わされていたんだ』と釈明しているようですが、それは言ってはいけないこと。北星余市高校があったからこそ今があるんですから」(上杉隆「暗闘 教育再生会議の内幕」『文芸春秋』2007年3月号)との声があがるのも無理からぬことです。

参考;http://newmoon1.bblog.jp/entry/356929/ (当該文芸春秋記事)

(中略)

>ともあれ、この再生会議の提言を加速化・具体化していく方向―義家さんは、ゆとり教育の見直しやバウチャー制度の導入も諸手を挙げて賛同されています―では、昔日のヤンキーの「過ち」とは比較にならない、大きな過ちを日本の社会と教育にもたらすことは必定です。今の義家さんは、<ヤンキー母校で吠える>ならぬ<ヤンキー虚空に吠える>であり、吠える対象と方向を完全に見誤っています。後から振り返って「あれは官邸の連中に言わされていたんだ」では済まされません

素敵!最高!なんか安倍の凋落をみてまたどこかに責任を擦り付けそうなのでその言い訳を塞ぐためにも事前からこの言い訳禁止><とメモしておきます。


で、事実による具体的批判・提言をなされている苅谷教授「この国の教育にいま、起きていること」―第7回 選挙の目玉になりそこねた、教育再生会議第二次報告 を見て真実の専門家の姿を確認しておきましょう。

>今回は「ゆとり教育見直しの具体策」との副題が付いた提言の第一の柱、「学力向上にあらゆる手立てで取り組む」を中心に論じる。授業時間数10%増については、すでに第一次報告で提言されていた。今回の報告では、その具体策が提案されている。ところが、その中身を見ていくと、何とも歯切れの悪い提言である。そこには、「具体策」として次のように書かれている。

○夏休み等の長期休業日の活用、2学期制の導入、朝の15分授業の実施、40分授業にして7時間目を設けるなど、教育委員会、学校の創意工夫を生かした弾力的な授業設定による授業時数増を図る。

○国は、学校週5日制を基本としつつ、教育委員会、学校の裁量で、必要に応じ、土曜日に授業(発展学習、補充学習、総合的な学習の時間等)を行えるようにする。

この連載の第3回でも予想したように、結局、学校5日制を堅持した上で、「必要に応じ」土曜日を使えるようにするという形におさまった。それでも足りない分は、これまでにもすでに取り組みのあった、夏季休業の活用や、2学期制や40分授業の導入などで対応する。つまりは、月~金の間で10%増にすることを「基本」にしているのである。これだけでも、学校は現在以上に窮屈になってしまうと心配されるのだが、それに輪をかけて、よかれと思うことを何でも教育に付け加えていく「ポジティブリスト」の考え方で、教える内容を充実させる提言も同時に行われた

学校は四次元ポケットではないのにね・゚・(つД`)・゚・

教員数の改善といった話はまったく出てこない。それどころか、社会人からの教員への登用を20%という数値目標を掲げて増やせと言う(これら社会人教員の職場適応をどのように進めるのか。新たな仕事が発生することには一言もない)。まさに、何かがはみ出してしまうことに目を向けない「ポジティブリスト」主義の典型のような提案である(連載第1回参照)。

本当に金も人も出さず、口だけ出したと…湾岸戦争時の日本の失敗に学んだんですねw

>そもそも「ゆとり教育」の見直しが必要になったのは、実態把握もないままに、理想主義に走るばかりで、準備態勢が不十分なまま、必要な条件整備にはほとんど手をつけずに改革が進められてきたからだ。しかも、開始早々、「生きる力」から「確かな学力」へと路線を変更し、政策にぶれが生じた。こうした政策立案、実施上の問題点を書き込むこともできない。政策に誤りなしとする無謬主義が、報告の歯切れを悪くしている。

先の改革の総括をまずはするべきですよね。そして失敗だったという結論に至ったなら、いったい誰がその改革の音頭をとったのか実名で羅列して記録しておかないと失敗に学べないじゃないか!(寺脇とか宮台とか…)

>教員の雇用や休日の問題をかんがえる上で、興味深いデータが発表された。文部科学省が東京大学に委託して実施した『教員勤務実態調査』である。この調査では、2006年7月から12月までの6カ月間にわたり、複数の県の公立学校(小、中、高校)の教員(調査対象者の総数は約5万人、調査対象校は小・中学校で計2160校)の勤務実態・勤務時間が詳細に調査されている。

ポジティブリスト方式でまるで星新一の「穴」のようになんでもかんでも詰め込まれる学校にそれだけのバッファがあるのかというデータですね!素敵!

