しがらみいやん -7ページ目

しがらみいやん

浸潤型乳頭腺管がん ステージ1・ホルモン+ Her2- Ki67 5%
多発型のため、全摘。広背筋皮弁法で同時再建。

正直私のガンなんて早期だし顔つき大人しいし、
ワーワー悲観的になるほどのものではない、と思ってますし、あんまり悲観的じゃないです。

でも、明らかに、診断される前と後とでは違いまして
手術して「無かった」ことにしたかったんだけどそれは無理で。

友達に言われたんだか、ネットに書いてあったんだか
「がん」と診断されて、治療を始めたら、もう既に「サバイバー」であるらしいんですね。

で、私もこの病気になってから知ったんですけれども、
一般的に乳がんって「完治しやすい」っていうイメージで売ってるじゃないですか。
ピンクリボン運動とか。

早期なら大丈夫!
みたいな。

まぁそういう場合も多いんでしょうけど、再発(遠隔移転)まで長い年月が掛かるガンでもあるんです。

つまり、通常のガンであれば、5年生きればまずまず大丈夫ってやつ。(五年生存率ってやつですね)
スキルスであれば、10年でまぁまずまず、らしいです。

でも、乳がんは10年以上経っても再発する、そうなんです。
特にホルモン陽性タイプ。

逆に予後があんまりよくないとされるトリネガとかは2~3年で再発する率が高いそうなんですが、逆にそれを超えると急に減るらしく。

まぁ色々ありますよね。

なので、5年生存率が高くて、それを他のがんと一緒くたにして「完治」とされる(ような誤解を生む書き方をされたりする)と、なんだかなーって。

5年生存率で97%ぐらい、10年で89%。
5年以上でも結構な再発率、な気がしました。(この数字見た時)

15年生存率ってあったっけ。どっかで見たような、なかったような。(調べたけど忘れたw)

がんの羅患率と比べたらどうなんだろう。どっこいなのかなぁ。

でも、「がんになりましたー」ってのと「再発しましたー」ってのは、また天と地ほど差があるわけでして。

サバイバーなのよっ!と悲劇ぶるツモリは全くないですけれど、
なんか引き返せないんだなぁって思ったりはします。

たまにやっぱり怖くなる。

まぁ概ね平気ですけどw


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病院食について思い出した事があったので書きます。

私が入院していた西新宿の背の高い大学病院は、非常に食事の評判が悪かった。

中村うさぎが文句言ってた、という噂も。。

で、いざ食べてみると、色んな謎味の食事が出てきて非常に参ったのです。

健康にはいいと思う。薄味、脂肪分低め、バランスはまぁいいのでしょう。炭水化物多めでしたけど。

しかしな。本当に謎味。
魚とか、どこの深海魚だろう、みたいなのが、甘いのか辛いのか酸っぱいのかわからない味で出てくる。
野菜も、一週間前のレタスときゅうりとコーンが甘いのか辛いのか酸っぱいのかわからない味で出てくる。
おつゆはあったりなかったり。

朝はパン、マーガリン、ヨーグルト+謎味のサラダ。

手術後4日めか5日めの朝、私は上のメニューの食事を見た瞬間、「もう嫌だ!」と心の中で叫んで、地下にあるコンビニに駆けていった。
いや、実際にはドレーン三個を点滴棒にぶら下げていたので駆けるわけにはいかず、よろよろとエレベータに乗って行ったんですけど。

食事には毎回、私の名前、メニューのカロリーが書いた紙がトレーに乗っかってて、何か意見があれば、書いて下さい、的な事が書いてありました。

実際書く人がいたのかどうかわからんが、コレで良しと思われたら適わん、と、意見を書くことにしました。

毎食毎食、「サラダが謎味だった」とか「魚が謎味だった」とか、まー普通に食べれたものは「美味しかった」とメニュー名指しで。

するとどうだろう。

メキメキとメニューの味が上がっていったではないか。

っていうか、アンケート書いた翌日ぐらいに、栄養士さんがすっ飛んで来ました。

で、「脂分が少ない、とか、味が薄い、とかは特にいいんだけれど、とにかく謎の味(甘いか辛いか酸っぱいかよくわからん)が多くて食べれない。もっとシンプルな味付けでいいのではないだろうか」ということを言った。

