2004年、日本、井筒和幸監督

パッチギやべぇ!!
これは久しぶりに思いっきり笑わされて、泣かされて、考えさせられた映画でした。

高校時代に隣に朝鮮高校があった僕らは、パッチギの時代ほどじゃないけど毎日喧嘩してたり罵り合ってたりしてた。

あの時は、民族とかそういう意識じゃなくて、
「よくわからないけどガンつけられるし殴られるし、こいつらは敵だ!!」
っていう感じで何も考えずにやり合ってた気がする。

映画の後半に、主人公に問いかけられる文句がある。
「お前・・淀川のしじみ食ったことあるか・・」


ぽつりぽつりと次第に激しくなる感情の吐露。
不条理の中、生き延びてくるしかなかった苦しみ。


正直恥ずかしいと思った。
そんなこと、想像したこともなかった。
考えたこともなかった。

劇中何度も出てくる「イムジン河」の存在すら、
自分は気付いてこなかった。



それでもパッチギの世界は暗くならない。

どこのシーンとってもネタ満載!

1960年代後半、
ベトナム戦争とフリーセックスに妙な理屈を捏ねる怪しいアンちゃんと革命を連呼する教師と三里塚闘争とビートルズとレオポンとフォーククルセイダーズがリアルタイムに存在した時代、

パッチギは、その時代の有り余ったエネルギーを余すところなくぶつけまくってくる。

最後までいくつもの物語が重層的に絡み合って、
一人一人が自分の中のイムジン河を目の前に奮闘するストーリーはすげぇ!
しかも文句なしのストレート青春映画!

何よりも沢尻エリカがかわいい!


そんなわけでパッチギという映画、
一押しで御座います。
みんな毎日メシをくわなくては生きていけない。

だから働かなきゃいけないんだけど、ただ働くだけじゃイヤだから、なるべく自分のしたいことや適性を生かして働こうと思う。

職業に貴賎はなくとも、できればやりたいことしたい。

だからだから、
もし一生お付き合いするお相手がいた場合、

私はその人とお互いが刺激し合いながら、
やりたいことを尊重しあって成長していける関係でいたい。

それに家事洗濯子育て等々含めて、分担したいし、
自分が1人で生きていけるだけのことは自分でできる大人でありたい。


しかししかし、
自分がそう考えてたとしても、

お付き合いする相手が完全にこちらの収入を当てにして、
安定した収入を期待していた場合、

私の取るべき行動はいかに??
幸せな家庭とはなんぞや??
働きながら子育て炊事洗濯分担できるのか??

たたかう?
じゅもん?
にげる?
どうぐ?


ぶはっ!
三井住友銀行と大和證券が、経営統合を視野に入れて提携強化するんだそうです。

僕は去年就職活動行ったばかりで良くまだ知らないんですが、これって結構びっくりさんですよね??



それでですね。

ごめんなさい実は私、別に今後の銀行の窓口業務がとか、コングロマリットがどうとかいう話をするためにこの話題をふったんじゃないんです。



聞いて欲しいのは今日のツレ(秋から就活)との会話。



僕「へぇ~、三井住友と大和證券経営統合だってさー」
ツレ「ふーんすごいねー」
僕「これって結構ビックニュースじゃない?あんた人事じゃないよー、下手すると銀行入ったつもりがいつの間にか証券業務になっちゃったりするかもしれないんじゃないの?(半分冗談)」
ツレ「えー、それじゃあ銀行入ったらデパートで売り子さんやるかもしれないの~??」
僕「・・・(絶句)」




1999年、アメリカ、ブレット・ラトナー監督


実は見逃してたこの作品。
ジャッキー・チェンとクリス・タッカーがコンビ組んで誘拐犯をやっつけるストーリー。

コンビからして期待満々で見たんですが普通におもしろい感じ。
ただもう一ひねりほしかったかなー。

クリス・タッカーの高音域のしゃべりとジャッキー・チェンのアクションも意外にマッチしてて軽くスカッとしたいときに見るといいかもしれません。
サントラとかもいけてるんじゃないかな。

LA初上陸のジャッキーがわけもわからず「よぉ、二ガー!」とか言って黒人にしばかれるシーンは笑えました。

われわれは絶対にマネしないよーにしましょう!






1999年、アメリカ、トレイ・パーカー監督


コロラド州の山間の小さな街に住む4人のクソ生意気な子供たちの物語。
4人組がカナダのR指定コメディ映画で覚えたスラングを使いまくって、母親たちがカナダをバッシング。なんとアメリカ・カナダ全面戦争まで発展するというぶっ飛んだストーリー。

冒頭から子供たちが連発するスラングの嵐が圧倒的。

みんな同じ顔に見えるカナダ人とかいきなりエロサイトで出てくるドイツ人とか、クリントンっぽいキャラも出てくるし、スーパーサイヤ人のパロディとかとにかくすべてをコケにしまくって進む映画に図らずとも爆笑してしまいました。
しかもなぜか本格オペラ仕立て。

ところどころ差別発言が気になったけど、良識がある人が見るぶんには問題ないんじゃないでしょうか。

むしろ自分的に怖いのは、ある意味ではこの映画に対して妙に理解を示す人かも。
「華氏911」とかでもあったけど、不快感を示す人を批判することで必要以上にこの映画を正当化するのならそれも違う気がする。


しかし、フセインもこの映画みたら浮かばれないだろうな~(死んでないけど)。

テレビ版では一話完結でやってて、その時もケニーは毎回死んでたみたいですね。でもいい味出てました。
村上 春樹 海辺のカフカ (上)
新潮社、2002年


「ねこの話らしい」
「15歳の少年の話らしい」
「図書館のはなしらしい」


色んなキャッチフレーズで話題になった「海辺のカフカ」。
読む角度で見方も変わってくる??