>1学期の通常の勤務日についてみると、家に持ち帰った仕事の時間を含め、小学校教員は1日平均11時間30分働いている。それに対し、夏季休業期間の勤務日では、8時間にまで減少する。学校週五日制が導入され、教員が多忙になったと言われるが、11時間30分という仕事時間は、まさにその実態を示している。

労働関連の情報もメモしていると11時間程度ではたいしたことのないように感覚が麻痺していて困りますw

>たしかに、学校五日制の導入は、週休二日を教員に提供した。他方で、そればかりが原因ではないのだろうが、五日制の下で多忙化が進んだと言われ、事実、この調査が示すように、勤務時間は11時間を超えるようになった。このような長時間労働の上に、なおかつ、10%の授業時間増と、先に述べたさまざまな「社会の要請に応えた教育内容」がさらに盛り込まれることになるのだ。

得られる解は間違いなく心身いずれが因かはともかく病欠する教師の一層の増+教師のなり手の減少=教師の質の低下ですね!ここまでの苅谷教授の講義で答えはばっちりです><

>ゆとり教育への批判的な世論を追い風に、その見直しを提言することで政権浮揚を狙ったのだろうが、見かけ倒しもいいところである。それどころか、この提言通りに政策が作られ、実施されれば、かえって学校現場や子どもの負担は増していくだろう。

やはり、本当のねらいは、その先にあるのだろう。学校選択と評価・競争を組み合わせたバウチャー制や、効率化を徹底した予算の配分、そして、学校の統廃合の推進ということだろう。だから、第二次報告でも、条件整備についての具体策を一言も書かない(書けない)のである。それでも、選挙の洗礼を受ければ、本音で進めようとする新自由主義的な改革路線が私たちを待ち受けることになる。選挙の大きな目玉にならないからといって、油断は禁物である。むしろ、年金問題などの陰に隠れてしまうことで、教育改革については争点がぼやけ、こうした本音の改革が実質、進行していく可能性が高いのかもしれない。


義務教育に関しては苅谷教授のおっしゃるとおりとただただ肯くばかりなのですが、高等教育に関してはある程度統廃合してもらいたいと…だって義家みたいなのが(特任)準教授になれちゃうんだから…。


Comments
パブコメこれで2通ですねw 送付形式が固定でちょっと敷居が高かったのできっと貴重な意見になると思います(苦笑)

重量規制に関しては、業者がどう出るか見てからでないと(通信量が多くても広告のために有名サイトを招聘している例は多くありますし)わからないのでもうちょい思案させてください。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/07/01 00:04
本のほうご紹介ありがとうございますー。
とりあえず暇な時にでも図書館で探して見ますねー。
こちらもパブコメ出しました。
commented by りず
posted at 2007/06/30 18:04
りずさん、前回委員の思想を知るに、『岩波講座 憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』(編集委員 長谷部恭男 杉田敦など)という本が出ています。いろいろと書いてはいますが「表現の自由」を尊重するという点において揺るぎはないかと思います、今からパブコメ送ります。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/25 11:57
クリフさん、こんばんわ。

情報ありがとうございます。ヤンキーのいいかげんな経歴・言動歴にたてば、右左の区別なくこいつだけは議員にしてはいけないという結論で一致できるはずなんです。それも特別なことはいまや必要ないです、ただ義家弘介研究会さまさえ一読するだけでいいんですから!
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/25 11:16
例の従量課金をやらかすかもしれないほうのパブコメも募集してるみたいなので貼っておきます。
しかし今月は書くこと多いですねorz

