二俣団地が取り壊される?
私がそのニュースを知ったのは、
ネットのSNS、
「ミクシィ」の書き込みからでした。
二俣(ふたまた)団地とは・・・
昭和40年代、千葉県市川市に建設された
その団地は、
26棟の防衛庁(自衛隊)官舎と
4棟の公務員宿舎の、合わせて全30棟
1282戸から構成される、
巨大なマンモス団地で
団地が建設された当初、
生後間もない頃から団地に住み、
二俣幼稚園~二俣小学校~高谷中学校卒と、
成人するまで二俣育ちの私は、
団地を取り壊すというネットの書き込みに、
その驚 きを隠せませんでした。
ちょっ・・・壊すって?
なんでまた?
いや、そりゃま確かに
棟によっては都市ガスの設備が老朽化して、
外付けになっていたり (画像は14号棟)
道路が陥没していたりもするけれど、
昭和40年代から50年の歴史ある、
古い団地にしては(画像は23号棟)
「きれいなのに、
なんで壊すの?」
その外見だけ見れば、
誰もがそう感じると思います。
おそらく団地取り壊しの最大の理由が、
これ。
二俣小学校の裏庭で見た、耐震補強。
最近は全国で、大きな地震が多いですからね。
これを見たら、
「団地の取り壊しも
やむを得ない」
そう思った私でした。
団地が取り壊されるのも
寂しい事ですが、
私が本当に寂しいのは、
団地での思い出までが壊されてしまう事。
狭いながらも楽しかった、
6畳間での一家団らんや
父と補助なし自転車を練習した、
13号棟わきの道路
母にマジンガーZの基地だと
嘘をつかれた、
団地のシンボル、給水塔まで
子供の頃の思い出、その全てが、
団地ごと取り壊されてしまう訳ですから、
心穏やかではありません。
「団地の思い出・・・
記録しておこうかな」
そう考えた私は、
Amazonで8千円の安いデジカメを購入。
団地の住民が全て退去する、
平成27年9月を待って、
団地内の思い出の場所を
デジカメで記録する事に。
(画像は20号棟)
そして団地内の画像、
数十枚を撮り終えたところで、
私にはふと、ある名案が
浮かんだのでした。
思えばこの二俣団地は、
1282戸のマンモス団地。
しかも50年の歴史がある訳ですから、
住んでいた住民は数万、
いや十万人くらいは居るはず・・・
転勤の多い自衛官の子供は、とにかく
転校が多く、転入1年ほどで再び転校
してしまう生徒なんてザラでしたからね。
しかも転校先が北海道から九州まで幅広く、
遠い地方に行ったまま暮らしている人も
多いと思うのです。
転校した自衛官の子が、やがて歳を重ね、
何十年ぶりに地方から上京して、
懐かしく二俣団地を訪れたとき・・・
(画像は現在の二俣団地の最寄り駅
JR京葉線・二俣新町駅)
団地が取り壊され、跡形もなくなって
いたら・・・あるいはそこに、
マンションが立ち並んでいたら
どう思うのか・・・
その時の無念さ、
落胆と言ったら。
そんな時、せめて私が撮った
二俣団地の最後の姿を、
パソコンやスマホで見る事は出来ないか?
楽しかった団地の最期はどうなったのか、
皆知りたいのでは?そう考えたのですね。
こうして誕生したのが、二俣団地ブログだった
訳です。 撮影した画像を私1人で楽しむより、
むかし住んでいた人みんなで共有したほうが、
きっと団地も喜ぶでしょう。
・・・と言うワケで、団地の閉鎖から、
団地が取り壊されるまでの
完全ドキュメントを、当時のエピソード
を交えながらブログにしてみました。
寂しいと思いますが、どうか懐かしい
二俣団地の最期、有終の美を、
ぜひご覧ください。。。。










































































































































































