恵比寿物語 -4ページ目
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ワールドカップの日の夢

巨大なタコのオブジェが中央に鎮座ましましている通称タコ公園は、
渋谷川という人工の川沿いにあって、
その川と公園が面している丁度真ん中あたりから川の反対岸に向けて
簡素なコンクリートの橋が渡してある。
川自体は壁面も川底も全てコンクリートでできているので
その川の橋としては違和感はないのだけれど、
「橋」という言葉が孕む風情というものは全くない。


川を渡った先はローソンとマンションの後ろ姿で、
その間を抜けると明治通りにぶつかるのだが
そのぶつかるほんの少し手前に、深い穴があいてある。
とはいえその穴にはいつも蓋がしてあるし、
穴の前には常に
「危険!」
と書かれた標識が置いてある。
そのはずなのに、なぜか昨日は蓋もなければ標識もなく、
その時私の意識がそぞろで
あっ!と思ったが時すでに遅く
穴にスポンと落っこちてしまった。


その穴はどうやら海と繋がっていたようで、
アジの群れを突っ切り、昆布の林を抜けていく。
今日の財布が小銭でいっぱいだったせいか
それが錘となって、どんどん深みへと落ちていく。


どれぐらい落ちたのだろうか、自分の足の底に何かがあたる感触があって
砂がゆっくりと舞い上がった。
どうやら深海の底にたどり着いたらしい。
クリスマスの電球を纏ったようにぴかぴかと光るクラゲや
カネゴンのように口がめいいっぱい裂けていて、目が中央に一つしかないアンコウ
背中にアゲハ蝶のような羽をつけた真っ赤なタツノオトシゴなど
見た事もない海洋生物が、目の前をゆらゆらと通り過ぎていく。


小さい頃、親に連れられて水族館に行った時に感じた
体から心だけが抜き取られていくような不思議な感覚で生き物たちを見ていると、
すこし先にプレハブの建物があるのを発見した。
月面を歩くように、ふわりふわりとジャンプしながら近づいてみると
その建物の入り口には電飾で囲まれた巨大な看板が掲げてあって
「海鮮居酒屋プレハブサブマリン」と書いてある。
私はカラカラとその店の扉を開け、中に入ってみた。

厚い木の板で出来たコの字形のカウンターのなかに
マグロやらタコやらイカやらがせわしなく作業をしている。
大きな寿司屋といったような造りだ。
お客さんが数人いるようだが、顔のあたりが滲んで良く見えない。

「へいらっしゃい!そちらの席にどうぞ!」
カウンターの中から声がして、アルバイトの伊勢海老が振りかえる。
私は伊勢海老に促されるままカウンター席の一つに通された。
椅子の足にはびっしりと貝が付着していている。

「何にいたしやしょう!」
大将であろうマグロが威勢よく声をかけてくる。
特に何が食べたいかが浮かばなかったので、
「えーっと・・今日のお勧めはなんですか?」
と聞いてみる。
「うちは何でも旨いよ!今日はまだ中トロがあるけどこれなんかいいよ!」
「じゃぁそれで。」
と私が言うと、マグロは大きめの出刃庖丁を持ち上げたかと思うと
おもむろに自分の中トロがある部分に差し込んだ。

カウンターの中を良く見てみると、6本足のタコや半身のアジなど 
みな一部が欠けている。
「はいおまち!」
という声で我に帰ると、目の前には艶々と光る新鮮な中トロの刺身が並べられていた。
私はそのうちの一切れにワサビをちょんとのせ、醤油をつけて口に入れてみた。
マグロの甘い油が口の中でふわっと溶ける。 それをワサビの辛味がきゅっとしめて
ゆっくりと胃袋を下っていく。
そういえばここのところずっと食欲がわかず、ほとんど何も食べていなかった。
胃袋にしみる。心にぽっと灯がともる。
もう一切れ、もう一切れ、部屋にろうそくが一つずつ灯っていくように
心の中の何かが晴れていく。
と、カウンターの奥の方から声が聞こえる。
さっきのタコだ。
「タコもうまいよ!どう?」
すると横にいた片耳の無いイカが
「イカだって負けちゃいないよ!」
と言う。
「じゃぁ タコとイカをください。」
タコはまだ数があるから余裕だよというように、スパンと足を一つ切り落とし
薄造りにしてく。
イカは腰回りのスカートのような部分に包丁をいれて、
ぐるっと一周切り取ると、鮮やかに刺身にしていった。

