≪今日のコペル先生の独り言≫
道元禅師の言葉 〜 「終日宴坐」:しゅうじつえんざ
①この生死は、すなわち仏の御いのちなり
② これをいとい、すてんとすれば、すなわち仏の御いのちをうしなわんとするなり。
これにとどまりて生死に著(じゃく)すれば、これも仏のいのちをうしなうなり。
仏のありさまをとどむるなり。
③ いとうことなく、したうことなき、このときはじめて仏のこころにいる。
ただし、心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ。
④ ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、ほとけのかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。たれの人か、こころにとどこおるべき。
⑤ 終日宴坐=不断坐禅
終日宴坐はつとむる人まれなり。
晩学としては、のこりの光陰のすくなきことをおそれて、終日宴坐これつとむべきなり。
自然・仏の家・仏の御いのち・神の家・宇宙・氣などは、みな同じ?・・・・・・・
自然に触れる一瞬の間こそ、人間が味わう宴(うたげ)ではないのか?
これに触れ、そして楽しむには如何すればよいのか。
コペル先生