※被災物の写真、原発事故に関する記述があります。閲覧の際はご注意下さい。

 

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 東日本大震災・原子力災害伝承館の展示は地震・津波被害・原発事故だけでなく、復興に向けての展示も数多く見られた。一通りの展示を見学したあとは伝承館3階のテラスへと足を運んだ。
 3階のテラスに上って初めて海が見えた。そして遠目ではあるが、防潮堤も見える。そして毎回の震災慰霊の旅行記で書いているが、あの日牙をむいたとは思えない穏やかな海が広がっていた。
 今は更地が広がっているが、伝承館周辺では「福島県復興祈念公園」が整備されており、令和7年度(2025年度)中の事業完了を目指して整備が進められている。
 
 アングルを変えて撮影してみた。荒涼とした風景が広がっているが、震災前はどのような姿だったのだろうか。
   

 3階のテラスから海を見たあとは再び屋内に戻り、2階のギャラリーに展示されていた写真展を見学する。新聞社が企画した写真展だったようで 、亡くなった家族に手紙を書く女性、かつて自宅があった場所を訪れる女性、亡くなった兄の遺影の前で遊ぶ男の子の写真などが展示されていた。撮影禁止だったため、文章での紹介とさせて頂くが、大切な人と二度と会えなくなってしまった悲しみが伝わってくる展示だった。

 2階のギャラリーからは津波浸水高の表示が見えた。お恥ずかしながら建物の1階にいたときには気付かなかった。「4m」ってかなり高いのだと感じる。

 順路に沿って階段を降り、1階へ。最後は屋外展示を見た。原子力広報の文字パネル(レプリカ)が展示されており、「原子力正しい理解で豊かなくらし」の標語が掲げられていた。第6話で紹介した「原子力明るい未来のエネルギー」とともに掲げられていたもので、 双葉町が標語を町民に公募し、優秀賞に選ばれたものだった。
 「原子力正しい理解で豊かなくらし」とは言うけれど、原発事故以来、正しい理解どころか誤った知識が広まってしまい、風評被害や差別を受けた人が沢山いた。原発ができて働き口もできたが、事故が起きてしまい、故郷に帰れなくなってしまうとは誰が思っただろうか。標語とは真逆のことが起きてしまい、言葉にならない思いが頭の中を駆け巡る。
 

 パネル展示のそばには、双葉町消防団第9分団で使われていた消防車が展示されていた。第9分団は伝承館の近くにあり、津波が来る際に出動して避難を呼び掛けていたという。その後、津波に襲われて、伝承館の敷地近くで郵便ポストや道路標識と一緒に発見された。乗っていた消防団員は無事だったという。
 
 

 全ての展示を見終わると15:30近くになっていた。帰りは15:40に伝承館を出発するシャトルバスに乗って双葉駅へと戻り、16:00発の特急ひたちで本日の宿泊地である仙台へと向かう予定だ。アンケート用紙などを書いたあと、伝承館近くのバス停まで歩いて行き、シャトルバスに乗った。15:46頃に双葉駅に到着し、列車が来るのを待った。


 これまでにも色々な震災伝承施設を見学してきたが、東日本大震災・原子力災害伝承館の展示は極めてインパクトが大きく、その感想は言葉で言い表せないものだった。

 原発のことに関しては「正解」も「間違い」もないし、他人が決めていいものではないと感じる。確かに、原子力発電のリスクは非常に大きく、今回のような事故が起きて初めて「取り返しのつかないこと」の意味を認識した人も多かっただろう。しかし、福島県浜通りの歴史を紐解いてみると、第一次産業(農業)が主な経済基盤であること、冬の間は他所へ出稼ぎに行かなければ収入が得られなかったという背景があった。そこに原発ができて、1年中、安定して働ける場所ができたのだ。東電や原発の存在はまさに「福の神」だったし、相双地域にとってなくてはならない存在だった。

 都市部の人口増加とエネルギー需要の拡大もあり、「人の役に立てている」と感じていた労働者も多かっただろう。原子力発電に限らず、人のすることに「リスク」はつきものだが、豊かになった暮らしを捨てることもできなかったのだろう。あるブロ友さんは宮城県女川町を訪れたときに、地元の漁師さんから「女川みたいな小さな町は原発がなかったら石巻に合併されてとっくに寂れていた」という話を聞いたという。女川も相双地域と同じく、第一次産業(漁業)が主な経済基盤という特徴がある。漁業も天候等による影響を受けるため、不漁となると収入が少なくなってしまう。そう考えると、安定して収入を得られる原発の存在はものすごく大きい。

 原発を誘致した「背景」を知るとまた違った視点で物事が見えてくる。未曾有の複合災害が伝えたかったことは「誰が悪いというものではない」ということなのだと思う。原発事故に限らず、被災地では様々な「責任」「過失」を争う裁判が繰り広げられたが、災害は誰のせいでもない。その背景には様々な事情や歴史が複雑に絡み合っているのだ。

 双葉駅の仙台方面のホームに特急ひたちが入線してきた。震災から9年の時を経て再開した鉄路に、定刻通りに列車がやって来る。当たり前のことなのだが、ものすごく大きな安心感があった。

 自画自賛になってしまうが、双葉駅に入線した特急ひたちの写真は、今回の旅の中で一番良く撮れた写真だと思っている。写真コンテストなどがあったらどんなタイトルを付けようか。「未来への足音」「復興への道標」「我が道を行く 〜困難を乗り越えて〜」などはどうだろうか?コメントなどありましたらお待ちしております。(誹謗中傷等は受け付けません)

 16:00発の特急ひたち13号に乗って、本日の宿泊地である仙台へと向かった。
 それでは次回に続きます!