すでに3時を過ぎていました
写真にも夕方な感じが出ています(^^;;
通称「九品仏」浄土宗 知恩院の末
開山は江戸時代初期の高僧「珂碵(かせき)上人」で、徳川四代将軍家綱公の治世延宝6年(1676)に奥沢城跡であったこの地を賜り創建されました。
元々は世田谷吉良氏系のお城でしたが小田原征伐後に廃城となりました。
☆閻魔堂
山門をくぐりすぐ左です。
さらに左にはたくさんのお地蔵様
☆開山堂
こちらは山門をくぐり少し進んだ右手にあります。
浄眞寺開山の珂碵上人の像が安置されています。(重要文化財)
万治元年(1657)上人が如来様のお告げ三度により、水鏡にお姿をうつし自彫されたもので、合掌する上人42歳の時の像だそうです。
☆三十三観音堂
開山堂より少し奥です。
こちらは中に入ってお詣りすることができ、観音様へのメッセージノートが置いてありました^_^
しっかりと書かせていただきました♡
山門をまっすぐ進むと仁王門です。
☆紫雲楼(仁王門)
寛政5年(1793)の建立で、一対の仁王様と楼上に阿弥陀如来様・二十五菩薩像が安置されています。
楼上の阿弥陀様と菩薩様たち、もっとはっきり撮りたかったのですが、夕方だったのでこちら側からは暗くて全くうつらずこの写真も明るさをしております
次回リベンジします
門前のプレートによると
“浄眞寺に参詣されり人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳の浄土(彼岸)であることを示している”
とのことです。
なんだかわくわくしてきました
☆鐘楼
紫雲楼をくぐり左です。
宝永5年(1708)建立。梵鐘は重要文化財。
写真ではわかりにくいですが、楼の四周に十二支が刻まれているそうです。
写真のように右に曲がると本堂です。
☆仏足石
本堂の手前にあります。
天保年間のもので中央の千福輪相(法輪)が刻されています。
大聖釈尊のご入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して接足作礼(せっそくさらい)により哀心慕情を示しました。
明日は本堂と三仏堂の九品仏です