第26回 息を吹き返す和泉補佐官によるAMED支配

 

AMEDの三島新理事長が始動した。理事長交代の実態を象徴する出来事があったと聞いたので報告しておく。

 

4月6日の午前11時前、三島新理事長は官邸に総理を訪ねて、着任挨拶をした。和泉補佐官も同席した。新型コロナウイルス感染症対策に話題が及んだ。そこで、総理と三島理事長との間で、話が噛み合わなかったのだ。あるいは盛り上がらなかったともいわれている。

 

総理への着任挨拶は先週セッティングされたはずなので、緊急事態宣言目前という事態までは想定していなかったかもしれないが、総理の危機感と健康医療分野と畑違いの新理事長の一般的な着任挨拶には相当な温度差があったことは容易に想像できる。

 

対して、末松前理事長は、先週、総理への退任挨拶の際、かなりの危機感を持って具体的な提案も含め自分ができることに努力したいと述べた。(前回記事参照)

 

総理は、和泉補佐官が同席していることを意識して、あえて新型コロナウイルス感染症対策に話題を集中させたのではないかとも思える。新理事長の力量や準備状況を推し量ったのだ。「和泉補佐官、君が主導して据えた新理事長について、大丈夫なのか、最適任なのか?」と。

 

危機感を覚えたのか、和泉補佐官は、直ちに戦略室に対して「新理事長に対して政府の累次のコロナ対策について徹底的にレクするように」「ペーパーを見なくても話ができるようにせよ」と指示を出している。これを受けて急遽、6日の勤務時間終了後、戦略室の担当官が三島理事長を訪ねて遅くまで説明の機会を持った。

 

三島理事長におかれては気の毒な面もある。奇しくも6日夕刻にはAMED職員を対象に新任挨拶を行った。もっぱら自らの経歴、これまでの経験、すなわち東工大での研究生活や学長としての東工大改革を中心に話をされた。予め用意したペーパーを手にしていたという。

 

和泉補佐官によるAMED支配は息を吹き返した。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

第25回 末松理事長AMEDを去る

 

3月31日、末松理事長が5年の任期を満了し、職員に見送られてAMEDを後にした。

 

退任にあたり、末松理事長は職員に対し、次のような挨拶をした。

自分は慶応義塾大学医化学教室に戻るが目下の課題は新型コロナウイルス感染症対策である、引き続き自分なりに取り組んでいく、午前中官邸に総理を訪ねて退任の挨拶とともに新型コロナウイルス感染症対策に対して自分ができることに努力したい旨お伝えした、船長は最後に船を下りるものだが自分はやむなく先に下りる等々。

 

そして、感謝の言葉で締めくくる前に、「みなさんには明日から良い仕事をしてほしい」と述べた。深い深い意味、思いが込められたように思えてならない。

 

さらに、記念の花束を手にした末松理事長は、出口に立ち、会場を後にする参加者一人一人に改めて「ありがとう」「お世話になりました」「お元気で」と声をかけたのである。

それは全員が退出するまで続いた。それは挨拶の時間よりも長く続いた。

 

 

大坪次長が健康・医療戦略室を去ることになった。AMED担当室長の任も解かれる。しかし、厚労省審議官としては仕事を続けるのだ。

 

末松理事長退任と大坪次長解任を「喧嘩両成敗」と評するメディアがある。とんでもないことだ。そもそも比べるべきでないし、並べることがおかしい。

末松理事長の退任によりAMEDが失うものは著しく大きい。それは末松理事長が不在となってから、日を追うごとにはっきりと表れるであろう。他方で、大坪次長の残した爪痕はしばらくは消えないであろう。何ら価値が生まれるわけではない、そもそもマイナスを時間をかけてゼロに戻せるかという話である。

 

AMED第2期が始まる。健康・医療戦略室も含めた新体制のもとで、どのような価値を創出できるだろうか。新型コロナウイルス感染症対策もこれからが本番である。まだまだ課題は山積だ。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

 

第24回 iPS予算削減に向けた和泉補佐官の強力な根回し

 

iPS予算削減の企みが進行していた昨年の11月18日、和泉補佐官が健康・医療戦略担当の竹本大臣に説明した際のメモが存在する。

 

――ここから――

・自分(補佐官)と大坪次長で京都まで話し合いに行き、その場で合意した中身なのに後からひっくり返して不平・不満を言っている。そのときは、ストック事業は今後寄付金でまかなうとも言っていた。京大に入る間接経費が減るので、中から突き上げられたのだろう

