老子 道徳経 下篇

第80章


平和な世界の作り方

原文

シアオグオグアミン

小国寡民。

シーヨウシーバイヂーチーアルブーヨン

使有什伯之器而不用

シーミンヂョンスーアルブーユエントゥー

使民重死而不遠徒

スイヨウヂョウユィ  ウースオチャンヂー

雖有舟与  無所乗之

スイヨウジアビン  ウースオチンヂー

雖有甲兵  無所陳之。

シーミンフージエションアルヨンヂー

使人復結縄而用之

ガンチーシー  メイチーフー アンチージュ  ローチースー

甘其食  美其服  安其居  楽其俗

リングオシアンワン  ジーチュエンヂーシォンシアンウェン

鄰国相望  雞犬之聲相聞

ミンヂーラオスー  ブーシアンワンライ

民至老死  不相往来。


 



書き下し文
小国寡民。
什伯の器が有るも而も用いざらしむ。
民して死を重んじ、遠く徒らざらしめば
舟与有りといえどもこれに乗る所は無く、
甲兵有りといえどもこれを陳する所は無い。

人して復た
縄を結びて而もこれを用いしめ、
其の食を甘とし、其の服を美とし、
其の居を安とし、其の俗を楽とし、
隣国相い望み、雞犬の声相い聞き、
民は死に至るまで相い往来はせず。







今いる場所で健やかに生きる

アメ語訳

とある小さな国に
少民族たちが暮らしていた。

彼らは
便利な道具を持ち合わせているのに
それをめったに使わないし、
命の大切さを重んじているため
危険な遠出はしないようで、

船や車があるのに乗る様子もないし、
鎧や剣があるのに並べる様子もない。


彼らは
縄で結んだものを約束の印とし、
自村で採れた食材を美味しく食べて
自村で編んだ着物を美しく着こなし
自村での暮らしを安住にして
自村での祭り事を楽しんでいた。

隣の村は眺められる距離にあり、
犬の鳴き声なども聞こえてくるのだが
彼らは老いて死ぬまで
お互いの村を行き交うことはない。


Translated by アメ
元伊勢天岩戸神社 にて



 



 

アメのフタコトミコト

老子が云う理想的な桃源郷は

縄文弥生時代の日本国を匂わせる。


質素で、秩序を保ちながら、

ナチュラルに日々を謳歌する。

統治しているのは謎めいた女性。


必要以上に行き交わなければ

比べて落ち込んだりすることもないし

羨んで奪い合ったりすることもなくて

戦争の起こしようがない。



わたし達も

必要以上に知り過ぎなければいいのに。

才量以上によそを干渉し過ぎず

自分たちの範囲に専念していれば、

ナチュラルに人生を楽しめるのにね。

情報が行き交う、いまの時代もなお。




いよいよ残りあと1章。

自己還元の旅、

どんな世界線へ行き着くか? (ΦωΦ)フフフ








誰にも言わずひとりで訪れた

元伊勢の天岩戸神社の帰り道で

ちょうど友人から

「高千穂の天岩戸神社に行かない?」

と連絡が入り、即答で「行く!」と返事。


そういうベストタイミングな毎日を

生きてる、、、いえ、生かされてる。









 

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老子 道徳経 下篇

第79章


天なるタオは常に善人の味方

原文

ホーダーユエン  ビーヨウユイユエン

和大怨  必有余怨。

アンコーイーウェイシャン

安可以為善。

シーイーションレンジーズオチー  アルブーゾーユィレン

是以聖人執左契  而不責於人。

ヨウドースーチー  ウードースーチョー

有徳司契  無徳司徹。

ティエンダオウーチン  チャンユィシャンレン

天道無親  常与善人。

 



書き下し文
大怨を和すれば必ず余怨が有る。
安んぞ以て善と為す可けんや。

是を以て聖人は、
左契を執りて而も人を責めず。
徳有れば契を司り、徳無しは徹を司る。

天道は親無し、常に善人に与す。








許したフリでは怨みが残るから

アメ語訳

恨みを残したまま納得しようとしても
必ず恨みのひずみは残ったままです。

無理にでも和解すればよし…
なんてどうして言えるのだろう。

だからタオなる賢い人は
契約や法律上で自分側に正義があっても
ムダに相手を責めたりしません。

徳が有る人は
契約書に基づいて淡々と処理するのみ。
徳が無い人は
やけになって徹底的な取り立てをする。

お天道様は身びいきしません。
どんな時も
ただ善人の味方でいます。


Translated by アメ
日室ヶ嶽(岩戸山) にて



 



