私は都内のオフィスで働く30歳の普通の女性会社員だった。
ある平日の朝、目覚めてトイレへ行くと、私は驚愕した。男性のモノが付いていたのだ。
「ギャァーーー」
驚いて悲鳴を上げると、男性の野太い声が響いた。確かめてみると、胸もない。どうやら私は男になってしまったようだ。とりあえず用を足そうとしたが…立ってするのはどうも慣れないし、いつも通り座ってすることにした。そしていつも通りティッシュを手に取ったが、ほとんど汚れていないことに気が付いた。
洗面所で鏡を見ると、そこにはどこからどう見ても男性に見えるようになった私が映っていた。
「こんなことってあるわけないし、これは夢だよね」
落ち着いて部屋を見渡すと女性らしいものは一切なく、タンスやクローゼットの中は全て男性用のものになっていた。化粧台にあったはずのたくさんの化粧品やメイク道具がなくなり、代わりに少しの男性用化粧品と髭剃り用の電動シェーバーが置いてあった。
ふと時計を見ると、出勤のため家を出る時間が迫っていた。私は急いで身支度を整えた。初めて髭を剃り、初めて男性用スーツに身を包み、ネクタイの結び方に苦労し、革靴を履いて家を出た。
会社に到着すると、同僚たちには特に違和感を持たれていないようだ。
「よぉ、ユキオ」
同僚の男性が話しかけてきた。私はユキコなのだが、どうやら最初からユキオという男性だったことになっているようだ。
仕事をいつものようにこなし、休憩時間にトイレへ行こうと歩いていくと、トイレの前で立ち止まった。
「私、今は男性だから女子トイレに入っちゃ駄目なんだ」
仕事を無難にこなし、帰りにファッションビルに寄ってみた。女性用の服を見ていたが、売り場にあった鏡に映った自分を見て思い出した。
「私、今男性だから、女性物の服を着たらおかしいよね」
紳士服コーナーに行ってみたが、色もデザインも地味なものばかりで興味がわかなかった。本当は可愛いキャラクターグッズやアクセサリー、コスメなんかも見たかったけれど、男性が使うのはおかしいし、結局何も見ずに帰宅した。なんだか、男性ってつまらない。
帰宅してお風呂に入りながら男性になった自分の体を眺めていると、体毛が気になった。特に脚は脛どころか太腿にまで毛が生えていて何だか汚らしい。それにこの男性のモノがあるのは…あまり見ないようにした。
寝る前に鏡をじっくり見てみた。さっきお風呂に入ったのにもう顔がテカってきている。しかも毛穴が開いてキメも粗く、女性の頃の肌とは質感が全く違った。それにこの髭…毛根が透けて見えるせいで青く見えるし、髭を剃ってから時間が経っているので触るとジョリジョリとする。深剃りすると肌を痛めるみたいだし…。
「男性はメイクないから楽だと思ってたけど、結構大変なんだなぁ」
翌朝、まだ女性には戻っていなかった。いつも通りに仕事をしていると、同僚の高橋くんから話しかけられた。
「俺ちょっと用事あって半休取るから、この仕事頼めないかな」
私は快諾した。実は私は高橋くんが異性として気になっていたのだ。しかしすぐに現実を思い出した。
「あれ、私が男性だと男性とお付き合いできないじゃん」
帰りに同僚たちと飲みに行くと、こんな質問をされた。
「お前彼女いるの?好きな女性のタイプは?」
私は困惑した。私は男性が好きで、同僚の高橋くんが気になっているし…何も答えることができず、口ごもってしまった。
続いてカラオケに行ったが、女性ヴォーカルの歌を入れたら高くて途中で歌えなくなり、同僚に笑われてしまった。ふざけていると思われたようだ。仕方がないので男性の曲を歌ったが、何かモヤモヤとした気分が残った。
それからも女性に戻ることはなく毎日を淡々とこなし、年末年始には実家に帰省した。両親や親族で集まっていると、結婚の話題になった。
「ユキオは彼女できたの?もうそろそろ彼女見つけて結婚しなきゃ」
え、ちょっと待ってよ、私は男性と結婚したいのに。でも今私は男性だし…えー…女性と結婚しなきゃいけないの?
適当に返答をはぐらかしながら、折を見て自室へ戻り、ため息をついた。
「女性に戻りたい…」
しかし無情にも男性のまま日々は過ぎていく。そんな時、テレビでトランスジェンダーのドキュメンタリーを見た。心と体の性別が違ってしまっていて、心の性別で生きようとする人たちのことだった。
「あれ、これ今の私の状況と同じだ。もしかしたら私も女性に戻れるかもしれない」
早速ジェンダークリニックへ診察を受けに行った。確定診断まで時間がかかったが、GID(性同一性障害、性別違和)として女性になるために治療を始めた。
女性ホルモンを投与し始めると、皮脂が減って毛穴が小さくなり、キメ細やかで柔らかな肌になってきた。髭や体毛の生えてくるスピードは遅くなっただけで生えなくなるわけではないので、脱毛サロンで全身の体毛を脱毛した。会社以外ではメイクをしたり女性用の服を着るようになった。
更に時間が経つと、徐々に顔つきが女性的になり、体も丸みを帯びてきた。豊胸手術をして胸ができると、会社で噂になってしまい、隠せなくなった。
「実は私、心は女性なんです」
社内は驚きの声に包まれた。拒絶したり奇異の目で見てくる人もいたが、受け入れてくれる人もいて、私は女性社員として勤務することになった。
しかし、女性への道程は大変険しいものだった。
一部の女性社員たちから、会社の女性トイレを使用しないでほしいと申し入れがあったのだ。私は男性が好きだし、女性は同性だし、犯罪なんて絶対に侵さないのに…。女性たちに逆らうことができず、男性トイレを使用するしかなかった。女性の格好で男性トイレに入ると驚かれてしまったり、間違って入ったと思われたりして辛い思いをした。
また、外見が女性に見えるようになるに従って問題になったのが声だった。声は男性のまま変わらないので、女性ではなく女装した男性と思われて奇異の目で見られてしまう。女性の声を出すためのボイストレーニングがあると知って、毎日トレーニングに精を出した。
数カ月後、私は違和感なく女性として生きられるようになった。性別適合手術を受けて戸籍の性別を女性に変更し、晴れて女性になったのだった。妊娠出産はできないけど、やっと自分本来の性別を取り戻せた!大いに喜んだところで、私は急に意識を失った。
気が付くと、私は自分の部屋のベッドにいた。スマホを見ると、日付があの男性になってしまった日に戻っていた。自分の体を確かめると、ちゃんと元の私の体。声も男性の声が出ないよう気を付けなくても自然に女性の声が出た。全ては夢だったのだ。
この不思議な夢の体験で、私はトランスジェンダーの辛さや困難を理解することができたのです。
※この作品では、最も多数派であるステレオタイプの人物像を主人公にしています。また、性別に関する従来の固定観念を敢えて盛り込んでいます。