きっと、村上春樹の世界ではいつだって確固たる秩序みたいなものがあって、登場人物はそれに従って動く。

だからかどうかわからないけど、少年カフカも、佐伯さんも、大島さんも、ナカタさんも、ホシノさんも、対極に位置するジョニー・ウォーカーだって奇妙な同質性があるんじゃないかな。

みんな「普通の人」になる前の一番みずみずしい、だけど危なっかしい何かにあふれている。

死は必ずしも生の対極にはなくて、気がつけはいつも傍に同居しているわけで、異界である「世界の終わり」もこの作品も森の中もきっとそんなに遠いところではない。

深読みせずに素直に読むのが一番楽しめると思います。
メタファーは、この作品を心地よくトッピングするけど実はきっと結構シンプル。



とりあえず、僕が一番うらやましかったのは、ナカタさんのねことお話ができるところ。
僕もねこにイロイロ教わりたいです。


次は何を読もうかな。
1967年、フランス/イタリア、ジャン=リュック・ゴダール

ヌーヴェル・バーグもよく知らないでなんとなく手に取ったゴダール。
実は無教養な僕にとってこれが彼の映画の一作目でした。

白、赤、青、黄、、色の洪水。南仏。愛。そして爆発。
映画でしかありえない設定と表現。

どこを切り取っても退屈と緊迫が混在するシーン。


映画とは?

サミュエル・フラーが応える。

“愛、憎しみ、行動、暴力、死、つまり感動だ。”
"Love, Pain, Action, Violence, Death, one word, Emotion"


アンナ・カリーナが唄う。

“やさしくて 残酷で
 現実のようで 超現実的
 恐ろしくて 滑稽
 夜のようで 昼のよう
 普通で 異常
 ハンサム” 
“気狂いピエロ!”


青いペンキで顔を塗ったベルモンドが赤と黄のダイナマイトを巻きつけて嘆く。

“バカだ。こんな死が・・”



“Oui, Oui, Ce la Vie”




圧巻でした。












部屋の中ではストーブにかけられたやかんが音を立て、
外ではしんしんと雪が積もる。

薄暗い灯がともる部屋で僕はあてどもなく明日がくるのを待ってる。

そんな夜は、メコンの流れに想いを馳せ、
熱いリキュ-ルを一口。

シャワーで濡れた髪が乾くまでカフカを読んで一日を終える。

そんなぜいたくな夜。
2005年、イギリス?、アンドリュー・ロイド=ウェバー監督


数日前に書いた感想が「あんまりだよ!」というご指摘を受けたのでなんだかもう一度かいちゃえ。うふふ。

誤解なきように先に宣言しときますと。
感動しましたよ!僕。

歌いたいのは感動したからです。きっと健全な反応です。

静かに泣きたくなりました。誰かを求めたくなりました。
そんな映画でした。

見終わって隣にモコモコした小動物とかいるといい感じだと思います。
もちろん恋人でも代役可。


誰かがこの映画だけ見るとクリスティーヌはふしだらなムスメに見えるんだけど本当は違うんだよ、っていってました。

父の愛は山よりも高し。海よりも深し。

シャンデリアの落ちるシーンは筆舌に尽くしがたいものがあります。

卒論終わって三夜連続でパーティ→オールのコンボ。

おかげで財布がすっからかんです。
頭の中身もきれいにすっからかん。

全然関係ないんですけど、僕はこの季節が好きです。
特に朝の10時位のくだり電車。

ピリッと澄んだ空気の緊張感と電車のお尻から温められるくつろぎが交わって、なんとなく高校時代によく聞いてたラルクのthe fourth avenue cafeとか口ずさんじゃえばなんとなくセンチメンタル。

中央線だと西荻窪とかあたりから高架線に乗るんですが、天気のいい日は富士山が見えるんですよ。


一昨日の夜、シャッターのおりた新宿駅で4年来の友達ととめどなく語ってました。
彼女の魅力は永遠の少女とオトナの色気が同居するアンバランス。

「言葉の壁って大きいと思うの。だからこそ私は外国人と付き合ってるのかも。結局怖いんだよね、心の中を奥まで覗き込まれるのが。英語でコミュニケーションとってるときってどうしたって限られた語彙っていう枠の中で自分の気持ちを表現せざるを得ないでしょ。でも彼からすれば、それは母国語なわけで、彼は彼の言葉で彼の気持ちをとてもとても強く表現する。でも彼の言葉は、フィルターを通して、いつだってまるでコーヒーメーカーで濾されたみたいにすっきりしてしまう。私の言葉はそのまま相手に突き刺さる。実際の私は、あらかじめはめられた枠の中で安心して言葉遊びをしてるだけなのにね。」


アメリカ人との恋の終わりを語る彼女の横顔はひどく大人びていたわけで。
真夜中の午前二時、僕らはいつまでもコンクリートに足を投げ出して煙草を吹かしていました。