発達障害
発達凸凹
非定型発達
いろんな呼び方がありますが
わたしは発達凸凹がしっくりきます。
一般的には発達障害と表現されることが多く
「あの人は発達障害だと思う」と言われるとき
ASDかADHDのことを言われていることが殆どです。
そして
そう表現されるときに
誤解されていると感じることが、よくあります。
発達障害の人は人の気持ちはどうでもよく、思い遣りがない
という誤解です。
特に、ASD(と思われる)人に対して
そういう誤解が多いという印象があります。
ASDの人にも、様々な特性があり
どの特性が色濃いのかは個人差がありますが
その様々な特性の1つに「察することが難しい」というのがあります。
そのために「空気が読めない」ということもあります。
けれども
だからといって
人が傷ついても気にしない、自分勝手だ
というわけではないのです。
察することが難しいので
その結果、相手が傷つくこともあるのだけれど
傷ついたとわかると、悪いことをしたと思うし心を痛めます。
これは相手が傷つくことだと理解できると、その後は気をつけます。
たとえば
「わたし、最近太ったのよね」という友人に
「そうだね、太ったよね」と言って、周りが引いてしまうことがありますが
その「太ったよね」というのは
相手が「最近太った」というので
あらためて見てみたら「そうだなぁ」と感じたということを言っているだけで
悪意はありません。
けれども
相手が「そんなことないよ」と言ってもらい安心したい場合は
その相手は傷つくし、周りも引いてしまうわけです。
そして
自分の発言が相手を傷つける可能性があるとわかれば
相手に対する思い遣りとして
「そうかな?」とか「気にしなくていいんじゃない?」
くらいの返事はできるわけです。
だって、相手を傷つけたくないという気持ちはありますから。
それでも
「じゃあ、なんで聞くのよ!わたしはほんとのこと言っただけなのに!」
と、態度を改めないのであれば
それは、その人自身の心の問題であって
発達凸凹の特性からくるものではありません。
むしろ
傷つけるつもりはなかったのに、傷つける結果になって
戸惑ったり、凹んだりしてしまったりする人もいます。
察することが苦手で
ここでそう言う?という感じの人でも
明らかに困っている人には手を貸したりする
優しい人はいますよね。
周りの空気を読むことができないために
1人だけ目立ちたくないという躊躇もさほどなく
臆することなく人に手を貸すという場面もあったりと
いい行動に繋がる場合もあります。
察することが難しい=思い遣りの気持ちがない
というのは誤解なんです。
思い遣りの気持ちがないというのは
その人のひととなりの問題で、発達凸凹とイコールではない。
こうして言葉で説明するのは、なかなか難しいのですが
このことを理解できる小説と出会いましたので
明日のブログでご紹介しますね。
余談ですが、発達凸凹の簡単なチェックができるサイトをご紹介しておきます。