薄緑色のガラスの皿の上に盛られた
タコの薄造りとイカ刺しが目の前に運ばれた。
タコの薄造りにポン酢をつけて口に入れる。
きっちょんきっちょんという歯ごたえとともに、うまみがしみだしてくる。
そのうまみをいつまでも味わいたいのに、気付くと喉の奥に吸い込まれてしまう。
ぱっと目を挙げてタコを見る。
したり顔をしたタコと目が合って慌てて視線を外して皿に戻す。
イカ刺しをつまむ。
箸で持ち上げると、イカ刺し越しに景色が見えるほど透き通っている。
生姜醤油をちょっとつけて食べてみる、きゅるんという歯ごたえ。

そうしてとびきり甘い。
もう一度タコの方を見てみる。

するとタコとイカはお互いを肘でつつき合いながら
こっちをみて笑っていた。
おもわず私も笑みがこぼれる。 彼らに向かって会釈をした。

「ナメロウなんてどうだい!」
とタコとイカの反対側にいたアジが声を上げた。
アジはすでに半身がなく、レントゲン写真みたいに骨が見える。
「じゃぁ それもください。」
そう言うと、アジは残りの半身を包丁でこそぎ落し、
もはや頭と骨と尻尾だけになった姿で

その身と味噌とネギと生姜を混ぜてたたいた。
そうして出されたナメロウも、申し分なく美味しくて、たんっと舌が鳴った。
お礼を言おうと思いアジの方に目をやると、
アジはすでにふらふらと店の一番奥に向かって歩き始めていて、
私が声をかける間もなく、じゃぁ出汁になるわ、と言って
寸胴湯船に体を沈めてしまった。

私は急に悲しくなった。唯悲しくなった。

「あんただってそうだろ」
顔を上げるとマグロの大将が皿に乗せた葡萄を出した。
「これはなんですか?」
「これはね、スタインベックの怒りの葡萄だよ。」
スタインベック?怒り?何の事だろう。
私が何も答えられずにいると、マグロは言った。
「おねえちゃんだめだなぁ!スタインベックも知らないの。だめだよ、勉強しないと。
世の中はね、色んな事があるんだよ。そうやって色々知るとね、
俺らみたいに幸せにいられるっていうわけだ。」
と言って、笑顔でえらをひくひくさせた。

「まぁそりゃ冗談だ、これは深海の海葡萄だよ。これ食べたら、もうあんたは大丈夫だ。」
私は小さな粒々が連なった七色に輝く海葡萄を口に入れる。
噛むと粒が弾けていく。
すると 一センチ、2センチと体が浮きあがり、
そのうちふわふわと店内を回遊し始めた。
お風呂の栓を抜いた時のような
ゆっくりとした渦が起こる。
ウィーオールリーブインザ プレハブサブマリン プレハブサブマリン プレハブサブマリン
ビートルズのイエローサブマリンの曲にのった替え歌が流れている。
それにのるように私の体も回遊する。
アルバイトの伊勢海老が入口の扉を開けた。
するとその方角へ私はゆっくりと流されて
そのまま促されるように店の外に出てしまった。
ぷちんぷちん。
胃袋の中でウミブドウが弾け続ける。
そのたびにどんどん上に上がっていく。
落ちてきたときに通った昆布の林が頭上に見える。
あぁ私は戻るんだと思った瞬間、
わーっという大きな歓声が聞えて振りかえった。
サッカーワールドカップの試合で日本がデンマークに勝利して、
決勝リーグに進出が決定した瞬間だった。