 

アメのフタコトミコト

天なる道、

太陽のことを「お天道様」と呼ぶね。

太陽はいつも公平にみんなを照らす。


老子の読経を通して、

自分のポジティブな側面(陽) が

照らし出される。 と、同時に

自分のネガティブな側面(陰) も

あぶり出される。


そして

「見守っているから大丈夫だよ」と

この章で、陽と陰が癒されて

お天道様やお月様のような

真ん丸の自分になっていきます。



この章に着くまでに

陽の知性・陰の感情と

陽の感情・陰の思考とを目の当たりにした

順を追った伏線がひとつに回収されていく。

そんな出来事が起こる頃。

長編のシンクロニシティだったと

明かされるでしょう。





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司馬遷はこの章について

公平なら善人ひいきをしないのでは?

と疑問をもったそう。


個人的には

1度目に訳した際は

善人の味方をするのが公平と云ったのは

老子なりの道家たちへのエールかと響いた。

タオは究極ゆえにとても地道だから。


2度目に訳した際は

ヒット映画や人気アニメや小説も、

誰かの復讐心が発端となるストーリーが

ほとんどなかなかに多いですし、

人間の闇も自然発生的なものかと

俯瞰して眺めている自分がいた。


3度目に訳した際は

ただただ「そうだ」と頷いた。

お天道様は見ている。





※ 司馬遷は「史記」の著者。

 「史記」に老子列伝が書かれてある。









 

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老子 道徳経 下篇

第78章


柔よく剛を制す

原文

ティエンシアモーロウルオユィシュイ

天下莫柔弱於水。

アルゴンジエンチアンヂョー  モーヂーノンション

而攻堅強者  莫之能勝。

イーチーウーイーイーヂー

以其無以易之。

ルオヂーションチアン  ロウヂーションガン

弱之勝強  柔之勝剛

ティエンシアモーブーヂー  モーノンシン

天下莫不知  莫能行。

シーイーションレンウン

是以聖人云  

ショウグオヂーゴウ  シーウェイショージーヂュー

受国之垢  是為社稷主

ショウグオヂーブーシアン  シーウェイティエンシアワン

受國不祥  是為天下王。

ヂョンイエンルオファン

正言若反。

 



書き下し文
天下に水より柔弱は莫し。
而も堅強を攻む者、これに能く勝るは莫し。
其れ以てこれを易うるもの無きを以つ。

弱の強勝ち、柔の剛勝ちを
天下知らざるも莫く、能く行う莫し。

是を以て聖人は云う、
国の垢を受け、是を社稷の主と謂い、
国の不祥を受け、是を天下の王と謂う。

正言は反するが若し。








正言は反するがごとし

アメ語訳

天下において、水より柔弱なものはない。
しかも堅強な岩を打ち砕く、
これまた波の水に勝るものはない。

水のこの性質を変えるものが
他には存在しないからね。

弱よく強に勝つ、柔よく剛を制す、
教訓として皆に知られてはいても
上手く実践できる者はあまりいない。


だからタオなる賢い者は云う、
「国の屈辱を受け止める者が
 国家の主である。
 国の不祥事を受け止める者が
 国家の王である。」と。

正なる言葉は
一般論とは逆みたいになる。


Translated by アメ
北海道 にて



 



 

アメのフタコトミコト

一家の長である者は

いちばん偉そうにするものではない。


家族みんなの意見や意欲を

受け入れて、考える。

家族みんなの安全を考えて

家長本人は

時にはガードマン、時にはガイド、

時にはサポーターとなり一家をリードする。

( 水のごとく柔軟かつ最善に )


家長である者が

いちばん献身的な任務をこなすもの。







大陸の中国から

老子哲学を輸入したのではなく、

水に囲まれた島国である

日本の思想を

古代中国人が文献にまとめて

逆輸入したのではないかと思われる。








 

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