≪今日のコペル先生の独り言≫

2つのまなこを見開いて、ものを見さえすれば

   (コペルニクス)・・・・

コペルニクスは、1543年「天体の回転について」

を出版した。この本の中で彼は、

太陽を中心とする宇宙体系を明示し、

古代宇宙論からの発想の転換を宣言した。

東洋医学(氣の原初)は、

ヒトを診る発想の大転換となる可能性を秘めている。

図:人物の目線に注目 コペル先生より

≪今日のコペル先生の独り言≫

ツォワ・ゴンパ(ボクスンド湖)

のある村で購入した木杯。

これは、結婚式に使用するものです。

購入した時は、全体はススまみれで真っ黒でしたが、

日本に帰って洗ってみるとこのような彩色があらわれました。

僕はボクスンド湖に3回行っています。

初めてボクスンド湖のトレッキングは2週間で到達しました。

この器と木版画(前回のもの)は、思い出深い一品です。

この器は1本の木からできていて、おわんと台座は離れません。コペル先生

≪今日のコペル先生の独り言≫

僕の人体曼陀羅図の参考になっている図です。

チベットの木版画

ツォワ・ゴンパの木版

(アッパードルポのボクスンド湖のそば)

この木版画の曼荼羅の中心は、宇宙の中心でもあり

自分自身でもある。コペル先生

今日のコペル先生の独り言≫

人体曼陀羅図の図は

アップデート中なのでしばらくお待ちください。

昨日原因不明の身心の不調を訴えた方を

人体曼陀羅図で読み解くと、

左足の親指の怪我が原因であることが読み解けた。

人体曼陀羅図は凄い早く完成させるぞ・・・コペル先生

11月6日―7日 風楽自然医療研究所プレゼンツ 

口をぱくぱくする講座@福岡県福津市津屋崎 民宿まさご

身心の問題を起こすパンドラの扉を閉めるカギ!

あるポーズをとってある感覚を頂くことがそのカギになります。

宮地嶽神社の近くの民宿なのでラッキーなら『光の道』が観れる。

ところが朝から曇り、雨も降ると言われていたが

隣の潮湯の里『夕陽館』のチケットをもらってゆっくりお湯につかり

夕食までの時間にヒマラヤのスライドショーを見ていた時に

大きな窓の外が真っ赤に光った

みると真っ赤な夕日

それも今までに見たこともない光で目が眩む

そして海の上に光の道、それも見ている人に向かって道ができる

僕はこれは『光への道』と命名したい。

メンバーは、

千手さん、おっ君、みっちゃん、蒲原さん、山口さん、齋藤と僕、

この光への道は、ヒマラヤも口ぱくも超えて

みんなのからだとこころとたましいに未知のスイッチを入れてくれた。

最高のお泊り会になった。感謝と合掌。

≪今日のコペル先生の独り言≫

僕が以前使用してしていた人体曼陀羅図を

アップデートしている途中の令和版:人体曼荼羅図です。

曼荼羅は、宇宙の全ての構造と動きを表現しているものと思います。

東洋医学も人間も本当に奥が深いと思います。

完成したら改めてご報告いたします。コペル先生

 

≪今日のコペル先生の独り言≫

道元禅師の言葉 〜 「終日宴坐」:しゅうじつえんざ

①この生死は、すなわち仏の御いのちなり

② これをいとい、すてんとすれば、すなわち仏の御いのちをうしなわんとするなり。

これにとどまりて生死に著(じゃく)すれば、これも仏のいのちをうしなうなり。

  仏のありさまをとどむるなり。

③ いとうことなく、したうことなき、このときはじめて仏のこころにいる。

  ただし、心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ。

④ ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、ほとけのかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。たれの人か、こころにとどこおるべき。

⑤ 終日宴坐=不断坐禅

  終日宴坐はつとむる人まれなり。

  晩学としては、のこりの光陰のすくなきことをおそれて、終日宴坐これつとむべきなり。

自然・仏の家・仏の御いのち・神の家・宇宙・氣などは、みな同じ?・・・・・・・

自然に触れる一瞬の間こそ、人間が味わう宴(うたげ)ではないのか?

これに触れ、そして楽しむには如何すればよいのか。

       コペル先生

 

≪今日のコペル先生の独り言≫

「病は氣から」を考える

気が強い、気が利く、気難しい、気にする、気が重い、

気が気でない、気が散る、気に入る、気を配る、気を失う、

人気、元気、根気、天気、空気、病気・・・・など、枚挙にいとまがない。

この「気」という字は、略字であって、正しくは「氣」と書く。

この字の由来として、「气」の部分は天体や自然を表し、

下の「米」は人間が八方に光りを放っている姿であり、

また食べ物の米という意味もあるようだ。

つまり、「人は天地自然からエネルギーを吸収することで、

活き活きと活動することができる」ということが「氣」の由来である。

また、古代哲学や思想の中でも世界は「氣」から成り立っていると考えられ、

人は「氣」が凝集されて形を象り、生命活動を維持していると考えられている。・・・

氣を体感するには、氣の原初に触れる必要がある・・・コペル