そして、メキメキと改善。

美味しかった時は、美味しかった、とお礼を言うことももちろん忘れず。

仕事って、やっぱり反応があったほうがやりがいあるもんね。

私が退院する直前とかは、おいしいビビンバ丼とかが出てきて、栄養士さんは「自信作だったけど、どうだった?」と意見を聞きに来てくれました。
もちろん美味しかった!とニッコリ答えました。

入院して回復してくると、食べることぐらいしか楽しみないので
この先も頑張ってほしいなーって思います。

もし、今後入院してまずい食事だったら、アンケートで指摘してみてはどうでしょう。
おすすめですw

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さて、アリミデックスを飲み始めてから2ヶ月半ぐらい経過しましたが、副作用はどうか、といいますと、私の場合、関節痛がやっぱり中々のものです。

だーーーいぶ痛いですねー。
心身ともにおばあちゃんみたいになってます。
手の方はボール握ったりすると割とラクになるんですが、足も痛いので、歩くのがツライ時も。

後、ホットフラッシュ。

カーっと頭から顔(上半身?)が熱くなって、バーっと汗かきます。
そして収まったら今度は冷房で寒くなる、という。
難儀です。

最初は、気持ちの方も不安定になったのですが、そっちの方は8月の診察時に出してもらった漢方薬(女神散)が効いているようで、今は安定してます。

気になるのはそんな所かな。

今のとこ生理も来てないですし、順調なのかな。

なんていうですかね。
なんか、世間的な今の流行りでは、「女性は死ぬまで女性!ホルモン出して出して、死ぬまで美しく!」みたいな風潮があるじゃないですか。

それやってると、私の場合ダメなんだよなーって。
ホルモン感受性が高い乳がんの場合は、治療といえば「女性ホルモンを止める」事になるんです。

閉経前だと、女性ホルモンは卵巣から出てるので(スゴいざっくりしてます。スンマセン。詳しくはググってください)、それを止める薬を飲みます。

閉経後だと、女性ホルモン出てない、と思うでしょー?
違うんですよー。なんか、脂肪を女性ホルモンに変える「アロマターゼ」という酵素だかなんだかが出るようになるんですわ。
卵巣の動くが悪くなる⇒女性ホルモン減少⇒更年期障害⇒アロマターゼが出るようになる⇒更年期抜ける、みたいな流れなのかなーって思ってます。(正しいかどうかはわからないです)
なので、その女性ホルモン変換の役目をするアロマターゼを阻害する薬を飲みます。

もう、女性ホルモン出ないようにして、もしかして全身に散らばってるかもしれない(浸潤してたら、微細ながん細胞が全身に既に散らばってるかも、と考えるのが普通らしいです)がん細胞を潰していく(女性ホルモンはがん細胞の餌なので)で、再発を防ぐ、ということなんですね。

女性ホルモンの感受性が低いタイプのがんで、Her2が高ければ、ハーセプチンという薬がよく効く(これがないときは、Her2が高かったら予後はあんまりよくなかったみたいです)ので、それをやる。

みたいに、ステージだけではなく、タイプが違うとそれぞれに治療法が違ってくるんですね。

ホルモン感受性が高いと、ホルモン療法が効くので、一日一回錠剤飲むだけでいいんですが、この副作用がつらくて途中でやめてしまう人もそこそこいらっしゃるみたいです。

まだ2ヶ月だけど、私はまだそこまでではないので、続けていきます。

続けられる程度の副作用でありますよう。



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なんか、乳がんで右乳房全摘出って今日ブログで発表があったみたいです。

http://ameblo.jp/hokuto-akira/entry-12076321816.html

うーん。
全摘で、その後抗がん剤が決まってるってことは、トリネガとかだったのかな。
リンパに移転してるっぽいって書いてあるから、どちらにしろ抗がん剤か。

というか、これ読むと、「全摘出=すごく進行したガン」みたいに読めちゃいますよね。

そうじゃないのに。

私も全摘出してますが、早期発見の部類だし、それについては、そこまで重要には考えていなかった。
というのも、私が恵まれていて、同時再建が出来る事が決まってたから、というのはあるんですけど。

