地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久 -517ページ目

お役所

昔のこと

 

息子が小学生の頃だったと思います。

夏休みの宿題だったかどうか忘れましたが・・・。

 

息子 「お父さん、お役所って、どういうとこなの? 何しているとこなの?」

 

私 「何のこと? 宿題かァ?」

 

私もかつてはお役所に勤めていたのですが、唐突の質問に答えられず、辞書で調べてみました。

 

私 「辞書には”役人が勤務して公務を取り扱う所”って書いてあるよ」

 

息子 「”公務”って何?」

 

私  「"おおやけの仕事"って書いてあるよ」

 

息子 「”おおやけ”って何?」

 

 私 「辞書には、”役所”って書いてあるな・・・」

(笑 逆戻りかぁ)

 

結局、辞書には”堂々巡り”をするような答えしか出ていませんでした。

 

まさか、息子にお役所とは”堂々巡り”をする所とは

答えるわけにいきませんので(笑)

 

車に乗せて直接、秦野市役所に向かいました。

 

ここが、「住民票や戸籍を取り扱う所」「保育園に入ったとき、お世話になった所だよ」など、一つひとつのフロアーで説明しました。

 

しかし、一緒に秦野市役所を出るとき、

息子は納得がいかなかった顔をしていました。

咄嗟に、私はとって付けたように、息子に言いました。

 

「お役所って”市民が役立つ所”というのを略して、市役所って言うんだよ」

 

息子

「そうなんだ。」と、どうやら、ようやく納得したようでした。

 

こんなあどけない会話をした息子も今は大学生です。

無所属であること

無所属から政党への渡り

地方議会の場合、県議会や指定都市などは、議院内閣制ではないものの、殆どの方が政党に属しています。一方、市町村議会は,一部を除き、無所属で会派ごとに活動しています。

しかし、問題は、2009年以前の戦後の地方政治をみると、社会党(社民党)や公明党、共産党などを除き、候補者の多くの方々は、ほぼ無所属として市町村民に信託を受け、その実、政党に組しているケースが多かったのではないでしょうか。

分りやすく言えば、”使用前無所属・使用後自民党”なども一例です。

中央とのパイプという集権的政治というか、「蜘蛛の巣」政治みないなものが存在しています。政党が地方議会を支配する植民地的集権の典型的なパターンです。

「地方の時代」という言葉は、昨日今日、始まったものではありません。私が公務員の時も、叫ばれていました。文化財保護条例の策定準備をする前、「地方の時代と文化のあり方」というテーマで、当時、東京大学教授・奥平康弘氏や新潟大学教授・甘粕健氏、立教大学教授・林英夫氏などをお迎えして世田谷区主催で、シンポジウムを開催しました。

また、地方分権は、神奈川県では長洲一二氏が県知事時代に提唱し、2000年の地方分権一括法の流れが作られました。

地方自治分権と並行して地方政治の分権も双方向でなければなりません。政治こそが中央の政党に従属していては、地方自治体はがんじがらめになります。確かにパイプを作っていかなけらば何もできないという方もいるかもしれません。


しかし、それはヒモ付き交付金と同じ考え方です。従属ではなく、主張や思想は対等互恵と独立の関係を作っていかなければ、地方分権を阻害する要因を作ってしまう可能性もでてきます。

花へのおもひ・柳翠先生のこと

日本いけばな芸術協会名誉特別会員の芳月流・松下柳翠先生の「いけばな写真集」の編集をさせていただいたのは、今から6年前でしょうか。あまり花心がない私は、お弟子さんたちの導きで、お話をさせていただきました。


先生の一点一点を拝見しながら、その作品群の瑞々しさに驚きました。創造性というか前衛的で三次元的な絵画を見るようなイメージでしょうか。こんな表現では足りません。


それ以後、駅や公共施設に生けられている花が気になってしまうくらい、構図とか花色の色調バランスに目を奪われます。


それから、一時、花ばかりを追いかけて、どういう構図で写真を撮ればいいのか夢中になったことがあります。今は殆どご無沙汰ですが・・・。私のホームページのフォトライブラリーにありますが、以前、ホタルブクロを撮影しました。


今までの花の中で、一番気にいっているものです。ディテールを意識して、かつしっかりとした構図に仕上がっていると自負しています(笑) 先生の影響などいうと怒られてしまうかもしれませんね。


11日夜、突然、先生から電話を頂きました。「貴方、政治の世界に入るんですよね。私より30以上も若いんだから、性根をすえて頑張らなきゃね。私も協力するから・・・」と励まされました。(感謝!)


