昨晩から何も食べていません。
インドに来てから2回目の下痢で、昨晩は一晩中トイレと友達になっていました。
しかしツアーですからワガママは許されません。
付いていくか、離脱するかの二者択一、もちろんリゾートに来たのではありませんから付いて行く方を選択します・・・ハァ・・・(涙)
朝7時半にホテルを出てまず向かったのは、バックロール村、通称スジャータ(セーナ)村です。
スジャータとは、苦行を止め河のほとりで沐浴をしていたお釈迦様に、乳がゆの供養をしたお嬢さんの名前です。
そのスジャータさんが住んでいた村には、ホテルからはすぐの所にありました。
そこには、ひっそりとですが綺麗なストゥーパがあり、そこがスジャータさんの屋敷跡といわれています。
さらに、ここに来る途中に渡った橋は日本国が寄贈したそうです。
その橋が無いと、この村に行くには大きく迂回せねばならず、現地の方にも大変重宝されているようで通行量も大変なものでした。
名残惜しいのですが、30分ほどの滞在で次の目的地 「釈迦成道の地・ブッダガヤ大塔」、お釈迦様が悟りを開かれた場所へ向かいます。
ブッダガヤ大塔(上写真)の資料→ http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/budhagaya.html
スジャータ村を出て約30分で到着したブッダガヤの大塔は、つい10年ほど前に世界遺産に登録されたこともあり、世界各国の僧侶・旅行者でごった返していました。
ここでは日本人も、よく見かけました。
またそのためか、路上お土産売りの方も日本語が大変お上手です。
世界各国どこでもそうですが、私たちに帯同していた日本人ガイドさん曰く、日本語を上手にしゃべる現地人ほど気をつけて下さいね、とのことです。
確かに (;^ω^)
ちなみにこの大塔は、やはり今まで見てきたインドの寺院・仏塔などの中で一番綺麗でした。
そして大塔の前庭には、お釈迦様が悟りを開かれてから7日毎に場所を変え、計7週間瞑想をした各場所を示すストゥーパがあります。
この『7日毎に場所を変え、計7週間瞑想をした』という故事が、日本のお葬式の後に故人様を49日間特別にお祀りする由来です。
歴史的にこの地は、紀元前3世紀に修復・整備されましたが、その後のイスラムの破壊を免れるため地中深くに埋められることになります。
現在、まわりの土地よりこの塔が低い位置にあるのは、そのためだといわれています。
またその後19世紀頃に再発見され発掘が開始されますが、発掘当初は仏教寺院ではなくヒンズー教寺院として理解されていました。
そして更に時を経てここがお釈迦様の成道の地であることが分かり、やっとのことで仏教聖地として復権し今に至ります。
現在、大塔の裏側には、お釈迦様が悟りを開かれたといわれる『金剛座』と『菩提樹(もちろん当時のものではない)』、その側に『仏足石(紀元前1世紀)』、少し離れた場所には悟りを開かれた後に沐浴された『清華池』などがあります。
さてここで1時間半ほど仏教最高の聖地を見学した後、またバスに乗り込み大塔のそばにある「日本寺」に立ち寄ります。
日本寺【公益財団法人国際仏教興隆協会】→ http://www.ibba.jp/
ここの外観は上の外部リンクにお任せし、このブログではここに常駐する東大寺(華厳宗)の僧侶についてズームアップします。
上写真は、今回の研修の団長さんである桐生・青蓮寺の御住職さんが、駐在されている僧侶に回向帳をお渡ししたところです。
この後、ご本堂でご回向させていただきました。
ちなみにこのブッダガヤ日本寺は日本の各宗派共同で管理されており、もちろん我々の宗派『時宗(じしゅう)』もその一翼を担っています。
ここの駐在は一回2年間だそうですが、なかなか立候補する方がおられないそうで、毎回その選抜が大変なのだそうです。
え?私で良かったら・・・?と私が20代の頃なら真っ先に立候補したでしょうが、家族・お寺を持つ身分としてはそうもいきません。
ましてや、たった2週間の研修で下痢なのですから、この大役は私の息子に託す?としましょう(笑)
では11時ごろ昼食のために、一度ホテルに戻ります。
もちろん下痢の私は、何も食べれませんでしたが。
早めの昼食を終えた皆さんと共に12時半にはホテルを後にします。
次なる目的地は、ヒンズー教の聖地・沐浴の町ベナレス。
ブッダガヤからトラブルが無ければ約5時間で到着します。
今日はこれで仏跡参拝は終了。
午後6時すぎに、無事に今晩のホテルに入ることができました。
ホテル:THE GATEWAY HOTEL GANGES VARANASI(Varanasi)