どうも文章を読んでいると、全摘出!大変!みたいに読めてしまって、ちょっと誤解が生じそうな気が。

北斗さんの状況が深刻なのかそうでないのかは全くわかりませんけれども、
この記事を取り上げている某巨大掲示板のまとめサイトでも「リンパ転移してたらもう終わり」みたいなことが書いてあって「うひゃー」と思いました。

とは言え、「切れば治るんでしょ」ってのもちがくて。

やっぱり「がん」ってイメージが強烈だから、難しいですね。

同じ乳がんでも、やっぱいわゆる「顔つき」ってやつがありますしね。

北斗さんがあれだけ悲嘆されているということは、あんまり顔つきが良くない感じなのかな、と心配にはなりますね。

どうか、治療されて、元気にカムバックしてください。


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退院する時に、形成K先生に復職の時期について軽く尋ねたところ、
「手術後一ヶ月ねー」と言われていたので「そうなのか!」と素直に思って会社に伝えておりました。

ところが会社の反応は「え、そんなに無理しなくても」的なものでした。

まーでもお医者さんが言ってるので、ってことで、私の中では7月の半ばには復帰する気分でおりました。

ところが。
第一回診察の7月6日。
本来であれば、後一週間もすれば会社に復職する予定のはず。
だけれど、体のほうが「無理だよ」と言っておりました。
とてもあと一週間で会社に行けるほど体が整うとは思えなかったのですよ。

っつーことで、診察時にK先生に聞いてみたところ「手術後2ヶ月ねー」とのたまうではないか。

よくよく聞いてみると前の「一ヶ月ねー」は「どうしても、何が何でも、早く復帰したいから無理やり」で「一ヶ月」なんだそうで、普通は二ヶ月ぐらいは見といて欲しい、とのことであった。

そっか。と安心した私でした。
だよねー、と思った私でした。

そして会社に「やっぱり二ヶ月ですって」と電話したところ「だよねー」と言われました。

私がお勤めしている会社は、根っこはベンチャーなんですが、何となく上場とかもしている会社なので、そういう点では優しい会社で本当によかったです。

という事で、復帰はお盆過ぎ目標と相成りました。

因みに。
7月6日は朝9時の診察だったので、そこそこ混雑した電車に乗ったのですが、本当に恐ろしかったです。

正直、おじさんとかに多いんだけれど、「お前が避けろ」と言わんばかりに平気で突っ込んでくる人いるじゃないですか。あれホント怖い。

体の一部分に普段と違うところがあり、痛みが伴い、しかし外見では普通に見える、ということにならないとわからないのだなぁと、自分も含めて思いました。

見た目が普通でもみんながみんな押されたりぶつかられたりして平気ではないのだ、と。

自分がならないとわからない所が自分でアレですが。(反省)


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退院が2015年6月26日で、第一回目の診察が7月6日だったかな。

廃液がまだ出ているので、腹帯(私が使っていたのは、マジックテープで止めるタイプのヤツ)はまだ締めたままでいてくれ、と言われてましたので、腹帯はしたまま。

後、形成ならではだと思うんですが、傷がきれいに(盛り上がったりせず)くっつくように、ずっとテープを貼ったままです。

手が届くところであれば、こまめに貼り替えたほうがいいのでしょうが、いかんせん一人暮らしで、敵は背中がメインです。貼り替え出来ません。

K先生いわく、貼りっぱなしでいいし、剥がれてきたら電話してから貼り替えだけに来てもいい、とのことでした。

が、まーなんとか持ったので、退院からこの診療の間に病院には来てないです。

傷の治りは順調、廃液の量も少ない方だということで、心配なし。

ただ、背中の筋肉を胸に移した時に糸で止めてあった場所が、ずっとかぶれてて、それが中々治らないのが困ったところでした。
ひどく爛れたりとかはしてないので、もう少し様子見ようかね、ということで診察終わり。

次回、10日後!

