2024年5月4日
京都府笠置町にある笠置寺の続きです
いよいよ、巨石磨崖仏エリアへ潜入です
比較する物が無いから、巨石のイメージがわかんないよね?
とりあえず、かなり大きいです。
この石は、気球以上はあると思います。
十三重石塔
昔に存在した木造十三重塔の跡に建てられています。
鎌倉時代末から室町時代の建立で重要文化財です。
十三重石塔と比べたら、巨石はこんな感じ
笠置石と呼ばれます。
創建については諸説あって、1つは「笠置寺縁起」では、白鳳11年(682年)、大海人皇子(天武天皇)の創建とされています。
大友皇子(弘文天皇)は、馬に乗って鹿狩りをしていた。
笠置山中の断崖絶壁で立ち往生。
鹿は断崖を越えて逃げ去り、自ら乗る馬は断崖で動きが取れない。
そこで山の神に祈り、「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒仏の像を刻みましょう」と誓願し助かる。
大友皇子は、次に来る時の目印として自分の笠をその場に置いて行く。
これが笠置の地名の起こりで、もう1つの創建の話。
弥勒磨崖仏
天智天皇3年(664年)、大友皇子が再び笠置山を訪れ誓願通り崖に弥勒の像を刻もうとする。
絶壁で思うに任せない。
そこへ天人が現れ弥勒像を刻んだという。
高さ15mの巨石に弥勒菩薩が刻まれています。
弥勒さんの姿が良くわからないです
わかった人は、電話で教えて
おっと
元弘の乱で焼けて石の表面が剥落したとかで特殊カメラでしか姿が見えないらしい
正月堂
天平勝宝4年(752年)に東大寺の実忠により建立。
御本尊の弥勒磨崖仏の礼堂となってます。
慶安年間(1648年~1652年)に津藩主・藤堂高次(藤堂高虎の嫡男)により再建。
東大寺二月堂で行われるお水取りの発祥の地となってます
内陣には、特殊カメラで撮影された弥勒磨崖仏の写真が掲げられてます。
電話で聞かんでも見えました
手書きの由緒書きが珍しい
続いて、赤い線の方向から全て巡りますよ~
雲海が見れるそうですよ
正月堂は、懸造となってました
今では、こんなヒッソリした東大寺は見れないよブログどうぞ
続く