「ネットワークの中立性に関する懇談会」
報告書案の公表及び本案に対する意見の募集
http://www.soumu.go.jp/s-news/2007/070622_3.html#bs3


それでは失礼しました。
commented by りず
posted at 2007/06/24 05:06
こんばんは。
一味違った義家批判の文章を見つけました。
気が向いたらどうぞ。

「ヤンキー教師を教育再生会議から排除せよ」
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/0d5292a54394afb1f2bbbc2724827c6d
commented by クリフ
posted at 2007/06/24 02:18
りずさん、こんばんわ!

>本当、出馬しているとこが自民といい、今回の参議院戦の敵が明らかになりましたね(苦笑)

義家はゲーム・ネット表現規制、「脳内仮想若者」批判wとまさにりずさんの地雷も踏みまくりですからねー。というわけでなんか知恵だして!
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/23 23:29
nobさん、こんばんわ。

グッドウィルはとりあえず2年分の返還は打ち出しているみたいですがね…さきほどNHKで放映されていた「日本のこれから」に八代教授、クレディセゾン社長林野、パソナ南部そして森永さん、金子教授とかなり見応えありましたよ。自社の宣伝しかしなかった南部はともかく、八代と林野が会場の失笑かっていて笑えました。

>大仁田参院議員が政界引退表明、国会の会期延長に抗議

というか、受かる自信がもてなかったからかっこつけて逃げ出しただけのことでしょ。しかし、さんざんぱら議員の学力崩壊代表として、大仁田についてもメモしてきておいてなんですが、こんな小物は辞めるならどうでもいいです(笑)

自民党への一票=ヤンキーへの一票ということで、これほどわかりやすい投票指針はないです!
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/23 23:17
もやしかもねさん、みる姉さん…ついにこの日が来ました。

義家の身の程を弁えない上昇志向から議員への上がりを狙っているはずと教育再生会議の委員に選ばれた日から予測していただけにに、暗澹たる気持ちというよりもむしろ武者震いに近いものを感じてわくわくしています。

>最後の戦いキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!

>私も戦いwにそなえていままで溜めてた動画を整理しなくては。

というようなコメントをみると同じ気持ちですか?w 超力作研究会をはじめこの1年でもう武器庫はいっぱい♪ですから、それをどう使おうかとそればっかり考えています。要は広めれば、勝ちなわけですから広報戦略ですよね。

これまで溜めた情報を流す先にあわせて組み合わせていく。

たとえば夕刊系ならば衝撃女子高生を孕ませ中退させた教育者!?さらには中絶も?みたいなそのまま使えそうな垂れ込み。

左派ならば、日の丸君が代に対する変節で煽っておいて、不透明な事務所や教職員免許の問題を組み合わせる。

中立系ならば、携帯サイトや塾の広告塔、それだけでなくゲームの広告塔まで勤めているという人格問題、それにころころ変わるあるいは誇大な疑惑。

右派ならば、ちょうどこのスレで集めたような過去の(といっても数年前ですがw)言説まとめ。

…みたいないろいろなパターンのテンプレと、送付先を大量に下手な鉄砲も数打ちゃ当たる方式で大量にリストアップというのが地味ながらまず必要ですよね。

あるいは広告塔としてこいつがどこで演説をするのかにもうよりますが、可能ならばそこで直接疑問をぶつけてみるとか…可能な範囲でもっとアイデア練ってみます!!!
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/23 23:08
>自民が比例にヤンキー先生擁立へ
よりにもよって義家かよwwwwwww
っとか思いました。
これは立花の踏み台なのかしら?とかんぐくってしまうのはもうだめなんでしょうか?orz

本当、出馬しているとこが自民といい、今回の参議院戦の敵が明らかになりましたね(苦笑)
commented by りず
posted at 2007/06/23 18:39
遊鬱さん、こんにちは。

