3/9㈭
母の腰骨折で、オペ出来る病院に紹介状持って受診。
母が痛みでほとんど歩けないので、車椅子に乗せるのに玄関に車横付けしていいかわからず、初めて行く病院なので、駐車場も混まないか❓建物から駐車場までどのくらいの距離かわからず、誰か一緒行ってくれたら玄関で母を降ろせると思いました。
数日前に長女に声かけるも
「行ってあげたいと思うけど、朝起きられるかわからない。」
ディズニー行くときは朝早く起きられるので、そこまでやってあげようという気持ちがないのだと、子供は当てにできないと思いました。
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ちなみに、長女今仕事していません。
前日夜に叔母から電話あり、叔母も来るといいました。
早めにおいでと叔母に言われ、叔母に玄関に車横付け出来るか、先に行って見てと頼みました。
叔母が来るので、どちらでもいい、長女が行ってあげたいと思うならでいいと長女に話すと、当日寝ていました💧
当日の朝家を出て、実家に着き、母を乗せて出発する時に叔母に電話すると、「早いね、じゃあ、おばちゃんも出るね。」
と叔母言ったけど、結局私達の方が、先に着いた💧
玄関に車椅子を取りに行き、母を乗せました。
その後、叔母到着。
地元なので、よく来ていたそうですが、病院移転して、叔母は迷ったそうです💧
「ナビ使えないのに、よく来れたね。」と叔母を褒めました。
予約していても、1時間以上待ちました。
母の診察時。
若い医師。CT画像みて、
医師「前の病院で何か言われましたか❓」
母「何も。」
私が説明しました。
医師は私と話した方が話が早いと思ったのか、医師が私にこっそり聞いてきました。
だけど、おしっこは出てるかなど本人でないとわからないので、私が母にまた聞いて、医師も母に聞くといった感じ。
お尻のところを私が医師伝えると褥瘡になっているとの事でした。
医師「家に帰っても自分でやるのも大変だろうから、入院して、オペの日取りはこれから決めましょう。」
私「良かったね❗ベッド空いてたんだね❗」
叔母も泣いて喜びました。
母もすぐに入院したいと言っていたのに、手術が恐くて黙りモード💧
医師「お母さんあまり言わないですが、激痛だと思いますよ。」
人前ではあまり言わないのかも❓
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このときに付き添った時は、私がコロナにかかった時みたいに身体がだる〜くなるくらい、四六時中痛いと言っていました。
手術前入院となり、その日のうちに沢山の検査。
お昼もゆっくり食べる時間ないくらい💦
MRI撮ったら、実際5箇所ぐらい折れていたので、それは痛かったでしょう💧
一般病棟は空いてないので、救急病棟に入院。
携帯電話使えないと言われました。
母と別れるときに、
「今日は頑張った。」
とショボショボな感じで子供のような母。
実家に寄り、父の様子見。
半身麻痺の父。
ヘルパーさんが来るので、食事の心配ないと。
転ばないようにと念をおして、自宅に帰りました。
私も朝8時前に家を出て、母の車椅子押して沢山の検査に付添い、その待ち時間に沢山の書類を書きました。
帰りの車中、疲れているはずなに、気持ち的にでしょう、母からの電話がしばらくは来ないと思うと身体が軽くなる感じがしました。
開放感ってやつですかね。
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ここのところ、土日も毎週のように実家に行きました。
来て来て攻撃から開放されると思うと、母との重たい太い鎖が軽くなる感じのイメージです。
私には、障害者の兄がいます。
今は、施設に入っていますが、母からは子供の頃からの頼りにされて来たと思います。
とある障害者のきょうだいの方のブログを見たときに
「見えない鎖」
という言葉を目にしました。
親の期待もあり、自分が支えないとっていう見えない鎖をきょうだいは持っていると。
私には、両親を共に支え合えるきょうだいはいません。
30代頃から覚悟して来ましたが、私一人で、介護人3人を支える時が来ています。
今回感じましたが、子供は子供。
私が母を支えて来たようには、支えにはなってくれません。
成人した子供も就職や再就職で岐路に立っているので、親がまだ手をかけてあげないとなりません。
中学高校の次男次女は来月からW受験生❗
色々ありましたが、私が倒れない限りは前進あるのみ❗