恵比寿物語 -2ページ目

うずくまる

彼女がうちの店に面接に来た日、

彼女は入口で段差でおもいっきりこけて

しばらくの間うずくまっていた。


足をひょこひょこさせながら店にはいってきた彼女に

僕は奥の空いている席で話をきいた。


面接としてはありきたりな質問をいくつかしただけだったが、

はきはきとした受け答えと、なにより笑顔が良かった。

あんな笑顔を向けられたら、

クレームをつけに来た客も 思わず許してしまうような、

野に咲く小さな花が、ぽんと開くような

そんな笑顔だった。


そんなに広さのあるカフェではないけれど、

彼女はちょこちょこと良く動いた。

店の中に迷い込んできた小さな蝶が舞うように、

各テーブルを拭いたり、注文を聞いたりした。

その愛らしさのおかげだろうか、最近ではこんな店には来ないような

老夫婦なども来店するようになった。


1か月ほどたっただろうか、彼女がまた派手にこけた。

あの面接の日から

彼女のひょこひょこ歩きは続いていて、

そろそろ治る頃だというのにまたこけた。


そうしてうずくまる。

お地蔵さんのように固く、丸く、ピクリともしない数十秒。

そして何事もなかったかのようにまたたちあがって

笑顔ですみませんとあやまった。



あぁ そういうことだったのか。



なんで僕は、気付いてあげられなかったんだろう。

そんなことをしなくてもよかったのに。


ちょっといい? と彼女を店の奥に呼ぶ。

ひょこひょこしながらやってきた彼女は開口一番

「さっきこけちゃってすみませんでした。」

と早口で言った。

むりやりにつくった笑顔には、

不安の色がにじみ出ていた。


僕は一呼吸置いて 

「じつはね、僕の妹がちょっとした障害をかかえていてね

でも一生懸命に頑張っている姿を見ると

本当に自分も頑張らなきゃいけないと思うんだよね。」

と言った。


彼女は膝が崩れるように、

そしてまたうずくまった。


今度僕の妹にあってくれないかな、

きっと勇気がわくと思うんだ。


そういって彼女の肩に手を置く。

うずくまって小さくなった彼女は

小さく揺れている。



指輪

鈍器で殴られたような痛みで

うううとうずくまる。

殴られたのではなくて

自分でぶつけたのだけれど。


押し入れの中身を全部出して

中を掃除しようともぐりこんだところ

あの指輪を発見したのだ。


あまりの衝撃に中腰にしていた体を勢いよく持ち上げたら

後頭部を低い天井にぶつけてしまった。


うわぁ、ここにあったんだ。

ジンジンする頭をさすりながら、

あれから2年かぁと思いだす。


その日はなぜかイライラしていた。

髪の毛を短く切り過ぎた。

ヒールでこけて足を捻った。

録画ができていなかった。


どれも決定的ではないけれど、

とにかくイライラしていた。


その晩のことだ。

彼と二人で夕御飯を済ませたあと

ふと彼の手元を見ると、

おそろいでつけているはずの

指輪をしていない。


どうしたの?と聞くと

いや、実はなくしたみたいなんだ。

とさらっと言った。


とつぜん糸が切れた。

私はそこから

なんで?いつから? どこで?

と詰め寄り、だいたいあなたはいつもそうじゃない

なんでそんなに平気なの?

と土石流のように攻め立てた。


いつもおとなしいはずの私が

ここまで言うのは始めての事だ。

しかし彼は何処か遠くを見るような目のまま

何も言い返さない。


私は 彼の心が少しずつ私から離れていっていたのを

気付いていた。

時間にルーズになり、

約束も破るようになり、

連絡が付かない日が度々あった。


でも、その理由を聞くことができなかった。

ただ、受け入れるだけだった。

私は彼と揉めるいう事が、一切できなかった。


指輪をなくしたとサラリと言われた瞬間

私は彼をあきらめた。

あきらめた途端、今まで抑えていた感情が

溢れだした。


別れましょうと言ったのは私だ。

彼から別れを告げられるくらいなら

私から、と思った。



なんでその指輪がここにあるのだろうか。

彼はこの押し入れを開けるはずがないのに。


彼は私と別れたかったのだろうか?