ローソンの正面の壁にかかったスクリーンの前に集まっていた
青い服を着た人たちが跳ねている。
その人たちが闇雲におめでとうおめでとうと言っている。
そうして私の姿に気がつくと、私にも笑顔でおめでとうございます!と言った。 
ありがとうございます、と私はといった。
エヴァンゲリオンの碇シンジか、と可笑しくなった。

街のあちこちから歓喜の声が聞こえる。
皆本当に嬉しそうな顔をしてる。
梅雨のド真ん中だというのに空は晴れ渡り、
しっとりとした空気の中にも早朝ならではの爽やさが溢れ、
チュンチュンと鳥たちがさえずっていた。
久々に本当に心地のよい朝だった。

私はしばらく空を見上げ続けていた。
そうして携帯を開き、メールを打とうと彼の名前を検索して
そのアドレスをしばらく見続けた後、
彼をアドレス帳から削除した。

迷医と名医

仕事もそろそろ終わろうかという午後5時。

コホンと一つ咳がでる。

「咳をしても一人」 とは尾崎放哉の有名な詩だけれど、

それが身にしみるフリーウェブデザイナーの私。

家で音楽を聴きながらウェブデザインをしているといえば響きが良いけれど、

打ち合わせ以外は基本一人なのであって、咳をしたところで大丈夫?

