あなたの『小役人度』チェック! | 新労社 おりおりの記

あなたの『小役人度』チェック!

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今や、日本全国ネットの普及で小役人だらけになったような気がします。この「小役人」というのは何も各種公共団体の窓口その他に勤める国家、地方、臨時公務員のことを当てこすって批判しているのでもないし、民間だから小役人でないだろうというものではありません。多くのヒトに忌まれ嫌われ、しかし時代の寵児で多数派でもある「小役人」とは何でしょうか?

 

辞書では

 ・身分の低い役人。 ・小吏。 

 

で、勤務上の意見を行政に反映させる機会や力量が小さい公務員を言うそうですが、公務員でなくても現代社会では小役人だらけ、といえるのではないでしょうか?立派なパブリック・サーバントが謙遜して言う場合もありますけどね。また“大役人”(摂政関白大臣次官局長)であれば必ずしもエライというワケでもないでしょう。

 

私に言わせると小役人というのは・・・

・重箱の隅をつつくようなことを指摘するのはイイが、それを社会や個人をよくするためでなく、自分を満足させるためにやっている。

 

こういうヒトのことを言うかと思います。それで行くともう老若男女業界貴賤を問わず小役人がいることになります。その「小役人」の特質をチェックしてみると・・・

 

□ 強い者に弱く、弱い者に強い。資格も性格も中途半端な「自称警察官」

 ホントの警官は暴漢でも相手にしなければならないが小役人にはムリ。

□ 機嫌のいい時は温和。しかし安定性が悪く、ちょっとしたことで青筋が立つ。リトマス気質。

□ ネットでは上から目線が多い。結構荒々しい否定語を使い、ヒトに威張りたがる。

 

□ ヒトの意見はケチつけないと気が済まない。何事も自分が一番!

□ ヒトとの関係で形式にこだわって、自分の感情以外の交際ができない。

□ 合理性より決まりの遵守を標榜。そのくせ自分だけはズルく立ち回る。

 

□ コミュニケーションが小心。ヒトとの関係は虚喝と不機嫌から始まらざるを得ない。

   そこから驕慢と空威張りが始まる。

□ 基本的に子ども。自分しか守れないし思いやりも感謝もできない。オトナは目立たないが、小役人ではない。

怒りこそ正しいと思っている。そのくせ一発反論すると腰砕け。

 

このうち1つや2つならイイのですが、全部当てはまるとなれば立派な小役人ではないでしょうか。老化現象といえなくもないですが、要は“ガキ”なのです。必ずしも年少者を指すものでないように、若い“スゴイ大人”もいますし、年を食った“ガキ”もいます。老若男女、地方都会地域を問いません。

 

「小役人」はどこにでも存在し、かくいう私も含めて誰のココロにも存在し、何かのきっかけで顕在化し、ヒトを悩ますものです。「逮捕系ユーチューバー」は罪もないヒトをわざわざ罪に落として世を騒がし、ヒトの幸せな人生・結婚などを、マイナーなテメーの動画再生稼ぎのためにわざわざ引き裂いたりします。

 

またヒマな退屈人がその「転落劇」を見て拍手喝采するんです。これも「小役人」のカタマリです。退屈というのは必ずしも時間のあることではありません。仕事で忙しくても、時間的に退屈でなくても「精神的退屈」はあり得ます。昔は退屈から文化が出たりしていたのですが、最近は弊害の方が多くなってきたようです。

 

”旗本退屈男”のすすめ

 

特におカネ儲け、さらに保守的な思想(何かを守る)の発揮される場面で出てくることが多いのです。ウジウジせずさわやかな性格というのは、包容力があって、変化を恐れない革新的なものでしょう。いいじゃない、と許せる心からは小役人は出てきません。

 

政府が革新党でもないのに多様化多様化と叫んでいるのは、小役人が政府の中以外に増えては、まつりごとを行う上でコマるからです。キッシーさんはよく大衆の言うことを聴きますが、実に度量あるよなあと思います。ヒトの意見を聴くのはエネルギーの要ることだからです。小役人が増えたのはこれだけ食に困らない社会になっても、個人は何となく不安だからです。

 

こりゃサイコパスじゃないか!と思われるかもです。サイコパスは良心がないというのが最大の特徴ですが、小役人は良心はあるのです。しかしそれがマイナーで臆病な自尊心に覆い隠されてしまうから、弱いくせにキャンキャン吠えるチンピラ、黒い服を着るヒトが必ずしも中身まで腹黒くないのと同様、タチは悪くないのです。サイコパスほどは害がないと言えるでしょう。

 

コンピューター、IT、DXなどの普及で世の中が細分化されることは小役人を生み出しやすくなっています。それは世間に突っ込みどころを増やすことだからです。あそこはダメここはダメと、ヒトの複雑な事情を知らないのに、単純化して勝手なことを言える場面が増えているからです。

 

あと平和な世の中だからです。ウクライナやガザ地区、ミャンマーなどの様子を見るまでもなく、平和はありがたいものですが、これが続くと神ならぬ身、平和に飽きて、生きているのは自分自身じゃない気がする錯覚に陥るのです。それでわざわざ悪人を仕立て上げてやり玉に挙げることで、退屈をしのいで自尊心を保つという輩も出てくるのです。

 

小役人にならないためには、やっぱり地道に生涯学び続けることですね。だいたいどんな分野でも学べば学ぶほど足りないなと思うものです。そしてできればそれを糧に自分で何かを創り出すことです。小役人はヒトの創造は批判できても、自分で創造することはできません。謙虚に地道に学ぶこともできないのです。創造により自分がしっかりできていれば、他人をつまらないことで批判することはないはずです。

 

知識を何のために身に着けるのか、ヒトをいじめる小役人になるためじゃないだろ、自分自身の人生をよくするために知恵を繰り出す材料にするために知識を付けるものです。それで社会がよくなればいいでしょ?という感じです。中途半端な理屈でムリヤリ「イイ社会」を作らなくてもいいのです。

 

AIの進歩が人類の進歩であるとするならば、このような細分化した世の中をまとめるコト=政治をやっていただくことを強く望みます。政治家を機械化するのは難しく、英雄待望論ではありませんが、世界が小役人だらけになって、つまらないコトで悲惨な戦争が始まったりしないうちに。