ひとりごと | 地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久

ひとりごと

無所属であること


2009年の政権交代は劇的でした。多くの国民は歓喜しました。しかし、数か月も経たずして、政権そのもの主体が型崩れして、いつの間にかトーンダウンしてしまいました。


マニフェストの変節、政策の方向転換。それでも、中にはまだまだ、政権が変わって1~2年だからと、

大目に見て、忍耐強くいる人もいます。確かに消えた年金などの一定の回復など、多少の評価もあるかもしれません。しかし、欧米の政権交代でも、こんなにも遅々として決断力のない政権はないでしょう。60年にわたって政権交代が行われなかった所以でしょうか? 原発や震災は、全く理由になりません。「災い転じて福となす」とは、よく言ったものです。現状は慌てふためいているだけです。こんな状況で、かと言って、自民党の支持率も芳しくなく、多くの国民は脱力感にあり、世論調査などでは、「既成政党にノン!」いまや無党派層の占める割合が60㌫~70㌫です。

いまだかつて経験をしたことのない混迷でなく、まさしく政治の底抜け状態です。

打開の道は、風、頼みじゃなくて、地方から組織された無党派集団にあると思います。従来、政党政治=議院内閣制だから、無党派は無理というのが常識的な考えでした。しかし震災をきっかけに、東北でも、九州でも多くの県知事さん、市町村長さん、続々とご自分の考えで物を言うようになりました。明確に2009年政権交代以後と、3.11を経験して、ドラスティックに政治は変わろうとしています。政党というのはカール・マルクス流に言えば、「国家の発展形成過程で、やがて消滅する運命を辿る」のかもしれませんが、これまで私たちは中央政党という,一種の共同幻想にすがっていたのかもしれません。


中東やアフリカの情勢が、このところ伝わってきていませんが、政党に頼らない民衆革命は世界を驚かせました。日本だってありました。地方(じかた)商業資本に支えられた草莽志士や草の根の力、脱藩浪士などが国を動かしました。明治以後も、二大潮流の旧薩摩・長州などの大きな政治に飽きたたらない、地方の政治集団が形成されていきました。


戦後日本の地方政治は、皮肉にも中央政党の植民地として、その繁栄を遂げてきました。しかし今や、行政の地方分権、内部分権だけでなく、政治の地方分権、内部分権をも急がなければなりません。政党がダメということではなく、民意を汲んでいない既成政党に振り向かせる、強い受け皿が必要だと思います。