グッドウィル「違反あれば指導」…給与天引き問題で厚労相
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070622ic05.htm
他にも
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070623i106.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070622i213.htm

この事をきっかけにもっと人材派遣事業者に目を向けてもらいたいところ。

あと、
大仁田参院議員が政界引退表明、国会の会期延長に抗議
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin2007/news/20070623i504.htm

それにしても「ヤンキー先生」(本人はいまだにこう言われて恥ずかしくないのかな)が出馬ですか…自民党は見る目がないのだろうか?
commented by nob
posted at 2007/06/23 16:31
もやしかもねさん>
ついにこのときが来ましたね~長かったなー(遠い目)
嘘とはったりと権力者への媚、そしてTBSの捏造ドキュメンタリー番組だけでここまで上ってくるとは、あの頃想像もしませんでしたよね。
さて、私も戦いwにそなえていままで溜めてた動画を整理しなくては。
遊鬱さん>
記事の天災、ごくろうさまです。
活字媒体でも義家の矛盾点をついてくれる人が出てきたのは
喜ばしいことですね。
commented by みる姉さん
posted at 2007/06/23 07:44
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/06/23/01.html
自民が比例にヤンキー先生擁立へ

自民党から参院選に出馬する義家弘介氏
Photo By 共同

 自民党が7月の参院選比例代表候補として、ヤンキー先生こと政府の教育再生会議担当室室長、義家弘介氏(36)擁立の最終調整に入ったことが22日、分かった。25日に開かれる予定の同党選対会議で正式決定するとみられる。年金問題でダメージを受け、内閣支持率低下にあえぐ安倍自民党の“最後の隠し玉”となりそうだ。


最後の戦いキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
commented by もやしかもね
posted at 2007/06/23 06:21
TAKESANさん、こんばんわ♪

>何だか難解な文章を書く方なんですね。ぶっちゃけ、何が言いたいのか全然解らないです。

まさに悪しきポストモダン全盛期のわけのわからない専門用語を塗して何か高級なことを語っているかのようにみせつけているだけで、無意味か、もしくは簡単に言い換えられることばかりとふんでいますよ。

>「脳内仮想敵批判」

そんな概念があるんですか!言いえて妙な表現ですね。詭弁の作り方としてだけでなく、ネットを巨悪のように語る人たちってなんか勝手にイメージでもって膨らましているところもありますね(毎日のネット君臨とか)。

>改めて、相関ナントカ氏の発言読むと、やっぱ物凄い事言ってますねえ。眩暈がします。

ごめんなさい、気分を悪くさせてしまって…でも共有してください(笑)

>芹沢氏が書かれた文章として扱っている様に読めたので…。

ご指摘ありがとうございます!おっしゃるとおりかと思いましたので早速直しておきました 。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2007/06/22 23:59
今晩は。

私、「鈴木謙介って誰?」っていうくらい、こっち方面には疎いのですが(かなりお若いんですね。有名な学者なんですか?)、遊鬱さんと安原さんが引用なさった部分を参照するに、何だか難解な文章を書く方なんですね。ぶっちゃけ、何が言いたいのか全然解らないです。

ニセ科学批判の文脈では、勝手に対象を創造して、それに批判を加えるという「脳内仮想敵批判」というのがありますが(勿論それは、批判の対象です)、何か、似ている様に思えます。印象ですが。

あ、そうそう。こちらのエントリーを読んだ直後に、こんな記事を見つけました⇒http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200706211107
「メール人格」かあ…。いや、記事の内容は、その通りだと思いますけど、あまりに当たり前過ぎる話で、何だかなあ、と。

------------

改めて、相関ナントカ氏の発言読むと、やっぱ物凄い事言ってますねえ。眩暈がします。

------------

ところで、ちょっと気になったのですが(私の勘違いだったら申し訳無いのですが…)。

冒頭で引用されている文章、レクチャーの概要ですから、鈴木氏によるものですよね?
芹沢氏が書かれた文章として扱っている様に読めたので…。
commented by TAKESAN
posted at 2007/06/22 22:10