世界を見たいように見る~とかって、
でもやっぱよくて
例えば何かに挑戦したいときとか
行動したいときとかは、大いにこの感覚使えると思う。
わたし、いけるかもしれない
やれんじゃないかな
という、見方。
こういう時に、無駄なプライドがあると
失敗したくない、傷つきたくない
恥ずかしい思いをしたくない
が働き
なんだかんだ、現実はこう
世間はこう
社会ってこうよね、
というものの見方を持ち出して
やらない
やれない
ということになりがち・・・・・
(これは今までの私。。。)
確かに、社会も現実も
「見ない」わけにいかない。
けど、無視してなぎ倒していけるくらいの感覚持ちだと
それはそれでいいような、、、
これは天才の変人タイプか、これもうらやましき!
そうか、無駄なプライド持たなくてやれてきた人が
うらやましい!って思ってたけど
それは、コレ、だな。
天才の変人タイプなんだな。
(天然のバカも同じ。結局バカも天才も紙一重。あ、スラムダンクの桜木花道がこれだね。笑。ルカワもか!笑)
ただ、突き進んでいける、って、ほんとうらやましい。
で、これはほんとーにほんの一部の天才だと思うから。
ほとんどの人たち、あたしたちは
凡人だからさ。
一度は
無駄なプライド
ぜったい持つと思う。
傷つかないための、だったり
認めてもらいための、だったり
戦うための、だったり。
私、自己肯定感が低いから、プライドなんてありません~
なんてわけでもないと思う。
自己肯定感が低い=これ以上傷つきたくないから、自分はダメな人間ということにしてる
だけだと思うから
「傷つきたくない」は一緒。
プライドがないなら
傷つくこともないんだよ。
だって
プライドないなら
どんだけ否定されようが怒られようが
傷つくわけないんだもん。
傷つくってことは、無駄なプライドがある、ってこと。
否定されるわけない
怒られるわけない
って奥底では思ってるから
傷ついたりショック受けるんだもんね。
自分がほんとーーーに
底辺です!
価値のないオンナです!
と思っているのなら
否定されても→フツーのこと
怒られても→フツーのこと
って認識なのよね。(それが何か?って感じ)
自分に少しでも価値がある
自分は尊重されるべき人間だ
という、変な(無駄な)プライド
があるから
いちいち、傷ついたり
落ち込んだり
怒ったり(←逆ギレね。私に恥をかかせたオマエ許せん!というやつ)
恥ずかしくて動けなかったり
してしまうんだろな。
で、凡人のあたしたちは
この感覚、みんな持ってんじゃないかな。
天才じゃないからこそ
プライド持つしかなかったのかもねーーー。なんとも苦い話!
ただ、もちろん、
プライドの必要さもあるよ!
正しいプライドの持ち方、がある。
(自己効力感、みたいなものかな。私にはできるはずだ、と思う感覚。
これは少しずつ行動していくことで培われるもだろうか。)
あくまでいらないのは、無駄なプライド。
簡単に言うと
無駄なプライドとはつまり、
傷つかないためのやらない言い訳
ということになるのかなぁ。。。
だから、この無駄なプライドを
いかに認識して
すり潰していくかが大事
なんだな、って思っている。今日この頃です。