帰りに病院の隣にあるロイホでブランチ食べて帰りました。


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ほぼほぼ眠れず、夜中にベッドを起こして西新宿の夜景を見たり、ゲームしたりして朝を迎えた手術後二日目。

この日から、ご飯はかなり食べれるようになりました。
朝は半分ぐらいだったかな。

そうそう。書き忘れてますが、乳腺科のK2先生は、なんだかんだ毎日顔を出してくれてました。
昨日だかは「あ、ホントに青い」と、わざわざ髪の毛見に来てた。(髪の毛青いんです)

診療の方は、形成外科が担当になるので、形成チームの方々が午前中ぐらいかなぁ、回ってきて、傷を見て、ドレーンの具合や廃液の量を見てくださいました。

そして、この日から、まー、かなり元気になりました。
死にそうだったのは昨日まで、みたいな感じで。
ベッドから自分の意思で起きれるという事は本当に嬉しい事だったなぁ。

テレビとかも見ようかなって思ったのがこの日ぐらいだったかな。
点滴の痛み止めがストップになったのもこの日ぐらいだったかな。
点滴にはよく見ると「医療用麻薬」とか書いてあって、うーん、麻薬だったのかーって思った。

ご飯はまだ部屋に持ってきて貰って部屋で食べてたかな。

やっぱり背中切ってるので、長い間座るのがつらくて、
でも寝てるのもつらくてw
食堂に行って、本を読もうと思っては5分ぐらいで音を上げて帰ってくる、みたいな事を繰り返していたような。

後、この日ぐらいに、頭を洗ってもらった気が。たしか。2日目か3日目。
髪の毛洗うってホント大事ね。
人に返るって気がした。さっぱりさっぱり。

後体は毎日拭いて貰ってました。

印象深いのってやっぱり手術翌日までで、後は退院まで徐々に回復って感じで
後から書こうとすると、流石に覚えてませんなぁ。

特に、睡眠以外はトラブルもなく、特記すべき痛みもなく。

睡眠薬をマイスリーから別の長めのに変えてほしいという相談を薬剤師さんにしたぐらいだったかな。

とにかく眠れなかったので、効き目が中期のに変えてもらったのだけれど、
睡眠導入剤を10時に飲む⇒11時半に目が覚めてそれきり眠れない、というのが続いたもんで。
これはもう多分痛いから眠れないんだろう、みたいな諦めになりました。

夜が長いのはそれなりにツライけれど、夜景もきれいだし、いいか、みたいな感じで。

で、日数が経過するとともに、だんだん長く寝れるようになりました。

私が居た大部屋は、形成の部屋だったので、他のブログで見るみたいに、乳がん患者ばっかりってのとは違ってましたが、ちょっと話をするようになったら、何となくですが「場所は違えどガン」の人ばっかりみたいだった。

私の手術の場合(内臓とかは関係ないので)、体から出る廃液が少なくなったらドレーンが抜けて、ドレーンが抜けると退院、という事であった。

そして、非常に順調に廃液は減り、傷口も割といい感じっぽくて、6月26日(手術から2週間後)に無事退院いたしました。

そうそう。病理は退院後って聞いていたのだけれど、退院前日に乳腺科のK2先生が病室のカーテンをチャッと開けて「結果出たよー。浸潤はねー、してた。1.5センチ、ホルモン感応性+、Her2マイナス、K67もマイナス!」って口頭で。「退院したらホルモン療法ねー」って。
カーテンチャッで、口頭。
ええんかそれで。