不思議と、この方とお話しすると、いつも魔力にかかったように、邪気がはらわれる思いです。穏やかな気持ちになります。きっと、花を生けておられる方々も、こんな気持ちになるんでしょうね。


先生にはいつまでもお元気でいて欲しいですね。

ひとりごと

無所属であること


2009年の政権交代は劇的でした。多くの国民は歓喜しました。しかし、数か月も経たずして、政権そのもの主体が型崩れして、いつの間にかトーンダウンしてしまいました。


マニフェストの変節、政策の方向転換。それでも、中にはまだまだ、政権が変わって1~2年だからと、

大目に見て、忍耐強くいる人もいます。確かに消えた年金などの一定の回復など、多少の評価もあるかもしれません。しかし、欧米の政権交代でも、こんなにも遅々として決断力のない政権はないでしょう。60年にわたって政権交代が行われなかった所以でしょうか? 原発や震災は、全く理由になりません。「災い転じて福となす」とは、よく言ったものです。現状は慌てふためいているだけです。こんな状況で、かと言って、自民党の支持率も芳しくなく、多くの国民は脱力感にあり、世論調査などでは、「既成政党にノン!」いまや無党派層の占める割合が60㌫~70㌫です。

いまだかつて経験をしたことのない混迷でなく、まさしく政治の底抜け状態です。

打開の道は、風、頼みじゃなくて、地方から組織された無党派集団にあると思います。従来、政党政治=議院内閣制だから、無党派は無理というのが常識的な考えでした。しかし震災をきっかけに、東北でも、九州でも多くの県知事さん、市町村長さん、続々とご自分の考えで物を言うようになりました。明確に2009年政権交代以後と、3.11を経験して、ドラスティックに政治は変わろうとしています。政党というのはカール・マルクス流に言えば、「国家の発展形成過程で、やがて消滅する運命を辿る」のかもしれませんが、これまで私たちは中央政党という,一種の共同幻想にすがっていたのかもしれません。


中東やアフリカの情勢が、このところ伝わってきていませんが、政党に頼らない民衆革命は世界を驚かせました。日本だってありました。地方(じかた)商業資本に支えられた草莽志士や草の根の力、脱藩浪士などが国を動かしました。明治以後も、二大潮流の旧薩摩・長州などの大きな政治に飽きたたらない、地方の政治集団が形成されていきました。


戦後日本の地方政治は、皮肉にも中央政党の植民地として、その繁栄を遂げてきました。しかし今や、行政の地方分権、内部分権だけでなく、政治の地方分権、内部分権をも急がなければなりません。政党がダメということではなく、民意を汲んでいない既成政党に振り向かせる、強い受け皿が必要だと思います。

安心・安全という文字

☆4月の統一地方選挙で賑わった文字~安心・安全という言葉

 

印刷企画営業という仕事柄、手元に十数人の政治家のリーフがあります。一番多かったのは「安心・安全」という「文字」です。

私が関わった政治家のリーフにはありませんが・・・。

 

”安心・安全な未来の町づくり”

”安心・安全、災害に強い街つくり”

”防災意識の向上で、安心・安全な街づくり”

 ざっとこんな内容です。

 

私が気がかりなのは、政治家のリーフには「枕詞」(まくらことば)のように、この文字が安易に繰り返されて使用されることです。

 

私たちの身の回りが安心・安全であることに越したことはありません。しかし、中味なく、繰り返されて、見せられ、聞かされると辟易することもあります。


自然災害に関わらず、何度同じことを繰り返したら・・・、あと何人の命が失われたら、この国の安心・安全が確保されるのだろうかと。今、一人の尊い命を救うためには、単純な「絆」や自助・共助だけでは括れない、現実的な対策が求められているように思います。


現実的な対応とは、災害軽減・減災という公助の役割と、しっかりとした政治の意思だと思います。はなから自然災害を防ぐことはできません。しかし、公助の意思で、被災を和らげることは可能です。被災後の手当て、非難訓練という防災訓練だけに躍起になっていてはなりません。

 

ある著書の中で(忘れました)、日本人の精神構造の例えということで、「日本人は、襲って来る熊(車)から、子どもを守るため、反対の向きになって、つまり背を向けて子どもを抱え込んで守る。

 

欧米人は熊(車)の前に立ちはだかって子どもを守る」という内容のことが書いてありました。

 

日本人は、しゃがみこんで守り抜こうという姿勢で防御、欧米人は、攻撃が最大の防御という思想で貫かれているようです。この場合、どちらが良いとも判断できませんが、少なくても、防災は、後ろ向きに立ちすくんでいてはならないと思います。

 

そろそろ、防災の定義や計画に災害軽減・減災のための不断のルールや決まり事のテーマがあっても良いのではないと考えます。