・端的に言えば、京大に入る額は変えない。ストック事業分8.9憶円の減額分については、経産省からAMEDを通じて6億円(京大に)入れ、実用化に向けた技術開発などをしてもらう。これで総額は変更ない。

・いずれにしても自分(補佐官)としては納得していないが、山中先生がいろんなところで吹聴しており、これを収めなければならないので、「大人の対応」をすることとする。当初はもっと素直な人と思っていたが見込み違いだった。

・同級生ということもあり、山中先生は世耕先生(注:元経産大臣)にも話しているようだが、世耕先生にはこの「落としどころ」を事前に説明して了解してもらっている。世耕先生からも「これで手打ちにしろ」と近々連絡が入るはずだ。

・また、(山中先生は)明日は萩生田大臣にも会うと聞いているが、今日、自分(補佐官)が直接大臣に説明し、了解を得ている。明日はこの「落としどころ」を山中さんに突き付けるはず。

・山中先生は、いろんなところで、特定の官僚によって、という話をしているが、あくまでも合意した話だし、非常に当惑している。

――ここまで――

 

11月18日が重要なタイミングであることは「第2回 同伴と異例の抜擢人事」でも詳しく書いたとおりである。

11月11日、山中教授が日本記者クラブで記者会見し、一方的な予算削減はおかしいと声を上げた。日経新聞が同日付でこれを報じたほか、後追い記事が続々と出た。

日経新聞 iPS備蓄事業、予算減額案 山中伸弥氏「非常に厳しい」(11月17日付)

朝日新聞 京大iPS細胞備蓄事業、国支援打ち切りか 年10億円(11月19日付)

 

こうした裏で、8月9日の「恫喝」に端を発したiPS予算削減の企みは、用意周到に外堀が埋められ、和泉補佐官の強力な根回しでほぼ仕上げを迎えようとしていたのだ。

 

山中先生の「不透明な意思決定プロセス」に異議あり、と上げた声を抑え込もうとした、この企みは、「もう少し勉強したい」と了解しなかった竹本大臣の判断で完結することはなかった。

翌11月19日の閣議後会見で竹本大臣は「一旦約束したことは守るというのが政府の方針だ」と述べたのだ。さらに11月27日の衆議院科学技術イノベーション推進特別委員会でも同様の答弁をした。和泉補佐官が主導した企みは潰えた。

 

「不透明な意思決定プロセス」は明らかになった。正すことはできるか。

 

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

 

第23回 ドン・キホーテが持つ槍

 

末松理事長室に置かれていたドン・キホーテ像をご存じだろうか。

 

(偲ぶ会でも投影されたドン・キホーテ像を持つ早石先生。

naturedigestからお借りした感謝申し上げる。)

 

京都大学名誉教授の早石修先生がお持ちになっていたものだ。早石先生は常々「私はドン・キホーテみたいなものだ」とおっしゃっていたという。自分の信念に従って猪突猛進する、と。そうした姿勢で生化学分野において偉大な功績を挙げられた基礎研究者だった。また多くの優れた弟子を育てたことでも知られる。慶応大学の石村巽教授もその一人だ。石村教授は、スペイン出張の際にこのドン・キホーテ像に出会い、早石先生に贈ったのだ。早石先生のために創設された大阪バイオサイエンス研究所でも、所長室また理事長室を通じ、ずっと手元において大切にされていた。

 

2015年3月に研究所が解散する際、このドン・キホーテ像は行く先をまさに発足しようとしていたAMEDの理事長室に選んだ。ある人が、あえて困難な船出にあって、信念をもって猪突猛進する役目を担おうとしていた末松理事長にこそ相応しい、と。

 

のちに末松理事長を訪れた石村教授は、見覚えのあるドン・キホーテ像が置かれているのを見て目を丸くしたという。末松理事長は慶応大学における石村教授の弟子筋にあたる。弟子が師匠に贈ったドン・キホーテ像がその孫弟子に引き継がれたことになる。不思議である。

 

理事長人事が決した。望む結果にならなかったことは極めて残念だ。無念だ。自分の無力さを痛感する。

 

末松理事長の続投が実現しないことが決まり、第一幕は閉じられようとしている。しかしあくまで第一幕である。すぐに第二幕の幕が上がる。

 

ドン・キホーテ像の長く鋭い槍が目を引く。折れた時のためか、予備がもう1本ある。ドン・キホーテの2本の槍。第二幕、まだ折れていない2本の槍は何を刺すのか。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。