っていうか、浸潤してるやん。
それってややっていうか、かなりショックなんですけどー。

って思ったけど、まぁ浸潤してたんならしょうがない。

退院の日は友達が迎えに来てくれて、西新宿のお寿司屋さんでお寿司食べて退院を祝ってからタクシーで帰宅。

退院は正直怖かった、っていうか、病院にいると、色々なんでもしてもらえるじゃないですか。
それがなくなるの怖かったけど、まぁ帰ったら帰ったで何とかなるもんではありました。

すっ飛ばし入院生活でスミマセン。

ホントあんまり覚えてない。思い出したらぼちぼち書きますw


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ほとんど眠れない夜、腰を動かそうにも足をシュコシュコ機に縛られて身動きが難しかった夜。
朝になれば、とりあえずこのシュコシュコを外してもらえる、という一心で頑張った夜。

そんな夜が明けて、朝が来ました。

ずっと以前、胆嚢を摘出したとき(内視鏡手術)は、手術後は朦朧としていて、夜も寝れなかった記憶が無いので多分寝れていて、翌日には嘘のように元気になった。

その記憶があるので、まぁ規模は違うけど翌日にはちょっとは・・・と思ってたのですが、吐き気がいっぱいあるわ、耳は敏感になってて、音がグワングワン回るわ、体動かせないので腰痛は半端ないわ、ツライ一方です。

とにかく朝一番に来た看護師さんに足のシュコシュコを外してもらった。

はぁ、とりあえず足は自由。
だが、やはりちょっとでも体を動かすと痛いので、動かす時は一大決心が必要だし、右手には三角巾がつけてあって、肘を体より後ろに引かないよう、ときつく言いつけられている。
せっかく前に持ってきた背中の肉だがまだ安定していないので後ろに引っ張られると戻ってしまうとのことであった。

コワイす。

そして、まだカテーテル(お小水管)もついてる。ついてるのよ。

普通に朝食が運ばれてくるが、絶対になにも食べられません。この状態で何を食べろというのだろう。
水は解禁となったので、水ばかり飲んでます。

ああ、シュコシュコさえ外せばラクになると思ってた私は馬鹿だった。

その上、腸がなんか膨満してる感じなんだよ。苦しいの。
そう看護婦に言うと、「それは動いてないから。歩きましょう。今日から歩きましょう。」と誘われる。

でも歩ける気が全くしないんだよね。

でも、最近の手術後の方針としては、よほど重篤な何かが起きてない限り、手術の翌日には出来る限り体を動かす方向みたい。

サクラちゃんが内臓をどうにかした時も、翌日には電動ベッドの頭がわをガーーーーーって45度ぐらいに上げられて「鬼と思った」って言ってたし。
私もスパルタ看護師さんに「歩かないとラクにならないわよ。ずっと苦しいままよ」とか言われました。

で、一回試しに歩いてみる。まずベッドから起き上がるのが大変。看護師さんの手を借りてベッドの上に座る。尿バッグ、点滴、ドレーンを掛けた点滴棒を支えに立ち上がる。
上を見るな、遠くを見ろ、ゆっくりでいい、と。看護師さんが横についてくれて、ほとんど点滴棒(退院まで親友づきあい)に頼りきりの歩行。
その時点では、まだカテーテルは抜けず。

昼ごはんもとても食べれそうになかったのでパス。

とにかくめまいと吐き気がその時点でも激しい。
そして、とにかく胃腸の膨満感がたまらない。

夕方頃、もう一回歩いてみたい、願わくばカテーテルを抜いて欲しいとお願いし、歩かせてもらう。
途中で気分が悪くなり、車いすを持ってきてもらって座る。

とか、やってるうちに、別の友達が見舞いに来てくれるが、ハッキリ言って構ったり気にかけたりする余裕はないので、流石に手術翌日はお見舞いに行ったり来てもらう約束をしたりというウッカリはやめたほうがいいと思います。私は後悔しました。
後、手を握ったり話しかけたりもやめたほうがいいと思います。ホント厳しい。