私と別れたいと思って指輪を放った先が

私の押し入れだとしたら

彼は迷っていたのだろうか。

それとも・・・。


「おーい 入るよー。」

と言う声とともに、玄関の開く音がした。

私は指輪を急いでポケットにしまい、

押し入れから這い出した。


「なにやってんの?」

「押し入れの掃除。」

「引っ越しはさ来週だよ。」

「うーん、でもまぁ準備ぐらいしておこうかなと思って。」


相変わらずだねとあの人が笑いながら言う。

そうしてその笑顔は満面に広がった。

「そう言えば、さっき店から電話があって、

結婚指輪出来上がったって、取りに行こうよ。」


私はそうねと答えながら、ポケットのなかに再び手を入れる。

そうして、所在投げにいる指輪をどうしたものやらともてあそんでいる。

オレンジとバラ

窓枠に小人が腰かけている。

「僕のおとうさんはバラの棘が刺さって死んだんだ。」

足をぶらぶらしながら小人は言う。

私は食器を洗いながら話半分で聞いている。


「バラの棘のせいで敗血症になったんだ。」

その言葉に、私は振り返る。

敗血症とは随分リアルな病名だ。

小人は振り返った私を見ると、ぱぁっと顔が明るくなった。


またいつもの嘘か、と私は洗いものに戻る。


最後の皿を洗い終えて、きゅっと蛇口を占め、

腰に巻いていたエプロンで手をふいた後

「どうして今日もうちにきたの?」

と小人に聞いてみる。


「別にどこでもよかったんだけどね。たまたまドアが開いていたから。」

「あら、可愛くない答えね。」

そう言って小人のおでこを小突いた。


小人は小突かれた頭をかきながら

最近僕の方には遊びに来てくれないねと言った。


「私あなたのところに遊びに行った事なんてあったっけ。」

「あったよ。だから僕だってここに来れたんじゃないか。」


冷蔵庫からジュースを取り出して、グラスに注ぐ。

鮮やかなオレンジ色がグラスを満たしていく。


あ、オレンジ。

記憶が突風のように頭に滑り込んでくる。

そうだ、オレンジだったんだ。



あれはアメリカに留学していた時のことだ。


坂の上からコロコロとオレンジが一つ転がり落ちてきた。

転がり落ちてきた方向を見上げると、 

一つ、またひとつと新しいオレンジが落ちてくる。

そうしてその先に、必死に敗れた紙袋の底を抑える

若いコックの姿があった。


まるで漫画みたいだなぁ。

私はその緩やかな坂をのぼりながら、

転がり落ちるオレンジを一つ一つ拾っていった。


そうしてそのコックのところまでたどり着くと、

「あなたのお店まで一緒に行きましょう。」

と私は言った。

コックの手元には、オレンジが3つしか残っていなかった。


まだ英語が上手ではなかった私に

彼はゆっくりと丁寧にお礼を言った。


夏の日差しの下を二人で歩いた。

彼は背が高く、なかなかの美男子だった。

だれかこの場面を写真でとってくれないかな、と思った。


彼は店の前まで来ると、自分が立派なコックになったら

必ず日本に行って、お店を開いてみせる、

そうして私をそのレストランに招待すると言った。


オレンジもまともに買えない彼がそこまで成長するには

何年かかるかしら。 と思いながら

まってるわ。と私は答えた。



あぁ、そういうことね、と小人に声をかける。

そういうことさ、と小人は答えた。


たまに来ないと、忘れちゃうよ。

そう小人が言ったかと思うと、小人は無数の小さい光に包まれて

光が消えるとともに姿も消えてしまった。


オレンジと薔薇を買いに、久々に家から出てみよう。

今日はあの日のように空が青い。