小野弘晴のブログ

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テノール歌手 小野弘晴のブログです!

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公演のお知らせや舞台日記、日々の雑談を投稿しています。また、個人レッスンも行っております!(プロアマ不問です)東京藝術大学をはじめ各音大や音楽高校に毎年多くの合格者を輩出しております。

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【小野弘晴 SNS】






歌手仲間で集まってオペラをやる、という公演です。

若手の皆さんに合唱も各パート1名ずつで出演して頂きます。

チケットレスですのでお名前にてご予約承らせて頂きます。

ご都合宜しければ是非ご来場お待ちしております!🙇🏻‍♂️



歌劇「道化師」

2024年8月12日

19:30開演予定(19:00開場)

サルビアホール3F音楽ホール

入場料:5,000円


舞台スタッフ:川島慶子

映像:大平久美


カニオ:小野弘晴

ネッダ:中野瑠璃子

トニオ:高橋正尚

シルヴィオ:市川宥一郎

ペッペ:堀越俊成

ピアノ:前田明子

合唱

 ソプラノ:菅沼千尋

 アルト:堀川明子

 テノール:畑 一弘

 バス:戸村優希


















リベラオペラ「仮面舞踏会」(紀尾井ホール)無事に終演致しました。

ご来場頂きましたお客様、関係者の皆様ありがとうございました! 


関先生が声帯不調により急遽変更が起きた事はとても残念でしたが、関イズムを感じて一丸となった素晴らしいメンバーにより無事に終演を迎えられて何よりほっとしています。


僕自身も今回は調整が難航した部分がありました。

天候や湿気も相まっていわゆる「謎の咳」が増えて来た電車内、そして「最終的には副鼻腔炎になる謎の微熱」が流行っているらしいという噂。


ヴェルディ作品の中でも特別な想いのある「仮面舞踏会」のリッカルド役を歌える喜びと、音楽への感謝溢れる舞台でした。


また、今回は個人的な新しいアイディアを試した公演でもありました。

それがある程度良い形で自覚できる部分もあり、長いキャリアを目指して歌い続けていくべく励んでいますが、記憶に深く刻まれる公演でもありました。

新たなアイディアも生まれ、繰り返しチャレンジして自分のものにしてお届けできるように励みます。


そしてなにより、このプロジェクトをしっかりと支えてくださった堀内さん、多くの方が関わったこの舞台、とてつもない感謝の気持ちを込めて。


ありがとうございました!


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↓ 9月のオペラはこちらです ↓






⭐︎2024年9月28日(土)

15:15開場/16:00開演

歌劇「トゥーランドット」(カラフ役)

調布市グリーンホール大ホール

※詳細画像参照


⭐︎7/23は柴田さん主催の町田イタリア歌劇団15周年記念コンサートにも歌いに参ります!




是非ご来場お待ちしております!

各チケットはご用意させて頂きますので、お気軽にご連絡下さいませ📩




歌劇「仮面舞踏会」は、G.ヴェルディの第23作目のオペラで、1859年2月にローマで初演された。

この時ヴェルディ45歳(僕も今年45歳)。


長いヴェルディのオペラ創作活動の中でも、30代の半ばから40代半ばにかけての約10年は創作意欲がとても強く、一般的にいわゆる「中期」として一括りにされるこの時期のオペラだが、実際は一作ごとに違う新しいチャレンジを試みていて、ベルカントオペラの代表的な作曲家たち、ドニゼッティやベッリーニらから受け継いだ伝統と束縛から脱却し、より自由に、より個性的で密度の高い音楽表現を求めた。

そこにはヴェルディの真摯な創造の軌跡が感じ取れる。


特にヴェルディ43歳の年に書かれた「シモン・ボッカネグラ」と、その2年後に書かれた「仮面舞踏会」の2つの作品は、それまでの形(様式)にとらわれない、新鮮な音楽と劇的表現を発見しようとする強い意欲が譜面にもはっきりと見える。


上記の形を模索し始めた時期に書いたとされる「シモン・ボッカネグラ」は、その時期がまだ早すぎて充分な成果を生むことができずに失敗し、後年大きな改訂をすることに至ったが、この経験の後に完成された「仮面舞踏会」は、ヴェルディの作品ナンバーに新しい歴史を刻み、まさに「ヴェルディ後期」に向けて大きく踏み出す重要な意味を担った。


