朝5時にホテルを出発した私たちは一路、ヒンズー教徒にとって聖なる河【ガンジス河】へ向かいます。

こんなに朝早くに出るのは、混雑する時間を避けるため、そしてこの時間帯がもっとも沐浴の効果(ヒンズー教では、全ての罪が清められるとされる)があるからだそうです。

 

え?私も沐浴するんだろ、ですって?

やっと腹痛も治まってきたというのに、そんなことをしたら罪が流れ清まるどころか、水に浸かった途端に私自身が流されていってしまいそうです。

 

その代わりと言ってはなんですが、私たち参拝団の代表として、ずっと同部屋だった横浜のM君が沐浴にチャレンジする予定です。

でもその彼も、昨日からお腹の調子が良くないようで、大丈夫なのでしょうか・・・

 

とかなんとか言ってる間に、ガンジス河へ到着。

しかしまだ川面は真っ暗。

沐浴するには危険過ぎるので、小舟に乗って明るくなるまで1時間ほど遊覧することになりました。

 

河に出ると気づいたのですが、上流から吹いてくる風はインドとはいえ、朝はとても冷たい。

それに加えて、船の座席が一番風上側だった私は、密かに腹痛が再発しそうでそれはもう大変でした。

 

そして6時頃に岸辺に戻ってきてから、いよいよM君の沐浴開始です。

と、思ったらインド人のガイドさんも沐浴を始めました。

実は、彼は敬虔なヒンズー教徒です。

当たり前と言えば、当たり前ですね。

 

そしてその二人の沐浴シーンをこのブログに載せたかったのですが、残念ながら先程の寒風のおかげで撮影する気力が私には全くありませんでした・・・

(ちなみにちょっと川に手を入れてみましたら、あらびっくり、けっこう温かかったです。)

 

 

帰りは行きの徒歩と違い、三輪車タクシー(乗客二人乗り)に乗っての移動でした。

上写真手前の白いマフラーをした初老のお爺さんが、私とM君の運転手なのですが、日本人組の中では一番重い二人でごめんなさいね。

 

ちなみにまだ6時過ぎでしたが、町はもう活気づいていました。

実はヒンズー教において、「今年の太陽が、牡羊座に入る1月13日〜3月10日までの間」は、惑星と月が宇宙空間上で一直線になる期間だそうで、例年(6年に一度の大クンブメーラ祭)よりもさらに重要な年だったそうです。

同じような年は、次は121年後だそうです!(◎_◎;)

だからいつもの年よりも巡礼者が多く、稼ぎ時ということで、町の人々も朝から動き回っているのだそうです。

 

クンブメーラ祭→ 

https://www.fashionsnap.com/article/2014-12-28/india/

 

 

さてホテルに帰り朝食かと思いきや、まだ食堂が開くまでに時間があったようなので、インド寺(Mother India Temple)という小さな歴史館へ、バスで向かいました。

 

そのお寺を拝観後、ホテルに戻り朝食です。

と、言ってもまだ私は腹痛で、何も食べることができませんが…

 

朝食後、今日は珍しく仏跡参拝ではなく、ベナレスの名産であるシルクの工場見学です。

1時間半程の工場見学の後、ホテルに戻りしばらく休憩をしてから、もう昼食。

ここでやっと私は、ほぼ丸一日ぶりの食事を摂ることができました。

 

少し体力を回復できた私でしたが、午後1時半に出発した次の行き先は、ベナレス郊外にある「初転法輪の地・サルナート」です。

 

初転法輪(しょてんぽうりん)とは、お釈迦様が、初めて仏教の教義を人に説いた出来事のことです。

 

 

その町に着いて先ずは、紀元後5世紀頃に建てられたチャウカンディストゥーパ(迎仏塔)を訪れました。

ここは以前お釈迦様と一緒に修行をしたことのある5人の比丘たちが、悟りを開かれた直後のお釈迦様をお迎えになった場所とされています。

 

ただこのストゥーパは、今までのものと少し違い、頭頂部に変わった建物が存在しています。

最初パッと見て、何だかとても違和感がありました。

それにはやはり訳があり、この頭頂部の建物だけは15世紀頃にイスラム・ムガール朝の王様の部屋(見張り小屋とも)として、後付けで建てられたものだそうです。

 

お次は、サルナート考古博物館です。

ここには、紀元前3世紀~紀元後12世紀の出土品が展示されています。

 

 

ここの美術館のメイン展示は、上画像・初転法輪像(サールナートにて出土)です。

 

またここベナレスにあるアショカピラーの頭頂部にあった四頭の獅子も外されて展示してあり、その獅子たちの頭上には本来は法輪が存在したことなどが図入りで説明されていました。

そしてこの四頭には、ここでお釈迦様が説かれた教えが世界の四方に行き渡るように、との願いが込められている、とインド人ガイドさんが教えてくれました。

 

その他ヒンズーの仏像等もあり、仏教の像と比較ができるなど、現地の言葉が分からなくてもある程度は理解できる有意義な博物館です。

 

しかしこの上の画像はインターネットで探したものですが、確かここは撮影禁止だったのに、なぜこんなに画像が溢れているのだろうか・・・

ま、ここはインド。深く考えないことにします。

 

さて、いよいよサールナートへと向かいます。その入口を入ると広大な遺跡群(下写真)が私たちを迎えてくれます。

 

 

通路に沿って進むと先ずあるのが、先程の博物館にその頭頂部が展示してあったアショカピラーです。

 

この頭頂部の四頭の獅子に法輪があったことは説明しましたが、ガイドさん曰くその法輪の軸は32本。

インドの国章の法輪は、時間を表す24本。

なぜここの法輪が32本なのか、メモし忘れました・・・知りたい、どなたかご存知であれば教えて下さい。

 

そしてそのピラーのすぐ側には、大きなストゥーパの基壇が残っています。

またここからは仏舎利が発見されたのですが、それを発見したイギリス人によって、なぜかガンジス河に流されてしまったそうです。

まさかお釈迦様のお骨だとは思わなかったのでしょう、とインド人ガイドさんは言ってましたが・・・

 

さらに進んでその横にある僧院跡がある場所で、お釈迦様が修行仲間であった5人の比丘に「中道と四諦八正道」を説かれたそうです。

 

さらにもっと進みますと、上写真でも一番目立つ二段の円柱を重ねたような巨大なストゥーパ、ダーメークストゥーパ(法眼塔)があります。

 

法眼塔の画像等→ http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/sarunato.html

 

話の途中ですが、残念ながらここまで歩いてきた仏跡郡の裏手にあった【鹿野園】(現在は雑木林)へは、時間の関係で行くことができませんでした。

 

さあ、ちょっと駆け足になりますが、【ムーラガンダクティ寺院】(下写真)へ向かいます。

 

 

この寺院は1931年に、スリランカの大菩提会によって建立され、本尊は先程の博物館にあった初転法輪像と同じもの(レプリカ)です。

 

またここの本堂内に描かれた釈尊伝壁画は、日本人の作品で、入口には日本仏教会寄贈の鐘がありました。

中も外も、とても美しい寺院です。

 

この本堂の右横には、お釈迦様が成道した際に瞑想された菩提樹の孫樹があり、ということは成道の地ブッダガヤの大塔にあるものとは兄弟樹となります。

ちなみに、そのお釈迦様が瞑想されたとする元樹は、先程も書きましたが現存しません。

(子樹は、スリランカに現存するそうです)

 

さて、今日はこれにて終了です。

昨晩のホテルに戻り、ベナレスでの二日目の夜を迎えます。

 

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