私の場合、体調が悪い時は無理はしない。
無理をしてその後どうなるかは身をもって分かっているので。
ズル遅刻の常連で、しょっちゅう電車が遅延する人がいる。
いまどき調べりゃすぐ分かるのにと思うのだが、懲りない。
こういうのには、皆腹の中で呆れている。
ただ、この手のも一種の病気なので、きっと治らないだろう。
さて、ズル休みをしたいとは思わないが、どの程度がズルなのか。
そういった観点から、この問題を考えてみたい。
ステップ1では「ズル休みをする意味」を考えます。
気力の回復のためというのは、確かに周りから見ればズルかも。
でも、どうにもならないのなら、よほどのことがなければ意味付けは必要かも。
ステップ2では、上司などに休む旨を伝えます。
確かに電話だとは思う。LINEやメールで伝えるのは、心証が悪い。
ただ、自身ではこれへの言い訳はある。
脳が疲れすぎている時は、電話ができないので。
この後遺症はなかなか治らくて、時々不便である。
ステップ3では、休む環境を整えます。
SNSで浮かれているのを投稿するのは、愚の骨頂である。
遊びに行ってるのを見せるのは、本当にただのズルである。
気力を回復させたり、体調を整えたりするには、息抜きの散歩程度が限度だろう。
家でおとなしくし、メールすら断ってオフラインにするのは当然である。
ステップ4では、リスタートするような意識で、翌日の仕事に向き合います。
そのために、グレーゾーンのズルをするのだから。
翌日か翌々日か、あるいは1週間後になるかは人によるが。
明らかなズルは、顰蹙を買って自滅する。一方でほどよいズルは必要。
ズルはダメと思い込みすぎないのが、脳に優しいと思っている。