と声をかけてくれる人はいない、孤独な世界なのであーる。


さてその咳、いきなり気道が痛い。 これはまずい。

私はもともと喉周りが弱く、風邪で喉をやられた場合、

ほおっておくとすぐに扁桃腺に白い膿がたまり、

はい入院というレベルまで行ってしまう。

コホンコホンと空咳を二度ほどしてみる。まずい、今度は肺まで痛い。

さっさと仕事を切り上げて、パジャマに着替えて布団に入る。

この辺は家で仕事をしている特権である。


そうして横になって、5時間後に目が覚める。 

つまり10時過ぎ。完全にヤバイ。

布団に入っている体の部分は湯もみ無しの草津温泉のように暑く、

その厚さに耐え切れずに足で布団を振り払うと

そこからシベリア前線が入り込んで背筋が凍る。

意識は朦朧とし、喉がキュンキュンと悲鳴を上げる。

しばし思いを巡らせたが、よし、お医者に行こう。と答えを出した。


先月急性胃腸炎にかかって家でのたうちまわり、

なんとかひと山越えて翌日病院に行ったのだが、

この話を友人に話したところ、我が家の近所のK病院は急患を受け付けているので、

そこへ行けばよかったのに、というアドバイスをうけていた。

そのことを思い出したのである。


朦朧としながらも一人で急患に行くのは初めてである。

苦しいながらも妙なワクワク感があった。

いい大人ではあるのだが、またひとつ大人になった気分である。

アパートをで大通りでタクシーを捕まえる。

そこで私は薄命な感じで運転手に言うのだ。

「x x x x x ・・・。」

「・・・え?、お客さんどちらまで?」

「x x x x x ・・・!!!」

「・・・・・」


想定外。

声がまったく出ないのである。

出るのはコーホーコーホーというダースベーダーの呼吸音。

タクシー運転手が怪訝な顔をする。

焦った私は渾身の力を込めて必死に

「Kビョウイン キュウカン イリグチ・・・」

と言いう事を訴え続け、やっと伝わった時にタクシーが迷惑そうにのろっと動き出した。

しかしこれはこれから続く難所の始まりであった。


K病院は1メーターの距離だったのであっという間についてしまい、ポイとタクシーからおろされる。

とりあえず、急患入口で受付をする。
「どうしましたかー?」

やけに若くて軽いナースが登場。

「コーホー・・・コーホー・・・(ユウガタカラ ノドガイタクテ)」

「え?すみません もう一度おねがいします。」

「・・・・・・」

タクシーの惨劇再び。もう喉が限界。でも最後の力を振り絞ってなんとか説明。
すると


「うーん、実は今日外科の先生しかいないんですよぉ。

どうします?専門外でもよければ見てもらって薬だしてもらうかぁ、

他の救急病院でも内科やってるところあるとおもうんでぇ、

そっちいってもかまわないですしー。どうしますぅ?」


ドウシマスゥッテモウムリデス・・・

私の気力はもう持たず、とりあえず医者の薬もらえればそれで良いということで

外科に見てもらうことにした。

しばらく待って現れたのは村上龍似のがっしりとした、腕毛の濃い、THE・外科と言った医者。

ドリルで骨を削ればいいじゃねぇかと言いだしそうな眉毛。

しかし 明らかに内科は不得手丸出し。

ちょろっと喉の奥をみて、服の上から聴診器で背中を3所ほどあてたものの、

あきらかにポーズのみ。

しばらく黙った後、

「この症状はじめてじゃないですよね、前回効いた薬の名前覚えてますか?」

「コーホー・・・(イヤ・・オボエテナイデス・・・」
「・・・・・」
と、おもむろにコンピュータのモニターに向き直る。
薬の名前を打ち込むか所にカーソルをあわせ、

薬の名前の最初の2文字ぐらいを打ち込む。

するとそれらしき薬の名前のリストが出てくる。

それから適等と思われるも薬を選んで入力を始めた。

ところが3種類目ぐらいで腕がとまる。 

どうやら解らなくなったらしいのだ。

そのあと何文字か試すものの、やはりリストアップされない。

悩む、悩む、悩む。

そうしてついに、日本の薬200という辞書を取り出してペラペラとめくり、

一つを選んで追加した。


そして診察は終了。 

うっそーーーーーーん。


結局急患だったので預かり金とて1万円を支払い、

もはや全く声が出なくなった私はタクシーをとめることもできず、

歩いて家に帰ったのであった。


さてその薬を飲んで寝た翌朝、猛烈に喉が痛い。話にならん。完全にまずい。

なんとかベッドから這い出し、地元の名医として知られている近所の耳鼻咽頭科に行った。

20畳ぐらいの真四角なスペースをいくつかの衝立で仕切っているだけで、

待合室などは存在していない。

医者も患者の治療もその場で行われる。ある意味自信の現れである。


さてふらふらしながら部屋の隅で待ち、ついに診察。

「あらー のどまっかっかだねぇ~ これはつらいでしょう。」

子供に話しかけるような優しい口調。涙が出る。心までほぐれる。

「ではちょっと辛いけど我慢してね。」

と喉を薬でつつかれる。猛烈な吐き気。

まずい!とおもってトイレに立とうとすると

「いいよいいよ、吐いちゃって、大丈夫大丈夫。」

ものすごい優しい口調で言うのである。しかも大きなトレーまで口元に差し出された。

いやしかしまってくれ、他の患者がみているではないか。

私はその優しい口調をふりきって一人トイレに向かったのである。

そうして再び診察に戻ると、医者もナースもそれはそれは優しい顔をむけて診察を再開、

辛かったら明日もおいでと言ってくれたのだが、そこで貰った薬はぴたりと効き、

翌日行く必要はなかったのであった。


実際効いたのは医者に対する信頼感からなのか、薬なのか、言葉なのかわからないけれど、

医者は総合力だなぁと改めて思わされる出来事だった。


そういえば、ツイッターに「ぜったいに負けられない風邪がある。」と書き込んでおいたら、

それを見た友人から

「大丈夫?必要なものがあったらいつでも言ってね、用意して玄関の取っ手に掛けておくから。」

とメールが来た。


持つべきものは同じような生活をしている女友達だなぁと、またひとつ心に沁みたのである。

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