ま、とりあえずその時も何とか歩けて、友達が帰った後、カテーテルを抜いてもらいました。

カテーテル抜けた=トイレに自力で行く必要がある
ですが、スイスイとは行けないので、早めに行く必要がある。
(この時からしばらくは、広いほうのトイレを使わせてもらう事にしました。色々不自由だったので)

そして、時間ならたくさんある。

という事でこの日から退院まで、暇があったらトイレに行くことになりました。

時間あるなー。
トイレにでも行くかー、みたいな。

喫煙者が「タバコ吸いに行くかー」って行くみたいな感じでトイレ。

院内用のバッグにおしり拭きウェットティッシュ(流せる)を入れてトイレまで散歩。

そして夜ご飯もパスしようとしたところ、看護師さんがお皿の上にメロンを発見。
「メロンとかあるわよー。食べれるんじゃない?」と言われ、お皿を見た瞬間溢れる食欲。

あ、メロン食べれそうです!と言って、看護師さんが去ってから食べた。

ハッキリ言って甘みの薄い、どっちかっていうときゅうり味のメロンでしたが、その時の私には滋養が体中に広がっていくように感じた。

二日振りの食事。(メロンのみだったけど)

そして、歩いたおかげか、麻酔の副作用がそろそろ去ったせいか、吐き気もなくなり、胃腸の膨満感もマシになったのでした。

あーそうそう、私は普段サインバルタという薬を毎日朝に飲んでいるのですが、手術日当日、翌日(本日)と朝飲んでなかったために、一般にシャンビリと呼ばれる離脱症状にも襲われたため、色々大変だったと思われます。
っていうか、私の場合の離脱は、音に敏感になり、ちょっとの音でも頭のなかでグワングワン回るような感じになります。
で、昼過ぎ頃「あ、コレ、サインバルタの離脱ちゃうけ」と思って、その時に薬を飲み、徐々に収まっていきました。

そういう薬飲んでる人は、私みたいにウッカリせず、手術の翌日からは薬の飲み忘れに注意しましょう。

因みに夜はマイスリーとデパスを飲んでましたが、この日は3時間で起きてしまい、その後明るくなるまで眠れない夜を過ごしました。

いつもはバッチリと効くのですが、その後結構不眠に悩まされることとなります。


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病院の朝は早い。

多分6時には起きて、今日(2015年6月12日)は朝9時から手術ですので、朝食は抜き、水も飲んじゃダメな感じ。

そうそう、内臓とかは関係ないので、下剤とか浣腸はありませんでした!ヨカタねー。

以前腸炎でマグコロール的なアレを飲み、大層しんどかったので、下剤がなくて本当によかった。

とりあえず手術室に持っていってもらう下着とかをもう一回チェック。(実は名前書かなくちゃイケナイと説明の紙に書いてあったのだけれど、すっかり読み落としており、無記名のままご迷惑を掛けてしまいました。)

歯を磨いたらすることなくなって、でもソワソワしちゃって、テレビつけたり、あまちゃんの再放送見たりしてたら、友達が来た。

弾力ストッキング(血栓予防)がすごく履きにくいと評判だったので、先に履いとこう、と履いてみるとスルスルっと履けた。
これは血栓予防にならないかも、と看護師さんにサイズ取り替えてもらって、履きました。
ちょっと履きにくいかなって思ったけど、すごく履きにくいってほどでもなかった。

7時40分頃に、「ああもう辛抱たまらん!」とガマン出来ずに手術室に着替える(ソワソワしちゃうタイプなんです・・・)。下着はつけない事になってるので、すごく不安な感じに。。。

そして8時前には看護師さんが迎えに来てくれて歩いて6階(確か)にある手術室へ。

友人のお見送りは病室がある階のエレベーターホールまで。

エレベーターは流石に他の人と混合で乗ることはなく、ボタンで他の人が乗れない感じにして乗せてくれた。

6階はなんか待合室っぽくなってて、手術着を着た人がたくさんいた。

おー、今からこれだけの人が手術を受けるのね、と思うと胸が熱くなった。(ホントはあまりならなかった)

そこでキャップを渡されて頭にかぶる。

手術室に歩いて行って、人一人ギリギリ乗るベッドに横になるよう言われる。

ばーーーっと色んな器具が取り付けられて、マスクされて、「ちょっと手がピリピリするかもー」みたいな事を言われて、気がついたら「フネさーん、フネさーーん、終わりましたよー」と名前呼ばれてました。

あっという間ァ!