40歳になったヴェルディが確定的に決別することとなった旧来のスタイルの一つに、1820年代以来イタリア・オペラの基本的な定型として用いられてきた「カヴァッティーナ→カバレッタ形式」の形式がある。


それはアリアだけでなく重唱や合唱にもそのまま応用されたが、ヴェルディは1839年作「オベルト」以来この形を用いて、作品ごとにそれを拡大したり変化を加えながら、音楽と感情の強い密着に努力し、ドラマと歌唱の一体化を生み出してきた。


そして遂に、1853年「イル・トロヴァトーレ」と「ラ・トラヴィアータ」を最後にこの定型から脱却した。

従来の形式を基本とする限りは、より新しく、密度のある、高い劇的表現には届かないとヴェルディ自身が感じたのである。


しかしながら、長年にわたって形式とされてきたカヴァッティーナ→カバレッタ形式の放棄といっても、ヴェルディ自身にとっても簡単なものではなく、それに代わるアイディアがあったわけではなかった。


ヴェルディはまず、フランスオペラの「グランドオペラ形式」にそのヒントとアイディアを見つける。


イタリアとはまた違った伝統や形式を応用したり、舞曲リズムを用いて、今までにない音楽、つまり「かつてのイタリアオペラの形式」からの脱却という意味では新しい様式の作品となった。

それが、「ラ・トラヴィアータ」から2年後の1855年「シチリア島の夕べの祈り」だが、輝かしいイタリアの気配を残しながらも今までの伝統や形式に束縛されずに、より自由に、心情と歌唱の一体感に到達したのは、アメーリアやレナートの感情と音楽の素晴らしい一体感を得たアリアを確証に「仮面舞踏会」においてであった。


ライトモチーフの使用や対位法的な処理に加え、意識して旋律から虚飾を取り去り、ドラマや歌唱には歌謡性よりも性格性を求め、聴衆には単に興奮や快感を感じさせるものではなく、劇的な真実表現のために、より深く、より豊かな感情露出を求めた。


1853年から1859年のこの6年は苦悩や発想の転換、アイディアの捻出や様々な表現の試みによって、ヴェルディにとって前例を見ない生き生きとして熱情的なところに、この「仮面舞踏会」の生命力や性質を感じることができる。


上記のような端的な歴史から、「作品の完成度」という点では、時代や評論家によっては賛否は様々で、「ヴェルディ最高の作品、深みのある最高の表現オペラ」とするものから、「ヴェルディ最悪のオペラ」という否定的な意見まで極端に分かれている。


しかしながら、この6年間における決別と挑戦、模索、チャレンジの数々があったからこそ、その後の「ヴェルディ後期」の傑作が生まれたという事は間違いないはずである。


数多くのヴェルディ作品の中で僕はこの「仮面舞踏会」は、「オテッロ」に並ぶ一番好きな作品です。


6/24は紀尾井ホール「仮面舞踏会」是非ご来場くださいませ。

皆様のご来場心よりお待ちしております!


ご予約はこちらまで!





YouTube「新しく演奏動画をUPしました!

チャンネル登録&いいね、どうぞ宜しくお願いします!




G.W始まったとのこと、皆様いかがお過ごしでしょうか?

4/28は東京藝術大学の同期たちが集まって、コンサート&同期会をやりました。


現場でよく会うメンバーから卒業以来の再会メンバーまで、最高に楽しい時間を過ごしました。


時が経っても、再会したその瞬間から学生の頃にタイムスリップしたような感覚!最高です!









こーすけ!


また、スタッフに太田麻衣子さん、田崎尚美さんという豪華なメンバーも力を貸して下さいました。



参加できなかった「なをたん」こと藤原くんのマネ(笑)




藝祭のハッピも!



べっち!



テノールの城くんも賛助出演!(^^)豪華!



みんなで挟み込み!




また会おう!



