※被災物の写真、地震・津波・原発事故に関する詳細な記述があります。閲覧の際は十分にお気を付け下さい。

 

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 「災害のはじまり」の展示を見たあとは、東日本大震災と原発事故によってもたらされた被害の展示を見た。撮った写真がボヤけてしまったが、地震発生時刻で止まった時計、津波到達時刻で止まった時計、津波被害を受けた郵便ポストや道路標識などが展示されていた。
 東日本大震災による福島県での犠牲者は1,614人、行方不明者は196人いらっしゃる。「震災関連死」の死者数は2,337人にものぼり、今も増え続けている。
 
 こちらは原発事故が起きたときの様子を記載しているものだ。津波の襲来により全交流電源を喪失したことだけでなく、中央制御機能や発電所内の照明、通信手段も一挙に失われてしまったことが書かれていた。緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)も被災してしまい、用意されていたマニュアル通りの対応ができなかったという。災害が起きないのが一番良いことだが、起きてからでないと分からないことは沢山ある。自然災害は人間の想像を遥かに超えることが起きるものなのだ。
 
 福島県内の地震発生当時の写真や震災直後の写真が展示されていた。福島県では原発事故のインパクトが大きくなってしまい、地震や津波の被害はあまり表に出てこなかったように思う。写真に写っている子どもたちは無事だったのだろうか。
 
 ペシャンコになってしまったランドセルや濡れてしまったと思われる賞状なども展示されていた。教室に文房具などが置きっぱなしの学校を写した写真もあるが、避難指示が出て慌てて避難したことが読み取れる。
 
 地震や津波の被害を受けた思い出の品だろうか。ガレキひとつとっても、被災された方にとっては「思い出の品」のひとつである。
 
 震災前の学校生活の様子の写真も展示されていた。震災前の学校生活の様子を見るとやるせない気持ちになってしまう。楽しかった学校生活は突然経たれてしまった。「さつまいも新聞」や「生き物新聞」を書いた当時の子どもは今、何を思うのだろうか。ランドセルや靴の持ち主は無事なのだろうか。
 
 福島県立小高商業高校が販売していた「だいこんかりんとう」が展示されていた。東日本大震災の影響によりサテライト校として、別の高校で授業を行っていたが、少子化の影響もあり、2017年3月末で閉校となった。
 下部には福島県立双葉高校の写真が載せられており、震災から6年が経った2017年8月になっても、当時のままになっていた。また、2011年3月14日に行われるはずだった合格発表の掲示もそのままになっている。震災当時のままになっている写真から、平穏な日常生活が突然経たれたこと、新入生を迎えることができなくなったことから、未来を描くこともできなくなったことが読み取れる。震災後の双葉高校はサテライト校による授業が再開され、当時在籍していた生徒は別の高校に通って授業を受けていたが、2017年度から現在に至るまで休校となっている。
 
 津波の衝撃で曲がったガードレールの支柱が展示されていた。強い力が加わったことが想像できる。
 
 野生動物に荒らされたふすまと空き缶が展示されていた。無人となった町で野生化した牛などが家に入って…という映像をニュースで見たことがあったが、被害にあったものを見るのは初めてだった。被災地に取り残された動物も、食べるものがなくなって、どうしたら良いか分からなかったのだろう…。
 
 震災被害を受けたのは人間だけではない。動物もまた「被災者」なのだ。原発の警戒区域に指定された地域で保護された動物の飼い主を探すチラシが展示されていた。これもまた貴重な資料だ。保護された動物がいる一方で、保護されることがなかった動物もいるのだろう…。
 
 「家畜の安楽死」についても展示されていた。双葉郡は畜産業が盛んな地域であったが、原発事故で避難指示が出されたことにより、畜産農家は家畜を置いての避難を余儀なくされた。人が消えた土地で暮らす豚や牛などの家畜は餓死や衰弱死などの苦悩から開放するため、「安楽死」によって処分されることになった。「お腹が空く」というのは人間だけでなく、動物にとっても耐え難い苦しみなのだと思う。
 家畜の安楽死の背景には、餓死や衰弱死の苦悩からの開放だけでなく、家畜の野生化という背景もあったという。状況は違うが、太平洋戦争中の東京で行われた「戦時猛獣処分」を思い出す。(空襲で象やライオンなどの猛獣が逃げ出してしまうことをおそれ、殺処分したという経緯がある)
 
 
 福島県の被害状況というと原発事故に関することがメインで、地震や津波被害に関することは初めて知ることが多かった。被災した動物や家畜のことはニュースで見る機会はあったものの、詳細を知るのは初めてであった。家畜の安楽死については、ブログに書いていて非常に辛くなった。
 
 被災前後の学校生活の写真の展示に関しては、ブログに書くにあたり、当該の学校の「その後」を調べた。今回のブログ記事で登場した「小高商業高校」は2017年3月末で閉校となり、「双葉高校」は2024年2月現在も休校である。震災前から進んでいた人口減少や少子化などの影響もあるが、東日本大震災と原発事故が決定的な要因となってしまった。これまでのブログ記事でも書いているが、平穏な日常生活はいつどこで絶たれるか分からないのだ。
 
 それでは次回に続きます!次回の記事で東日本大震災・原子力災害伝承館に関する記事は最後となる予定です!