乳腺科のK2先生が「リンパ一個しか取ってないけど、移転なかったから!」とまず教えてくれた。
移転なかったんだ、よかったーーー。と思ったと同時に、手術が長かったら、麻酔の後の副作用的な何かが酷いと聞いてたので、時間を知りたくなり「今何時ですか?」って聞いた。
「7時!」って教えてくれた。

む。予定では9時~5時で、色々麻酔覚ましたりして、まぁ6時頃には病室かな、みたいな事を言ってたので、1時間押し。

麻酔覚めてからの意識はしっかりしてたと思うけど、いかんせん右半身が痛い。

そのまま、病室までベッドでガラガラっと連れてかれて、付き添いの友達(以下サクラちゃん(仮名))の顔も見えた。

病室にベッドを設置するのに手間取ってる様子で「フネさん、テレビ見る?」と看護師さんに聞かれ「いや、この状態ではテレビ見る余裕なさそうです」って答えたら、引っ掛かってたコンセントをぶちぬいてベッド設置してました。

足には、血栓予防の足をモミモミする空気でシュコーシュコーって膨らむ機械が取り付けられ、腕には点滴、そしてこの時は全く気づいてなかったけど、胸と背中に3つのドレーン。

酸素マスクもつけられてたけど、つけてるとスゴい息苦しい感じ(酸素なのに・・・)だったので、結局ほぼ外してた。外してて許された。許してくれてありがとう。
息苦しいっつーか、吐き気ですけどね。

後は、そもそも腰痛持ち気味だったので、体を動かせない事による腰痛。
足を機械に縛られてるから、そりゃもう上半身をずらしたり色々して腰をどうにかしようとするわけですが、上半身はご存知の通り右っかわの前と後ろを掻っ捌かれてるので、非常に痛いのです。

でも動かしたい。なぜなら腰がツライから。

で、左手で右側のベッドの柵を持って引き寄せるようにして無理くり腰をずらす。

足につけてある空気シュコシュコマシーンの足を止めてあるボタンがポンっと外れる。

ピーピーと警報が鳴る。(或いは、私がナースコールを押す)

看護師さんクル。

こういうサイクルが一晩に5回ぐらいは軽く繰り返された記憶があります。

プラスで痛み止めを入れてもらうので一晩に5回ぐらいは看護師さんを呼びました。

そして私は、ほぼほぼ眠れないまま、夜の新宿の夜景も見れないまま(体動かせないからね・・・)、長い長い一夜を過ごしたのでした。


なお、空気シュコシュコマシーンは、事前に読んだブログなどでは外してくれと懇願したら外してくれた、とか書いてあったので、懇願してみましたが、ウチの病院だとダメでした。

アレホント外して欲しかった・・・。


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病院の朝は早い。

6時には起床の音楽が流れる。
8時にご飯。
10時半頃、移動売店が回ってくる。
12時過ぎにご飯。
18時にご飯。

合間合間に検温とか。

そんなスケジュールです。

そして今日(6/11)は、手術の前日ですので、
・センチネルリンパの注射と撮影
・体に線を引いた後(背中のどの辺の肉を胸に持ってくるかとかそういうプランニング。デザインと言ってました)、実際肉をどれぐらい持ってくるのかの計算のためにCT(造影剤ナシ)を撮影

ということをやりました。

それ以外はニコ生(棋士の人狼)見てました。(好きなんです。将棋を見るのが。後、棋士が。)

さて、センチネルリンパ検ですが、まず、乳頭の近くの乳腺からアイソトープ的な放射能な感じの液を注射しますのです。
で、1時間ぐらいだったかな。そんくらい置いて、特殊な機械で撮影すんのです。