最近X(旧Twitter)でよく流れてくる「音楽家のギャランティー話題」と「チケットノルマについての見解」について。

Xを開くと毎日のように流れてくる話題です。


どちらの話題についても少し前からかなりの盛り上がりを見せていますが、


・公演前の譜読みや暗譜、練習、準備は時間外労働だ

・チケットノルマを課すのはおかしい


という意見が目立ちますね。


意見としては間違っていないし、僕も(音楽家の端くれとしても笑)よく理解できます。


「個人的には」ということでの僕の意見は、公演前の譜読みや暗譜や個人練習なんてのは自分のレパートリーとして当たり前の事であって、それを含めてのパフォーマンス。時間外労働という表現が適切かどうかはともかく、僕個人としては「それを含めて」提示されているギャランティーと感じています。

でも、自由業・個人事業主・フリーランスだから、やはりその辺が曖昧になってしまう部分はとてもよくわかります。笑

それでも芸事、というか、そこに保証を求めようとは僕は感じていないというと少し語弊がありますが。


舞台に立って今できる最高のパフォーマンスをするということ、その舞台上で起こりうる全ての事象に対して責任を待つということ、また、そこに立つまでのプロとしての支度、その全てはもうすでにその額面に入っているものとして捉えているという事です。あくまで僕は、です。

そして、流れてくる意見、お気持ちはとてもよくわかります。

(この業界で「時間外労働」という言葉を聞いたのが初めてなので新鮮ではありますが)



チケットノルマ問題についてはもっと思うことはありますが、長くなるので割愛します。

でも、(そのノルマ数によって大きく変わりますが)「賛成してはいないが、その程度も呼べない歌手にはなりたくない」とは思います。


もちろん、このノルマ論争?は、枚数や金額だけで論議されているものではなく、「ノルマを課される人と課されない人がいることについて」や「ノルマを売り切った人が売り切ってない人の分を売ってあげることについて」「ノルマを課す側だけがノーリスク」「主催にはノルマがない」などなど、様々なセクションに渡って論議されています。


ですので、「ノルマならその公演に参加しなければよい」という言葉では結論づけられない側面もあります。

また、ある程度経験を積んだ歌手には課されない場合や、男声歌手には課されない、若手のみに課されるなどのパターンが存在している事にも注意が必要ですね。


ノルマを課す側の「少なくともこれくらいは売ってほしい/(お客様を)呼んでほしい」という意見と「出さしてやるからこれくらいは売りなさい/呼びなさい」でもまた全く違う意見。後者はもう悪です笑。


または「○○さんに出演してもらったら(ノルマなんか課さなくても)自然とお客さんが沢山来てくれる」という意見もよく耳にします。


出演する側は「この公演に沢山の方に来て頂きたい」というのは当たり前の共通意見ですが、「集客は主催ががんばれ」という丸投げもそれはそれで少し乱暴な感じもしますし、「ノルマを課さなくても集客に努力しますよ」という建設的な意見ももちろんあります。


(音楽だけでなく、芝居やイベント関係の業界の方も沢山意見されていましたが)様々な意見を見て、それぞれの意見に考えさせられます。


話は少し変わってしまいますが、例えば先輩と後輩のような関係において、後輩(若手)が「勉強させて頂くつもりですので!」というのは良いが、先輩(年上)側が「勉強にさせてあげるから」は違うとは思います。


もし明日あたりノルマを課されたとしたらどう思うのだろうか?


「ノルマを課されたこと」に対して疑問が生まれるのか?

ノルマ数に対して、これくらい期待されていると思うのだろうか?

「この主催は危ない」と直感が働くのだろうか?


また、上にも書きましたが(例外はありますが)そのノルマ枚数によって感触が変わることもありますね。


例えば「オペラのプリモ(主役)で、ノルマ10枚」


プリモ歌うのに10枚売れないとしたら、それはノルマの有無以前の問題でもある、のでは?という意見。

わかります。


「1シーン(一言二言のみ)しか出ない役でノルマ80枚」


こんな人がいた事に驚きです。


そして、そもそも「ノルマの存在自体がおかしい」という意見。


この話題においてはなかなか終わりが見えません。

オペラは商用演劇ではなく文学作品、振り切る場所を見定めないとクラシック芸術とは全く違うものになってしまいます。


現実問題と伝統。(悪き伝統もあるだろうが)

その伝統は国や地域によっても違いはあれど、どのように捉えていくかによって方向性は大きく変わると思います。

「オペラやクラシックは敷居が高い」と言われる中、敷居を「下げて裾野を広げる」のか、敷居を「そのままに、お客様に上がってきてもらうのか」という意見も分かれます。






そんなに甘くない、ですね。笑






長くなってしまいましたので今日はこの辺で。