そしたら、そのアイソトープ的な液がリンパにぼちぼち到着してるわけですけれども、どのリンパに真っ先に到達するかがわかるんですね。

それを手術中に取って調べて移転がなければシロってことで、リンパ郭清せずに済むってわけです。

で、その注射なんですが、もぉとにかく痛いのだ、とまず病室で看護師に脅された。
ビクビクして検査室に行って待ってると、お兄ちゃんが色々案内してくれて、「ここで待つように」と座らせてくれたので「痛いんですよね?」って聞いたら「いや、そうでもないと思いますよ」と言ってくれた。
いいお兄ちゃん!と思い、順番が来て処置室に入る。
処置室には女性二人がいて、二人がかりで注射するわけですが、注射するまえに「すっごく痛いですが、痛いからといって動いたり暴れたりすると、液の中身が飛び散って全員被曝ということになるので、痛くても暴れるな」的な事を言われる。

高まる緊張。

暴れたくなるほど痛いのか!逃げたほうがいいのか!

で、注射しました。

・・・痛いよ?確かに痛いけど、脅すほどか?
暴れるほどではなかったよ?ガマン出来る範囲だったよ?

っつーことであんまり心配しなくてもいいです。そーでもないです。
脅しすぎです。ビビるからやめてw

その後一旦病室に帰ってから、今度はデザインとCTです。

CTの予約の紙だけ先に貰ってたのですが、先生がデザインに来ないままCT予約の時間が来たのでCT撮りに行っちゃったのですが、あくまで「デザイン後」のCT撮影、とのことでした。デザイン前にCT撮りそうになってて、ちょっとだけヤバかったw

形成の先生が主に私の体の真ん中に紫色の線をぴーっと引いて背中も引いて引いて。

背中の肉をつままれながら、線引いて引いて。

お肉がたくさんあってサーセンって謝ると、「これくらいあったほうがイイのよォ!」と形成K先生。

お気遣い有難うございます!

これが結構時間が掛かって、1時間ぐらい?

その後CT撮影。

その後、乳腺K2先生が、CTの結果(背中の脂肪!)を見つつ、どんくらい切除するかを計算するそうです。
っていうか、したそうです。2時間ぐらい喜々として計算してたそうです。(形成K先生談)

本日の検査は完了。

後は、シャワーを浴びて(明日からしばらく浴びれない)、髪を洗って(明日からしばらく洗えない)、手術に必要な腹帯やワコールの柔らかいブラとか三角巾とかを売店で購入。

そうそう。ここの病院のお風呂は、男女共有で掃除はこまめに行われているようですが、中々清潔感に欠けます。。。
無駄に広かったから、二室ぐらいに分けてリフォームすればいいのに。。(車いすが入れる用と入らない用、とかそんな感じで・・・)
いい病院なのに惜しいです。。。

さて、明日はいよいよだなー、とかやけに美しい夜景を見ながら思っていた気がします。
睡眠導入剤を飲んで、眠くなるまでニコ生(人狼)を見ていた気がします。

右胸にオサラバだなぁ、とちょっとだけ思いましたが、実はさして感傷的にもなりませんでした。

明日は朝の7時50分ぐらいには病室を出て手術室に向かうそうです。

付き添いには、診察にも付き合ってくれた友達が来てくれます。

---
追記
色々忘れてるんですが、書いた後に思い出したこと追記w

・いつも付き添ってくれるお友達はこの日に来てくれて、プリンと海藻サラダを差し入れてくれました。

・麻酔医が来て、何やら誓約書にサイン。グラグラした歯とかがないか、と確認あり。前歯が差し歯なんですぅぅ、よろしくお願いしますぅぅ。と懇願。大丈夫だった。

やっぱこういう記録は旅行記とかと同じで本当はホカホカのうちに書いたほうがいいのだよねぇ。
でも、別ブログ立てるって決心するまでに結構掛かっちゃったからしょーがないね。


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